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340_環ROY「BREAK BOY」

この日、東京は桜が満開だった。目黒川は久しぶりに愛でる桜に人々の顔がマスク越しにもほころんでいるのがわかる。大輝が東京にいることは人づてに知ってはいたが、会うのはこれがはじめてだった。最後に会ったのを正確に覚えていないが、7年ぶりくらいになるのだろう。桜が見える場所がいいと言っていたので、井の頭公園はどうかとメールを送ったが、あちらのアクセスの関係で結局目黒川に決まった。

「よお」
「久しぶり」
ディーンアンドデルーカで買ったコーヒーを片手に目黒駅で突っ立っていた僕の肩を大輝は音もなく叩いた。少しばかり白髪が混じっているが、人を試すような大輝の顔つきは変わっていない。外資系の輸入会社に勤めているとは聞いていたが、グレーのシックなシャツにネイビーのパンツに黒縁メガネをした大輝は、身なりのいいエリートサラリーマンと言えば聞こえはいいか。

サルエルパンツだとかタイダイ染めのTシャツだとか、さすがに昔のような突飛なファッションはやめたようだ。それはそうだ。7年前、岡山でドサ周りをするしかない売れないミクスチャーバンド(のようなもの)でボーカルをしていた頃とは雰囲気がまるで違う。東京で会う大輝は、身のこなしや喋り方まで都会風でこなれているので、話していて時間が経つまで、どうにもしっくりこなかった。

「実は来月から、シンガポールに移ることになって」
「そうだったのか。まだ結婚はしてないのか」
「一応、これを機に連れていくつもりだよ、まだプロポーズもしていないけど」
大輝ははにかんだ笑顔を作る。バンドの中で一番尖っていてギラギラして人を寄せ付けないところがあったが、あの頃に比べ少し体型がふっくらもしたせいか今では表情におおらかさえ感じられる。
「まあ、これから人生どうなるかわからないけどね、一応籍は入れとこうと思って。いい娘だよ、俺にはもったいないくらい」
「結婚するってのはいいことだよ、根っこが生えるから。家族って、どういう風に生きていくにあたっても最優先になるし」
「お前からそんなセリフを聞くなんてな。子供もいるんだっけ」
「うん、2人。4歳と2歳。かわいい盛りだよ。そりゃもう毎日大変だけど」

俺と大輝と他3人のメンバーで地元の岡山で結成したバンドは、決してうまくいっているとは言い難かった。元々は大輝が集めたバンドなのに、言い出しっぺの大輝自身がやめると言い出したとき、自分でももうこれが潮時だと感じていた。皆が20代も後半に差し掛かった時に、明るい未来というのはどうやら選ばれた人間にしかやってこないことに段々と気づきはじめていた。だけど、俺たちはどうしてもそれに抗おうとせずにはいられなかったのだ。

だが、大輝が去ったそのあとすぐに俺もバンドを離れて、しばらく他のメンバーとも連絡を絶った。そして叔父の経営する東京の小さなIT会社に場所を見つけた俺は、5年前に結婚して子供も産まれ小さいながらも家庭を持った。バンドはそのあとも少し活動を続けていたらしいが、もう皆それぞれ違う人生を歩んでいる。

「なあ、あのまま続けていたらどうなっていたかとか考えないか」
「考えないことはないよ」
川面に散っていく桜を追いかける小さな子供と親子連れを見ながら、大輝と目を合わせず俺は淡々と答える。大輝の表情は、別に真剣に答えを求めているのではなさそうだ。
「正直、しんどかった、あのバンドは。すげー楽しかったけど、もう一度あれをやれって言われるともう無理だなって思う」
「あれはお前のバンドだったのに。散々お前自身が引っ掻き回しておいて、今更よくそんなこと言うよな」
「そんなに引っ掻き回してたかな、俺?」
「急にライブ会場にキャンドル立て出したりしただろ、あとポエトリーリーディングとかな。あん時は、なんであんなことやっていたんだ?」
「そんなことやってったっけ。もう思い出せんわ」
「他のやつと一緒に、キャンドル大輝だとか言ってたんだよ」

岡山弁が混じって、二人して声を出して笑った拍子に手に持った紙コップのビールが溢れそうになった。昔は大輝に対してこんな砕けた言い方なんてできなかった。バンド内はいつも大輝に支配されていて、ある種の緊張状態だったのかもしれない。俺は元々そういうポジションだったというわけではないけど、バンドをやっていた時に俺は大輝と腹を割って話をした記憶はない。

「わかんないな。何かに憑かれてたのかもしれない、あの頃は」
「確かに。今は憑き物に落ちたような顔してるよ」
「彼女にバンドやってた頃の写真とか見せられないからな、もうひどすぎて。即興でラップとかしてたなんて、とても言えない」
「みんな、売れたいって思ってすごい一生懸命だったんだけどな。お前も色んなものに手を出したりして。なんとかしようって言う気持ちの裏返しだったんだって、今ではわかるけど」
「でも、結局、うまくいかなかった」
「結局、なんでバンドをやめたんだよ、お前は」
「わかんない、今でも。でもあの時、このままじゃうまくいかないってことだけはわかってたんだと思う」
ソーセージを頬張りながら、大輝はすっと立ち上がって舞ってきた桜の花びらを手のひらに掴んだ。

「結局はさ、それも必要なプロセスだったんだよ」
月並みな言い方かもしれない。あの時のバンドの暗澹とした状況を思い返せば、少しは大輝を責めたい気持ちもあったかもしれない。だが、俺は淡々としていた。足を組んで座りながら、川面で日向ぼっこしながらくつろぐカルガモたちのリラックスした光景を眺めていた。

【環ROY Tamaki Roy - Break Boy in the Dream feat.七尾旅人】

「必要だったのかな?失敗することが」
「大きな流れみたいなものがあってさ、人生には。その流れに押し流されまいと、みんな必死に抗おうとするんだけど、ある時にふと気付くんだよ。流れに逆らおうとせずに、もうそのままその流れに身を任せた方がいいんじゃないかって」
「わかる気がする」
「でも、流れに逆らっている時には自分でそれに気づかないんだよ」
「だから、もう一回完璧に失敗しないと気付かないってことか?」
「そう。自分でこうなんだって、腹落ちするまでね」

なんとなく俺は感覚的な物言いになっていたが、でも言っていることは間違いはないと確信していた。俺の言いたいことが大体伝わっていることは、大輝の表情を見ればわかる。アルコールが入っているから、饒舌になっているわけではない。あの時代が自分にとってどういった位置付けなのか、大輝に伝えたかった事だし、自分の中でも整理しておきたい重要なタスクだった。

大輝がバンドを離れた時に、俺はこの場所に留まっていても何も得られないのだと確かに感じた。その時、色んなものが自分の中でガラッとひっくり返された。俺はこの場所にはこれ以上いられないという気持ちが、何物に変え難い確かな実感としてあった。他のメンバーとかの関係もあったけど、岡山からなんのしがらみもない東京に出てきて、そこからは完全に流れに身を任せる事にしたのだ。

「結局、すげーヤバい何かになりたかったんだと思う。俺は」
「みんなそうだったよ、俺も他のやつも含めて。今の自分じゃない何者かになりたいって」
「自分探しってやつか」
「まあ早めに気づいてよかったかもしれないなって話さ」

あの頃の尖っていた大輝との緊張関係も何もどこかに消え失せて、今はもう完全に次元の違う場所で話をしている。桜が舞っているせいか、ここが夢見た桃源郷みたいな場所かなにかに思える。大輝とこんなに近い目線で話す事になるのだなんて、あの頃の自分からしたら、とても想像し得ない不思議な感覚だった。生きていると、こんな気持ちになることもあるんだな。大輝も同じ気持ちなのかもしれない。

その時、大輝はふと思い出したように、あの背の高いギタリストの名前を口に出した。
「誠吾の葬式行けなくて、悪かったな」
「仕方ないさ。急だったから」
「あの時、俺、いろいろあって。まあ、たぶんみんなそうなんだけど」
「そう、みんな、色々ある」
生きていればいろいろある。いなくなった奴のことも少し考えながら、俺は紙コップの中のすっかりぬるくなったビールを飲み干した。

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