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NEC PC9801と「レコンポーザ」〜コンピューターミュージック黎明期の世界一優れたMIDI打ち込みツール〜DTM&DAWの歴史 その2

NEC PC9801は、世界がWindows PCに埋め尽くされる以前、日本が誇るビジネス向けパーソナルコンピューターであった。基本的にはマイクロソフトのMS-DOSをベースとするものだが、NEC独自のMS-DOSとなっている。1982年に発売され、1995年で開発終了となった。

さまざまなソフトウェアが、 PC9801用に開発され、その流れで音楽制作用のシーケンスソフトもいくつか開発された。

その中で、最もプロの現場で使われたシーケンスソフトはカモンミュージック社の「レコンポーザ」であった。1985年に「RCM」という名前でデビューし、RCMver2.5で「レコンポーザ」という名称になった。
私が PC9801を導入したのは1990年代に入ってからで、RCMver2.1の頃だったと思う。当時業界では、メーカー名のまま通称「カモンミュージック」とか「カモン」呼んでいた。

この PC9801+レコンポーザの組み合わせは、コンピューターミュージック史上、最も打ち込み(音符入力)が速いソフトである。

それまでの私は、ハードウェアシーケンサーであるローランドのMC500を使っていたが、一度レコンポーザを使ったら二度と戻れなくなった。また、同時にMacも持っていたが、使用目的が違っていたので、この時点では安定度も含めて PC9801+レコンポーザの方を中心に使っていた。

レコンポーザ以上に優れた爆速入力ソフトは、以後Windows PCでも、音楽業界御用達のMACでも一度も出てきていない。

音楽を自動演奏させるMIDIデータの基本要素は、音符の位置と長さの情報である。
だが、これだけの情報では音楽的でない機械的な演奏になってしまうので、音の強弱、テヌート、スタッカート、クレッシェンドなどの演奏表現の情報も入力していく緻密な作業が必要なのである。

その際、他の多くのシーケンスソフトはマウスを使って視覚的に行う。しかし「レコンポーザ」は、全てのパラメーターをダイレクトにカーソルキーとテンキーを使って数値で打ち込めることが最大に強みであった。

例えば、中央の「ド」(C4)の音を入力するには、これは60番とノートナンバーが決められている。「レ」は62番「ミ」は64番「ファ」は65番である。半音ごとに一番ずれると考えれば良い。オクターブ上の「ド」(C5)は72番となる。

音符の長さは四分音符が48を基準としていて、半分の八部音符は24、倍の二分音符は96という数値になってる。(後に四分音符は480となるが、当初は48であった。)
アーチュキレーションの表現は、例えば、八分音符に対してテヌートにしたければ、ゲートタイムを24に、スタッカートにしたければ、24に対して8とか10を入力する。
音の強弱については、1〜127の数値で入力し、0を入力すると休符になる。

一度全ての数値を覚えてしまえば、音符を入力するのにこれ以上に速い装置がないのである。もちろんMIDIキーボードも併用できるので、さらなるスピードで入力できた。

1990年代まで、レコーディングスタジオで打ち込みを行なっていた時代では、これほど重宝したソフトはなかった。

では、なぜそれほど優れたソフトが他に出てこないのか?

理由は、入力インターフェイスのベースが「MS-DOS」でなければならないからである。
PC9801の生産終了に伴い、時代の流れで、レコンポーザもWindowsに移植されたのだが、これが全くダメだったのである。Mac版に至ってはさらに酷いものだった。

私は何とか、Windows内で近い環境にまでカスタマイズして、頑張って慣れてみたものの、OSの特性上、ダイレクト感がMS-DOS版に全く及ばなかった。簡易的なものなら何とかなったものの、緻密な作業にはストレスが溜まって仕事にならなかった。

確実に退化したのである。

おそらく音楽だけでなく、 PC9801を専門業務で使うものの中には似たようなことが起きていたはずである。

退化と言えば、ガラケーからスマホになって、ダイレクトにすぐに電話が掛けにくいなどの弊害が出てきた。
これは慣れの問題ではない。人間工学的に退化していると言わざるを得ない。
人間の身体構造は何も変わらないわけだから、物理的スイッチでカチッとダイレクトに操作できなければ効率が悪いのである。

特に最近の自動車は、運転中に操作するスイッチ類までもがスマホのようになっているが、指の感覚でわからないので、よそ見をしなければならない。それはもうスマホを運転中にいじるのと同じ危険な行為になってしまうが、そのような車が平然と売られているわけである。

MS-DOSだけではなく、長い人間の歴史の中でも、様々な分野で、時代の流れによって、実は退化してしまった技術も多くあるのではないだろうか?

話が脱線してしまったので元に戻すと、レコンポーザを使い続けるためには、古いPC9801も一緒に使い続けるしかなく、中古でできるだけ新しい PC9801シリーズを確保しておく必要があった。90年代の末には、私も2台ほど余分にストックを買ったものである。

ついでに言っておくと、実はレコンポーザには PC9801用だけでなく、IBMの「MS-DOS/V」版のものもあった。 PC9801シリーズは生産終了となったが、Windows用に自作したPCをDOS/V機として使いこれをインストールして予備機とした。

MS-DOSのPCは、アナログの電話回線を使ってパソコン通信は行なっていたが、インターネットに繋ぐことはできずにスタンドアローンで使っていたので、OSのサポートも何も必要なかった。そのような概念がないので古いまま使い続けることができた。
時にMS-DOSの知識がないと困ることもあったが、私は何かあると知識のある仲間にサポートをお願いをしていた。

しかし、バージョンアップもサポートも必要ないとなると、ソフトメーカーは立ち行かなくなる。結果として新規の顧客を確保できなかったカモンミュージック社は、現代では営業を終了している。あまりに素晴らしいソフトだっただけに気持ちは複雑だった。

1990年代の私はMacとPC9801の両方を使っていたが、実はそれぞれに良いところがあった。

PC9801+レコンポーザの得意技は、すでに出来上がった楽曲の緻密な音符の入力作業であった。

スタジオ作業ではアレンジャーの書いてきた譜面を打ち込んだり、現場で細かい音楽表現をエディットするのにも優れていて、私は PC98のノート版をスタジオに持ち込んで作業を行なった。
また、特に1991年から開発が始まった通信カラオケ用のデータを制作するのに威力を発揮したものである。耳コピーをしながら打ち込むにはやはり最強だったのである。

一方、MIDIキーボードを演奏しながらアイディアをメモしたり、全体のラフスケッチやゼロから作曲するには、Macのソフトの方が優れていたのは確かである。
もちろんレコンポーザでも可能であったが、90年の後半のシーケンスソフトは、オーディオトラックを併用できるDAWにまで進化しつつあり、どのみちMS-DOSでは対応不可能であった。

ある時期から私も入力やエディット作業部分の効率は諦めることにしたが、業界の友人の中には、全体像はMac、緻密なエディット作業は未だに 古いPC9801やWindows用の PC98エミュレーターを使い続ける強者もいる。


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