145_あらかじめ決められた恋人たちへ「ブレ」
関西に住んでいた頃、SNS上の趣味のコミュニティに参加していたので、オフ会に出たことがある。大した人数など来ないだろうと思っていたら、20〜30人規模くらいまで膨れ上がっていた。とりあえず、大きな公園みたいな場所でバーベキューをやろうということになって、有象無象の男女がゾロゾロと集まっていた。不思議な光景だった。
自分的には初対面の人間ばかりでこういう時の自分のテンションの整え方というのに、すごく戸惑いがあった。ネット上では軽口を叩いて、色々と冗談を飛ばして盛り上がっているのに、リアルに会うときの相手との距離の取り方というのは独特のものがある。これは俺があまりオフ会に参加し慣れていないせいかもしれないが。「ああ、あの人はあれの」ネット上のアイコンのキャラと実際に目の前に現れた人間のギャップに戸惑う。まあ、それがネットを介した人との繋がりというものなのだろうか。
少しまだ会の雰囲気が固いのを察してか、まとめ役的なシノブさんという方が場の空気を和ませようとする。じゃあ、ここでみんなで写真を撮りましょうと言って、グループごとに写真を撮って回っていた。人懐こそうな笑顔を振りまく彼の雰囲気につられてか、お酒も入ってなんとなくこの場が打ち解けていくのがわかる。
「じゃあ、撮りますねー、はい」
シノブさんが撮って回る際に、自分も写真の枠内に入り込もうとすると、これまで話していなかった、隣の女性と肩と肩とが触れ合う。
「あ。ごめんなさい」
ほんの一瞬だけ、お互い顔を見合わせると、長いまつ毛と透明感のある顔立ちの女性が目に入る。一応、SNS上のネームがわかるように、簡単な名札が胸につけてある。名札にはサナエさんと書いてあった。
一瞬の肩と肩との接触に躊躇する俺をまったく意に介さないように、サナエさんはグッと俺の隣に詰めてきて、シノブさんの持つカメラの方に視線を向ける。彼女の体温を薄い生地のブラウスと肩越しに感じる。俺は年甲斐もなく、中学生のようにドキドキした。自分のパーソナルスペースの、女性の側から詰められたのははじめての経験だった。
「あの…」
「サナエです。イネさんですよね、私の前アップした記事でもコメントくれませんでした?」
「え、あ、はい、そうです。イネです。あ、てか、サナエさん、そうだよね、ああーそうか」
写真を撮り終わって、彼女と話した時には動揺のためか、敬語とタメ口が混じって、時折訳のわからない口調になっている。まだ肩口で感じた彼女の感触がじんわりと俺の体に残っている気がした。
「そうそう、そうなんですね」
「やっぱり、あの時はすごい盛り上がりましたもんね」
天気のいい野外の空間でお酒も入ると、ひとしきり会話も盛り上がるものだ。前の彼女と別れて1年以上たち、こんなに女性と打ち解けて話すのも久しぶりだった。
お互いの視線の奥に男女特有の感情の交錯が見て取れる。いわゆる、これは「いける」ってやつだ。俺は静かにテンションが上がっているのを、相手に悟られないようにしているつもりだが多分無理だろう。周りから見たら、すごいわかりやすく顔がほころんでるに違いない。
「それで、あのー、あのね…」
「え?」
彼女が急に声のトーンを抑えた。内緒話を聞くように、俺は彼女の声に聞き耳を立てるような格好になった。
「あの、後ろのミリタリージャケットにニット帽かぶった着た人ってわかります?」
俺は目立たぬように彼女越しにその人物を一瞥する。俺は、あっという表情を浮かべて、すぐにそれを自分で打ち消した。あいつは。
「あの、もしかして、あの人って」
「ああ、マナブって人じゃないですか」
「そうそう、そいつです。マナブって、名札に書いてありますね」
「ええ」
僕はマナブというネームの男と、SNS上での炎上までには至らない「ちょっとした」やりとりを思い出した。コミュニティ上で、いわゆる彼は有名人だった。それは厄介な方の意味での名の知られ方なのだが。規約に明確に違反した迷惑行為や禁止行為を行うわけではないのだが、空気の読めない行為や、めんどくさい、かまってちゃん的な言動というのはネット上でよく目に付く。
俺も一回、このマナブという男に絡まれた。まだ僕がコミュティに参加して間もなく、彼の存在をあまりきちんと認知していなかった頃の話だ。もうあまり内容は覚えていないのだが、なにがしらの彼の感情的な言動がどうも目についてしまって、こうこうこうなんじゃないかと指摘するようなコメントをしたら、翌朝に何十件も彼からのコメントがついていた。全て自分の指摘に対して、詰問したりマウントを取るようなコメントばかりだ。
「うへえ…」
コメント欄を見て思わずそんな声を出る。全て読む気になどなれない。味のないまずい団子を無理やり口の中いっぱい入れられたような気持ちだった。ああ、そっか、わかった。絶対、触れてはいけない奴だわ。リアルでこうなってしまったら、「もう俺が悪かったです。勘弁してください」と言っているところだ。
ネット上には時折、距離感がわからない人間が存在する。それは現実世界と一緒だ。周りで見る分には冷静でいられるが、いざ自分が絡まれた時には、如何ともし難い嫌悪感に苛まれ、その後1日中不快な気分だった。(もちろん彼からの山のようなコメントについて、僕はノーリアクションに徹した)それからは、コミュティにおける彼の存在を俺の意識の中から消すようにした。
しかし、俺を含めて皆が彼の存在というものを抹消すればするほど、彼は余計に「俺の存在を見て欲しい、認めて欲しい」と声高に喧伝していく。無視すればするほど、認知せざるを得ない。寝床で見まい見まいとするほど膨れ上がっていく悪夢のように、彼はなんとも逆説的な存在に思えた。
「そか、来ちゃってたんだね、今日」
「みたいね、リアルではああいう感じの人なんだね、マナブさんって」
「結構強烈だよね、実物見ると。インパクトでかいっていうか」
「うん、わかる」
僕は彼女と交互に後ろにいる彼の存在を盗み見る。歳は20歳代後半から30歳前半くらい。特徴的な複数のワッペンが付いたミリタリージャケットは、見たかぎりだいぶ年季が入っている。絶対に合コンとかではNGな服装であることは間違いない。
リアルで見る彼の挙動や立ち居振る舞いを見るにつけ、僕はああいう人間独特の動きとか間の取り方があるのを思い出していた。小学校や中学校の同級生の中にも必ずこういう異質な人間というものは存在していた。もちろん、知能に障害があるとか、そういう明確な周囲と差があるわけではない。
しかしながら、確実に周りの人間から線引きをされ、距離を置かれてしまう存在。いわゆる「やべーやつ」という烙印。世の中には関わらない方がいい人間がいるっていうのは、学校に行って教わる大事な義務教育の一つだと思っている。
彼の存在を遠巻きに感じつつ、俺はサナエさんとの話に集中することにした。これ以上、彼を見てはいけない。マナブの視野から、自分という存在を消しておかなければならない。奴に気づかれると厄介だ。奴は話す相手がいないのか、(周りも奴の存在を認知して察したのか)キョロキョロしている。その姿が中世の道化師や狂言回しのようにやけに滑稽だった。
どうしてもマナブの存在が頭の中で重しのようにもたげてしまう。ああ、くそ、今日はこんないい感じの女性に会えたっていうのに。それを帳消しにしてしまうくらいの、マイナスの振り幅を持ったマナブという人間の存在に対して、俺は憤りを禁じえなかった。
マナブの存在を意識的にスルーしつつ、サナエさんとの話を盛り上がったところで会は散会することになった。皆このあとは、三々午後それぞれ別行動ということになる。当然、俺の狙いは一つである。
「あの、この後、もしよかったら、いいんだけど…」
「えーっと、ごめんなさい、今日はこのあとは私予定があって。妹が来ることになっているの」
「あ、そうだよね、じゃあ、次…」
「うん、ごめんね、また次お願いしようかな」
俺はわかりやすく肩を落とした。仕方ない、次だ、次につなげられれば。今日は彼女と知り合えただけでも十分だろう。(しかし、家族が家に来るというのは女性がよく使う断り文句のひとつでもあることも俺は理解している)まあ、なんにせよ、今日はついてる日には違いない。
その瞬間、不意にギクッとするものを感じる。視線を感じるのだ。恐る恐る振り返ると、マナブが俺のことを見ている。結局、今日一日奴とは一言も言葉を交わしていない。向こうも自分の存在を認知しているとは言い難いはず。しかし、奴は何かを言いたげだった。食い入るような視線に俺は硬直した。一体何をどうしたっていうんだ。結局、別にそのあとは何もなく、その日は誰もいない自分の家に帰った。
それから数ヶ月経った。サナエさんとはあれから、約束して外の店で一回会ったのだが、前回と比べてそこまで気持ちが盛り上がらなかった。付き合っていた元カレがどうだったとか、相手からなんとなくうまく話をはぐらかされたような感じだった。肩透かしを食らったというか、なんとなく相手と気持ちが通じ合っていたと、勝手に俺だけが夢を見ていただけだったのかもしれない。次に会う約束もない。
それから、あのSNS上のコミュニティもパッタリと止めてしまった。段々と同じようなコンテンツが目立ち始めていたし、元々惰性で見ていた感はある。トレンドも移ろっていくにつれて、人が集まらなければ、次第にその場所も廃れていく。それはネットもリアルも同じだった。
マナブの存在というものも今は知れない。ネット上の違う場所でまた「ちょっとした」ことが起こると、ふと彼のことを思い出す時がある。またどこかのコミュニティで同じように鼻つまみ者になっているかも知れない。しかし、ふとした瞬間に、こうやって誰かに自分の存在を思い出してもらえることがあれば、彼の目論見はある意味成功しているのかも知れないと思った。
マナブが死んだというのは、それから少しして知った。自殺だったらしい。
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