「ガルマ様の仇!」イセリナの悲しき恋の結末~機動戦士ガンダム 第11話「イセリナ、恋のあと」感想
冒頭ナレーションの説明
サイド3の位置について、月の向こう側にあり地球から最も離れているとの説明がある。この説明の構図もかなりいい。
これまで第1話冒頭と、第4話冒頭の位置関係の説明の構図について書いたが、そちらに負けず劣らずかっこいい構図である。
また、冒頭ナレーションではコロニーの形状の説明がなされている。
第1話の感想で、コロニーの形状に関し、ウィキペディアを引用しながら直径4マイル(6.4 km)、長さ20マイル(32 km)と書いた。
やはりシリンダー型のコロニーが元ネタだったようだ。
リアル路線の「機動戦士ガンダム」でこの建物のデザインはなかなかとんがっている。いかにも「悪の親玉の秘密基地」といったテイストだ。
冒頭ナレーションの「地球を自らの独裁によって治めようとするザビ家の支配する宇宙都市国家、ジオンである。」という説明も、「悪の敵ジオンvs正義の味方連邦軍」という単純な対立構造を提示するものだ。
「ちびっ子たちにもわかりやすいストーリーを」という配慮なのかもしれないが、「機動戦士ガンダム」のストーリーはそんな単純な対立構造で記述できるものではない。
この辺は演出としてあまり成功しているとはいえないと思われる。
ザビ家の人々によるガルマ評
ザビ家内でのガルマの評価はそこそこ高そうだ。とくにドズルは将来性を高く評価していることが窺える。
ガルマのことをただのおぼっちゃんと考えるのなら、「あやつこそ俺さえも使いこなしてくれる将軍にもなろうと楽しみにもしておったものを」というドズルはただのブラコン野郎ということになる。
しかし、前回述べたようにガルマはただのおぼっちゃんではない。
ジオンを純粋に思う様は部下たちから信頼され、愛されていた。今回、イセリナや部下から自然と「仇討ちを」という声があがっているのもガルマの人を惹きつける魅力のなせるわざだ。
ドズルはそうしたガルマの気質を見抜き、ゆくゆくは自分をも使いこなしてくれるような偉大な指導者になることを期待していた。だからこその発言だろう。
国葬か家族葬か
国威発揚のためにガルマの葬儀を大々的に行いたいギレンとこぢんまりと家族葬にしたいデギンの意見が食い違う。
ギレンは戦争に勝つためにガルマの死を利用しようとしている。シャアと同じような冷徹さを感じさせるギレンだが、もちろんギレンとてガルマの死を悲しんでいないわけではないだろう。ギレンは戦争という現実を直視して勝つための方策を常に考える現実主義者なのだ。
泣かないイセリナ
前回第10話ではとにかく泣くだけだったイセリナだが、今回は泣かない。険しい表情で自らガウに搭乗したいと申し出るあたり、初めから覚悟を決めているのだろう。
ガルマの肖像画を前にしても泣き崩れたりしない。
部下の兵士達がガルマの敵討ちを志願し、イセリナも「ガウに乗せてほしい」と申し出るあたり、やはりガルマは周囲からの信頼を得ていた。こうしたところにもそれが現れている。全てガルマの人柄のなせるわざだろう。
新兵器ービームジャベリン!
今回は新しい武器としてビームジャベリンが登場するようだ。
「安全弁が内蔵されている」とこれまでビームジャベリンが出てこなかった理由を説明している。
毎度毎度思うが「機動戦士ガンダム」はこのあたりの描写が実に丁寧である。
エンジン不調のホワイトベース
ホワイトベースのエンジンの調子が良くない。そのため連邦軍の制空権内になかなか脱出することができない。
第7話でも、エンジンの不調で宇宙空間へ避難することができず、そのためにコアファイターを弾道軌道で射出する作戦に出た。
また、第9話ではガルマ機がホワイトベースの左エンジンにミサイルを着弾させている。ガルマの攻撃が今になって効いてきているのであれば運命的な巡り合わせである。
ガウvsガンダム・ガンキャノン
ガンダムがガウの方向舵をグイッと動かすと操縦席の操舵輪が連動してジオン兵がこける。とてもとても面白いシーンだ。
ガウの同士撃ちによって一機が墜落、大爆発を起こす。このシーンはかなり時間を割いて丁寧に描かれている。
このシーンがあることで、後ほどホワイトベースが同じように操縦不能になるシーンの緊迫感が生まれるわけだ。
シャア登場!
イセリナが「戦闘機はないのですか」といったところで、タイミングよくシャアの登場だ。
ガルマの死の真相を知っている視聴者にしてみれば「どの面下げて!」となるところだが、ジオン兵とってはこれ以上ない頼もしい助っ人だろう。
しかし、当のシャア本人にはガルマの仇討ちをしようなどという考えはあろうはずもない。なんせ自分が罠にはめて死に追いやったんだから。
シャアの目的はあくまでもホワイトベースとガンダムの鹵獲である。ホワイトベースはジオンの制空圏を突破し、もうすぐ連邦軍の制空圏へ入ってしまう。シャアにとっておそらく最後のチャンスだ。
ガウ3機が攻撃を仕掛けたのをみて、一緒に出撃すればホワイトベースを撃墜できるかもしれないと考えたのだろう。
そのことについて、「なるほど、シャアはガルマを戦死させた責任を感じ、弔い合戦に参戦したんだな」ととられても、「なるほど、ガルマの兄であり、直属の上司でもあるドズル中将に対する忠誠を尽くそうとしているんだな」ととられても、どっちでも自分に損はない。だったらこのチャンスをみすみす見逃す手はない。
どこまでも冷徹で狡猾な男である。
やはりダメダメな連邦軍参謀本部
第9話で、「ホワイトベースは敵の戦線を突破して海に脱出することを望む。」とだけよこした連邦軍参謀本部。憤慨しつつもその指示通りホワイトベースはガルマの編隊を撃退し、ジオンの制空圏を突破した。
ようやく援軍が来てくれるはずと思っていたら「参謀本部の連絡会議で揉めている」という愚にもつかない電文がやってくる始末。
レビルの命令でマチルダのミデア輸送機がホワイトベースの補給等を行ったが、そのことも問題となっているという。
「避難民については収容の準備がある」との電文をみて、ブライトが半ば絶句しつつミライに進路変更を指示する。
ホワイトベースの窮状を理解できていないのか、いったい連邦軍参謀本部はどうなっているのか、はたまた連邦軍はこんなことで戦争を続けていけるのか。ダメダメな連邦軍参謀本部は健在である。
ホワイトベース墜落!?
シャアのドップのミサイルがホワイトベースに直撃。
シャアが狙ったのも左エンジン、ガルマが狙ったのと同じ位置である。この攻撃によってホワイトベースは操縦不能に陥ってしまう。このまま墜落してしまうのか!?
先程ガウが墜落・大爆発を起こすシーンを丁寧に描いた効果がここで発揮される。同じ状況にあるホワイトベースの危機がちびっ子たちにも分かりやすく提示されるわけだ。
煙を引くホワイトベースが雲に隠れたタイミングで前半パート終了。
当時見ていたちびっ子はホワイトベースはどうなってしまうのか、ハラハラドキドキしながらCMの時間を過ごしたはずだ。
ネトフリで見ている自分にはわからない境地である。
避難民が勝手に下船!
ミライの腕かホワイトベースの性能のおかげか、不時着したホワイトベース、墜落は免れた。エンジンの応急修理も終わり、連邦軍の制空圏まで逃げようとしたこのタイミングで避難民が外に出てしまった。
ホワイトベースが不時着したのは砂漠の戦場である。しかも近くに民家や町らしきものも見当たらない。ガウも接近中だ。そんなところで下船したとして生きていける保証はない。
それでも避難民が下船したかったのは、ホワイトベース内での生活が心底嫌になっていたこともあろが、二度と戻れないと思っていた地球の大地をもう一度踏めるという高揚感、早く外に出たいという焦燥感のせいだろう。
真っ先に飛び出した避難民数名は直後にシャアに銃撃され死んでしまうが、最期の最期に地球の大地を踏みしめることができてそれなりに幸せな最期だった・・・ということにしておこう。
もめるザビ家
ギレンと意見が食い違いイライラしているデギン。杖の装飾を指でトントンする描写でそれを表している。
ギレンとキシリアは国葬をすべしと進言する。デギンは家族葬を希望する。
他方、ドズルはガルマの弔いよりも、ガルマを守りきれなかったシャアの処分を考えている。ドズル一人だけ話が噛み合っていない。キシリアに「お前の部下なんだからお前が勝手にやればいい」とけんもほろろに言われてしまう始末だ。
ギレンは戦意高揚のために国葬にすべしという。これはギレンの危機感の表れなのかもしれない。
戦争が始まって約9か月。ここまで有利に戦況を進めるジオン軍だが、疲れも見え始めている。
ジオン公国の国民や兵士の中に厭戦気分が蔓延していてもおかしくはない。戦争を開始したザビ家に対し不満を持つ者も多数いることだろう。
そうした状況下で、国民に人気のあったガルマが連邦軍との戦闘によって殺されたとなれば、戦意高揚の絶好のチャンスである。同時に国民の不満を連邦政府に向けさせることもできる。
キシリアもギレンに賛同し、「大切なことは儀式なのです」という。
ここでキシリアが「儀式」という言葉を使っているのは実に示唆的である。
ガルマの死で戦意高揚を狙うのに国葬という大がかりなことをわざわざしなくてもよいのでは、との考えもあろう。
しかし、「儀式」という形式を用いることで単に「ガルマが死にました」「責任者シャアを処分しました」とアナウンスするだけでは伝わらない、連帯感や同胞意識などを醸成することができる。
人々は「儀式」を通じて「我々は目的を同じくする仲間だ」と再認識するのだ。儀式は大切なのである。
そして、こうした連帯感や同胞意識こそ戦時下には(特に為政者にとって)不可欠のものであり、苦境に立たされつつあるジオンの命運を左右するのだ。
ギレンやキシリアが国葬にこだわる理由はここにある。
イセリナの特攻
ガンダム、ガンキャノン、ガンタンクと戦闘するガウだが、あえなく撃沈。しかし、イセリナもガルマ同様自ら操縦桿を握り、ガンダムに特攻を仕掛ける。
ガウがガンダムに迫る様は、前回第10話でのガルマの特攻と全く同じ構図で描かれている。二人の想いを表現しているようでとても印象的なシーンだ。
イセリナがアムロに銃口を向ける。このまま発砲するのかと思ったら空に向かって1回発射し、そのまま身を投げた。これは撃ち損じたとか、バランスを崩して滑落したとかといったものではない。もちろん第2話で述べたような「戦場で人を撃てるか」といった類の話でもない。
明かな自殺である。
前回第10話と今回は、ジオン公国を憎むエッシェンバッハの娘イセリナが、戦場の露と消えたジオン公国公王の末弟ガルマの後を追って、自ら仇敵の目の前で命を絶つという、二人の恋の終焉を描いた悲劇の物語なのだ。
「まだ来るのか」
アムロとガウが対峙するシーンでアムロが「まだ来るのか」と不思議がる場面がある。
もう勝敗はついた。にもかかわらずなおも攻撃を続けるガウ。バルカンを撃っても、新兵器ビームジャベリンを投擲してもガウは攻撃をやめない。クルーが逃げ出す様子もない。
アムロもガウの攻撃方法がいつもと違うことに気づき「(もう勝敗は決したのに、逃げずに)まだ来るのか」と不思議がっている。
アムロが不思議がるのも無理はない。これは軍隊による軍事行動ではなく後追い自殺なのだから。
戦場で人を殺すということ
誰かに敵意を向けられるというのは本当に精神的に疲弊する。
戦争を続けることは誰かを殺すということであり、誰かから恨みを買うということである。その人は名前も素性も知らないどこかの誰かであるが、確実に自分のことは知っていて、強烈な敵意を抱いている。
それが報復を呼び、それがさらなる報復につながっていく。そんな敵を数多く作ってしまうのが戦争なのだ。
アムロとてこのサイクルから自由なわけではない。第1話でアムロがガンダムに乗りこんだのは、ジオンに対する憎しみ、恨み、敵意という要素もあったことは確実だ。この意味で、今回イセリナの取った行動はかつてアムロがとった行動と全く同じである。
そして、今はアムロが恨まれる順番にあるというだけのことだ。
第11話の感想
本回では戦争が人々の憎しみをかきたて、報復を呼び、それがさらなる憎しみにつながっていくという戦争のリアルが描かれている。とても重苦しく、つらい現実だ。
そんな中でガルマの死とイセリナの特攻は、何かシェイクスピアの悲劇を思わせる重厚な演出だった。
ガルマの死をめぐるザビ家内の対立も実にリアルである。ザビ家も一枚岩ではなく、意見の対立がある。こうした細かな演出がのちのち効いてくるはずだ。
避難民を引き取ってもらい身軽になったホワイトベースだが、連邦軍参謀本部からの明確な指示がない中、今後どのような行動に出るのか。
次回はランバ・ラルの新型モビルスーツも登場する。
果たしてホワイトベースの運命は!?