見出し画像

すべてのチューンドカーは違法改造車だった

昭和時代のチューンドカーは、すべてが違法改造車であったと言っても良い。
60扁平タイヤの装着だけでも違法。ダンパーを交換したら、ここはなかなかグレーだったが、基本車検は通らなかった。
ビルシュタインとコニはOKで、カヤバやトキコなど日本製はNGみたいなところがあった。
ましてスプリングを交換するとか、ローダウンなどはもってのほかである。
スポーツマフラーについては、当時は触媒のないストレート管でだから完全にNG。当然エンジン本体に手を入れようものなら違法である。
内装パーツであるステアリングの交換シートの交換も全部ダメで、それどころかアウターパーツメーカーのアルミホイールでさえディーラー車検では通らなかったほどだ。

平成の世になって、やっと保安基準適合マフラーが出始めたものの、ほとんどがまだ違法であった。
シャコタンの車検がOKになったのは、平成に入ってしばらくしてからと記憶している。どうやらアフターパーツの使用は海外の圧力でOKになったようである。非常にありがたい外圧だったと言える。

80年代当時までは、パーツを交換したクルマは車検の度に、一旦ノーマルに戻して車検を通すのが普通であった。
ダンパーはノーマルと同じ黒色に塗ったら通ったとか、ボアアップはバレないなどの噂はあったが定かではない。
検査官によっても違ういい加減なものでもあった。

裏車検という方法もあったが、私のクルマも車検が来るとノーマルに戻していたものだ。
合法にするための改造申請は当時からあったが、これまた異常なほどハードルが高かったのである。
それなのに、チューニングチョップは現代に比べれば物凄く数が多く、有名チューナーや有名パーツメーカーも含めすべてがグレーかブラックで商売をしていたことになる。
売ってるパーツのほとんどが保安基準に適合していないのである。
そのため、ゼロヨンや湾岸の最高速を狙うクルマや峠を走るクルマの99%は、車検の通らない違法改造車だったのである。
もちろん現代の基準に当てはめれば、違法性のないレベルの改造車がほとんであっただろう。

走り屋ブーム全盛の頃、峠の麓や高速道路の入り口で警察の違法改造車取締が増加した時期があった。
私は疲れてしまって、ついにはレーシングマシーンのような見た目のCR-Xを手放してしまった。
走り屋の友人たちもAE86やランサーターボを手放した。
次は、見た目がノーマルで地味なおっさん車風のマシーンに仕立てて走ろうということになったのだ。
スポーツカータイプの派手なクルマも魅力的だが、地味でも速い羊の皮を被った狼にも魅力を感じていたところでもあった。
華やかさはないが、よりツウな感じに思えてそのようなクルマを作ってみたかった。
第一の候補車は、当時のオヤジ車の定番でもっともクルママニアの嫌うダサ車ナンバーワンのカローラセダンである。
当然ボディーカラーは白。
グレードは、AE86やMR2と同じエンジンの4AG型が搭載されたGTグレードであった。4AGは7700rpmまで回る素晴らしい高回転型エンジンであり、現代でも有名だ。チューニングパーツも多く出ていてイジりやすかった。

実際には友人の一人がカローラセダンGTを買い、結局私は5ドアのEP82型スターレットのソレイユという女性仕様のグレードにした。
ほかの友人たちは走り屋を卒業してカマロ、BMW、ソアラなどに乗り換えていた。
見た目でノーマルを装うには、スポイラーがついていたり、社外ホイールがついていたり、車高が下がっていてはいけない。
足回りは、当時のジムカーナやラリー車両のレギュレーションに準じることにした。ダンパーの変更はOKだったからであり、バネはノーマルのままカヤバのジムカーナダンパーを装着した。
タイヤは純正のアルミホイールを仕入れて、70扁平のセミレーシングタイヤを装着。あとはブレーキパッドを交換して終了である。
問題は横Gに耐えるバケットシートを交換するわけにはいかないことであったが、それだけは踏ん張って耐えることにした。

だが、どれだけ精神的に楽になったことだろうか。
警察に目をつけられることもなく、検問は全部クリアで山に入ったものだ。
もう一つ、クルマには天体望遠鏡を積んでおいた。
何かの折に警察に停められたときにも、天体観測で山に入りますという言い訳に使えるからだ。
私は本当に天体が好きだからちょうど良かったのだ。

EP82型スターレットはCR-Xに比べれば、絶対的なスピードは遅くなったが、操縦性はマイルドで扱いやすかった。
CR-Xと同様に、FF車でありながらテールが少し流れる感じで中速コーナーをクリアできたのだ。
下級グレードで車体が軽かったことも大きな利点であった。
後に、私と同じ仕様のクルマがジムカーナの定番となったくらい、今思えば良いマシンだったのだ。

その後は、改造が解禁になっていったが、私も友人たちと同様に走り屋をやめてしまって国産の改造車には乗らなくなってしまった。
せっかく合法にチューニングできる時代にになったにもかかわらず、私はあまりその恩恵を受けていないのであった。

いいなと思ったら応援しよう!