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192_The Smashing Pumpkins「Mellon Collie and the Infinite Sadness」

仕事やら長女の中学校の催しだとか地区のイベントだとか、慌ただしい日常にも一応の一区切りがついたのをいいことに、私は一人実家に帰ることにした。実家は東京から電車で2時間ほどでたどり着ける場所にあるが、日頃何かと理由をつけて帰るのを先延ばしにしがちだ。トンネルを抜けて景色が変わって、見慣れた山々や古くからある建物が目についてくるたび、ああ、帰ってきたんだという気分になる。

長女は週末、習い事の関係でメンバーで四国に遠征に行くんだと行って先週からせかせかしており、夫は週末ぶち抜きの沖縄出張。(どうせそういう風に、日程を組んだのだろう。土日は絶対に島内の観光をしているはずだ)私だけが家に週末に一人で取り残されるのがなんとも癪で、どうせやることがないのならなんとなく家に帰ろうかという気分になった。

夫と娘と住むこの都内のマンションも間違いなく今の私の家には違いないが、やはり幼い頃から住み慣れた実家には今も形容し難い特別の感情がある。父も母もすでに70歳近くだが、幸いありがたいことにまだ元気に過ごしている。母は最近はスマホを使いこなしているらしく、私が実家に帰ることを伝えると、ご丁寧にLINEでスタンプが送りつけられてきた。

「町内の足腰膝教室の皆さんに配れる東京の珍しいお菓子などお土産に買ってきなさい。8人分くらい。個別の袋で配れるやつ」
はいはい。私は心の中で呟いた言葉を、そのまま「はいはい」と打ってメッセージを返した。「はいは一回でよろしい」という声が母から飛んできそうだと思った。私は途中の品川の駅ビル内で割とこだわり目のお菓子を仕入れることにした。

やけに文面が命令口調で指示が具体的なのに、その後にペンギンのスタンプでお辞儀しているものが送り付けられているのが、なんともおかしかった。スタンプも自分で購入したのかしら。

昔から家族の中でも母は特別、天然気味である。母からのメッセージには、いつも笑かされる。私の家族の中でもとっておきのエンタメになっている。父と母と私と、九州に嫁に行った3つ上の姉の4人のLINEグループ「楠田家」には、日々母からいつも脈絡のないメッセージが送りつけられるのだ。

この前も、毎朝、新聞紙入れのボックスから取るはずの新聞がないと言って、誰かに盗まれたのではないかとメッセージが楠田家に送られてきた。私はその時、通勤の電車の中で、頭の中は朝一の他社との合同打ち合わせの内容でどうにも頭がいっぱいだった。正直、その時の私には朝から母のそんな与太話に付き合っている脳のメモリなどは持ち合わせていなかったはずだが、私は反射的に「そんなの誰も盗らないよ」と返しておいた。

しばらくしたら、姉から「新聞屋さんがたぶん今日は休みなんじゃないの」というメッセージが入った。至極真っ当なご指摘だ。九州で専業主婦の姉も、この時間は家族を会社と学校に送り出して、今は家でコーヒーでも飲んでほっと一息という時間帯だろうか。

またしばくしたら、母から「休みではない!毎日ちゃんと届けてきてくれる。今日だけ、ないのはなんかおかしい」と返ってきた。私は電車内で吹き出しそうになった。「そんなん知らんがな」というやつだ。しかも「休みではない!」の!だけご丁寧にまた絵文字になっているのが余計におかしかった。どこにエネルギーを使っているのだろう。

家族相手にそこまで強い否定を主張する必要なんかないでしょうが。姉から「そうなの」とそっけない返しがあったのも、またシュールで面白かった。日々のストレスマックスで風船のようにパンパンに膨らんだ私の心から、プツンと柔らかい針でガス抜きをしてもらった気分だった。

午後、打ち合わせを終えて一息をついた昼休みにスマホを見たら、今度は父からメッセージが入っている。隣の家の飼い犬のマックがたまたまうちの新聞紙ボックスが開いていたので、どうやらそのまま新聞紙を咥えていってしまっていたらしい。なんてこともない話だが、確かに母の言う通り「誰かに盗まれた」のは確かだった。

隣のおばさんがマックが咥えていた新聞紙と一緒にお詫びのお菓子を持ってきて、そのまま母とリビングで2時間ほど喋り倒していたらしい。犯人であるマックにも特にお咎めもなし、ということだそうだ。父からのメッセージは「どうもお騒がせしました」という文言で締め括られていた。いつも丁寧な物腰の父らしくて、それがなんともいじらしかった。

その後、姉から「いえいえ」というメッセージが入っていた。私は「見つかってよかったね」とスタンプ付きで返しておいた。いつも母の突拍子のない行動を温かくフォローするのが父の役目だった。両親は良いコンビ、いや良い夫婦だと思っている。

家族内の究極の内輪ネタって、なんでこんなに面白くて温かいのだろうと思った。たぶんなんとなく何も深く考えなくとも、率直に言葉を交わせるのが、家族の間だけなんだと思う。それはこの家族の中だったら何を言っても大丈夫なんだ、という気持ちが根底にあるからなんだと思う。

父も母もそこまで要領はよくないし、家も裕福ではなかったけれど、真面目で善良で、人を貶めたり悪口も言ったりしない。他人に対して真摯なのだと思う。「成功者」とか「勝ち組」とか世の中に溢れているけど、なんてことはない、うちの両親は世間では単なる「いい人」という範疇にしか括られることはないだろう。でも、その姿勢というものを見て私も姉も育ったし、いつでも自分の両親のように、他人に対してそうあろうと思って、これまでやってきた。

自分も家族を持って、それがどんなに大事なのかということもよくわかった。そして「良き隣人であれ」であると同時に「良き両親であれ」ということが、どんなに大切で難しいか。父と母は私たち子どもに対して苦労している様子など見せなかったし、常に我が家は「安心安全」だった。それはその家で過ごす子供にとって、一番必要なことなんだろう。

家の前まで来ると、パンプキンスープの匂いが漂ってきた。母は寒くなる季節になるといつもパンプキンスープを作る。かけがえのない我が家の味だった。急にお腹が減ってくる。自分の家でも同じものを作ろうと思ってなんとなく母に作り方を聞いたら、あまりに手間がかかる料理であることに驚かされたものだった。出されものを食べるだけでよかった子どもの頃は、母の手料理の手間など考えたことなどなかったのだから。

私の胸の中に、パンプキンスープのようにあたたかくじんわりとしたものがひろがっていくのが感じられる。私は品川で買ったお菓子のお土産袋を手に引っ掛けて、家のドアをゆっくり開けた。

「ただいまあ」
いつも、いつまでも、私はこの家に帰ってくるときには、この言葉を噛み締める。父と母が迎えてくれた。
「おかえり」
「あらあ、時間かかったわね。ご飯できてるわよ」
ただいまと言える相手が、どうかまだ生きていてくれるうちは。私は目の中にじんわりと込み上げてくるものを抑えるので、精一杯だった。それは寒い外と温かい家の寒暖差だけが、その原因というわけではないのだろう。私はすぐにリビングに来て鼻を噛んだ。パンプキンスープはすでに準備はされているようだった。


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