リアル頭文字Dの世界〜80年代
私が自称走り屋として峠を攻め始めたのは1980年代後半のことであった。
「頭文字D」の設定よりも10年ほど前になるのだろうか?
当時はドリフトをする者などいなくて、少しでも速く走るためのグリップ走行が主であった。低速であまりにもタイトなコーナーに限り、サイドブレーキを使ったテールスライドも行ったが、カウンターステアはあくまでリアが流れてしまった時の修正舵に過ぎなかった。
ドリフトが主流になるまで、峠ではとんでもないスピード域のバトルが繰り広げられていたものである。
実際に走り屋どうしの会話では、どこそこのコーナーのツッコミ直前120km/hとか、140km/hとか、しまいにはリミッターが効いたなどと言う話が平気で飛び交っていたのである。
峠道でキンコン(昭和時代の100km/h超えの速度警報器)を何回鳴らすかが基準値の一つでもあった。
もちろんタイヤはセミレーシングを装着し、ブレーキと足回りをしっかりとチューンしなければトップレベルにはならなかったが、80年代後半〜90年代初頭は日本の歴史上最も公道の峠が速く走られた時代であろう。
90年代に入るとドリフトブームが起きて、峠の平均スピードが落ちることになる。
ドリフトでギャラリーを沸かせるのに、ストレートをそんなに速く走ってくる必要はないし、そもそもタイヤのグリップ力が低い上にドリフトをしたら立ち上がりが遅いからストレートのスピードは伸びない。
当時の肌感覚では、峠は速さを競うものから、トリッキーな技を競い合う場へと変わっていったと記憶している。
しかし、ドリフトさせるには、何もクラッシュの確率の高い狭い峠道である必要はなく、結局は倉庫街や埠頭などの広い場所へと移って行ったようだ。
かつてのセロヨンで走り屋が集まる雰囲気に似ていると思った。
そして、いつの間にか峠にギャラリーが集まることもなくリアル頭文字Dの世界は消えていった。
走り屋ブームが去ったこともあったが、サーキット走行のハードルが下がったことが大きい。
チューニングショップが主催する走行会が増えるなど、サーキットライセンス無しでも走れる機会が増えたからだ。
現代ではクルマを速く走らせるには、コンプライアンス的にサーキットと相場が決まっているが、昔は、ラリーストも峠で練習していて、山奥でラリー車に遭遇すると後を追いかけてみたものだが、全く追いつけなかった。
酷いのになると、レーシングカーをトランポに積んで峠で走ってるレーサーまで本当にいたのだ。真夜中の箱根で何度か目撃している。タイヤはスリックだった。
そんな状態だから、ナンバー付きのNA1クラスの競技車両など普通に練習で公道である峠を走っていたわけである。
逆に言えば、それほどサーキットを走ることはハードルが高かったのだ。
正直、現代でもサーキット走行はそれなりにハードルは高いと思っている。
更には円安や物価の高騰が重なり、ガソリン代も高騰し、日本国内の経済格差が広がるなか、高性能なスポーツカーに乗って、サーキットを優雅に走らせられるのは極一部の人間になりつつあるかもしれない。
クルマ趣味離れということもあるが、心底クルマが好きな庶民には少々厳しい世の中ではある。
だからと言って、再び非合法に峠を爆走する者が増えることはないと思うが、今でも私は仕事帰りに峠に向かってしまうことがある。
昔に走っていたと思しき、それっぽいクルマも時々見かける。
今のところ、誰もが全開で走っている気配はなく、ただ普通に流しているようだ。
私も腕が鈍らないように、Gを感じさせないように綺麗な荷重移動とライン取りに努め、2速か3速ギア固定縛りでゆっくり流しているが、それだけで十分に楽しく脳トレにもなっていると思う。
まさに気分転換には効果的で季節が良ければ森林浴にもなり、私の場合はスッキリとしてよく眠れるようである。