【Rー18】ヒッチハイカー:第19話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑰『空と陸からの追跡! そして決戦の場は「夕霧谷」へ!』
「ちいぃ… あの大木を飛び越えやがった。バケモンか、あいつは…」
自分の事を棚に上げて他の存在を化け物呼ばわりしたヒッチハイカーは、顔を前方に向けたままで走る速度をいささかも緩める事無く、いつの間にか頭に生えた二本の触角の先端に作り出した眼球で、後方の様子を窺っていた。
どうやら、この新しく作った眼は望遠機能の様な能力も備えているらしく、後方遠くに引き離した白虎の姿もハッキリと捉える事が出来る様だった。
「どいつもこいつも、なぜ俺が南へ行くのを邪魔しやがるんだ。俺はただ、夫婦二人で南に行って海の見える場所で、生まれてくる子供を育てたいだけなのに…」
ヒッチハイカーはそうつぶやくと、自分の左腕の触手に捕らわれたまま気を失っている皆元静香の美しい顔を愛おしそうに見つめ、彼女に頬ずりをしたり、ほっそりとした静香の白い首筋に長い舌を這わせた。
静香の首筋から服の中に侵入したヒッチハイカーの細く長い舌は途中から二本に分かれ、それぞれが彼女の左右の柔らかく温かい乳房の先端の愛らしい蕾の様な乳首に捲き付き、硬くなってきた乳首を締め付けたり緩めたりと指先でつまんで、こねる様な愛撫を繰り返した。
「あっ… うう… ああぁ…」
気を失いながらも、静香の愛らしい口元から微かな喘ぎ声が漏れ始める…
静香のグミの実の様に硬くなった両乳首を舌先で弄び、愛撫するうちに自分自身も興奮してきたヒッチハイカーは、生殖器が激しく勃起してくるのを感じた。
「この女は俺のモノだ。逃走中じゃなかったら、今すぐこの女と交尾出来るのに… 南へ行ったら、毎日腰が抜けて立てなくなるまで激しく交わるんだ。
そして、いっぱい子供を作ろうな。俺の子種をお前の中にいっぱいいっぱい出してやるからな… 楽しみに待ってろよ、シズちゃん…」
ヒッチハイカーは伸田が呼んでいた彼女の名前を憶えていたのだった。
しかし、ヒッチハイカーは知らなかったのだ。この男は自分が偶然手に入れ、体内に摂取してしまった薬剤の作用により超人的な力を手に入れた時点で、副反応として己の生殖能力を失ってしまっていた事を…
彼は本能の命じるまま、自分の遺伝子を引き継ぐ子孫を残すために、片っ端から女性を捕まえては犯す事を繰り返した。無差別に思えた彼の大量猟奇殺人には、彼自身の種付けをするという目的があったのである。
死体が見つからず捜査当局には知られていないが、ヒッチハイカーはたくさんの女性を同時に違う場所に監禁し、かわるがわる毎日凌辱の限りを尽くして自分の精を女の体内に大量に注ぎ込み続けたのだった。
だが、いくら夥しい量の精子を注ぎ込んでも相手の女性は妊娠しなかった。生殖能力を失った彼には女性に受精させる事など出来るはずが無かったのだ。
身勝手極まりなかったが、その結果に頭にきたヒッチハイカーは監禁していた女性を怒りに任して残虐に殺戮してしまったのだ。邪魔をする男は、何の躊躇も見せずに容赦なく殺した。
こうして、怪物化する事で失ってしまった自分の生殖能力に気付かぬまま、女性を漁っていたヒッチハイカーは、ある日…捕まえた時点ですでに妊娠している女性に目を付けたのだった。
人体を兵器としての怪物へと変えてしまう薬剤の影響により、怪物化した彼の思考能力はすでに著しく損なわれていたのだ。捕まえた時点ですでに妊娠していた女性の胎児が、他人の子供か自分の子供なのかの見分けもつかなくなっていたのだった。
ヒッチハイカーは国道を高速で逃走しながら、山側の木々をなぎ倒し続けた。国道に倒れ込んだ木々は、多少なりとも追跡者の妨げとなるだろう。道路を完全に遮断するのは無理としても、時間稼ぎが出来ればそれで良いのだった。
逃走を続けながらヒッチハイカーは、ミミズの束の様な見かけをした自分の伸縮自在の筋肉で出来た触手が、意志によって硬質化出来る事に気が付いたのである。
彼は人間の形状だった自分の二本の脚を、アスファルトの路面を容易く粉砕し、銃弾をも簡単に弾き返す8本の外骨格の脚に変質させた時と同じ様に、触手の表面を自分の意志で金属よりも硬い状態へと変化させたのだ。
触手を硬質で鋭い刃状に変質させることにより、愛用の山刀を使わなくても、簡単に木々の幹を断ち切ってしまう事が可能となったのである。
ヒッチハイカーは国道脇の山側に生えている樹林はもちろんの事だが、岩石などがあれば粉々に砕いて道路上にばら撒いた。そして、道路の谷側を防護しているガードレールまでも簡単に切り裂いたり引き抜いたりを繰り返して、破片を次々に道路上に放置した。
ヒッチハイカーの通過した後の国道の路面は、滅茶滅茶に散乱した障害物で覆いつくされていた。
「はははははっ! これでも、まだ追って来れるか! 化け虎野郎めっ!」
左腕の刃の様な触手で道路を次々に障害物で埋め尽くして走行不能状態にし、人間の形状を残したままの右腕に抱いた静香の衣服の下に挿し込んだ細長い舌を使って、意識喪失中の彼女の白くきめ細かい肌を直に舐め回しながら、ヒッチハイカーは狂った様に走り続けた。
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「くそつ! あの野郎、好き勝手に道路を滅茶苦茶にしやがって!」
毒づきながらも、目の前の道路上にある岩の欠片や倒木、ガードレールの破片を軽々と躱しつつ、白虎は追跡の速度をいささかも緩める事は無かった。ある時は跳躍で飛び越え、またある時は山側の垂直に切り立った崖の壁を三角跳びの要領で蹴って軌道を変える事で障害物を飛び越えながら進んだ。
「うわわーっ! うわああーっ!」
伸田にしてみれば、一瞬たりとも生きた心地のしない追跡行だった。白虎の背中から落ちない様にしがみ付く事だけで必死だったのだ。
彼に乗馬の経験は無かったが、競走馬に乗っている方がまだましだったろう。一時でも気の休まる事の無い絶叫マシーンに延々と乗り続けているような心地だったのだ。しかもこの白虎の背中という絶叫マシーンは、安定のしない高速での前進移動のみならず、上下左右に飛び跳ねる予測のつかない三次元的な動きも加わるのだ。
上や前を見ていると首が千切れそうなほどに振られてしまうので、伸田は激しい動きの間は白虎のフサフサの毛皮に顔を押し付けていた。したがって前の様子が分からないので、暗闇の中で搭乗する絶叫マシーンの様だといえた。当然、嘔吐感もしょっちゅう襲ってくるわけだが、残念ながら伸田には我慢し続ける事など不可能だった。
「うげえっ! げえええぇっ!」
せめて横を向いて吐く事が、伸田に出来る精一杯の努力だった。もう何時間も食べ物を口にしていないため、吐き戻すのはほとんどが酸っぱい胃液と黄色い胆汁だった。
「うわっ! 汚ねえな、この野郎! 人の背中でゲロ吐くんじゃねえっ!」
伸田が吐くたびに白虎が怒鳴り散らすが、それは無理というものだった。乗馬の様な鞍や安全ベルトも無しに気を失わないで背中にしがみついているだけでも、超人的な精神力と体力だといえるのだ。並の人間ならとっくに振り落とされていただろう。
白虎も内心では伸田の予想をはるかに超えた頑張りに、正直舌を巻いていたのだった。
『こいつ… なんて野郎だ。ずっと気を失わないで、俺の背中に振り落とされずにしがみついてやがる。
俺みたいな獣人ならまだしも、ただの人間がこれほどの苦行の連続に耐えられるなんて信じられないぜ… こいつの方が「strongest」を投与して強化人間以上のバケモノと化したヒッチハイカーよりも、じつはすごいんじゃねえのか?』
いつの間にか白虎は、この伸田という青年を好きになっていた。頼りない奴かと思えば、愛する女性のためには『ど根性』とでも呼ぶしかない力を発揮する、この若者を心底助けてやりたいと思うようになっていたのだった。
『こいつなら、本当にあのバケモノから惚れた女を助け出せるかもしれないな…』
白虎は気分が良かった。彼は獰猛な野獣の貌にニヤニヤ笑いを浮かべながら走り続けた。この白虎は、元来が能天気でお人よしの性格だったのだ。
「げっ! このクソガキ、また吐きやがった! 俺の背中でションベンやクソちびるんじゃねえぞ!」
白虎は大声で怒鳴り散らす事で、背中の伸田が気を失わない様に勇気づけていたのだった。
『必ずこいつに、大切な女を助け出させてやる!』
白虎は青白く光る牙を剥き出しながら、さらに吹き荒れる吹雪の中を加速した。
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「どうしますか、ミスター鳳? ヒッチハイカーは追手の追跡を妨害するために様々な工作をしながら逃走を続けています。全ての障害物を爆破によって強制排除していては、グレネードの残弾が底をついてしまいます。」
『ロシーナ』が心配げな女性の美しい声で鳳に判断を委ねる。驚く事にAI機能により、人間の声質だけでなく声に込められた感情まで再現しているのだ。
「たしかに、これではきりが無いな。いちいち手作業でどける訳にもいかん。そうだ… ロシーナ、『黒鉄の翼』は、この付近に来ているのか?」
鳳が意味不明の言葉を『ロシーナ』に問いかける。
『くろがねのつばさ…って何だ?』
後部座席で聞いていたSIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)の島警部補が、訳が分からずに首を捻った。
「はい、ミスター鳳。『黒鉄の翼』は、先ほど主人を上空より地上に降下させた後、命令で近隣にて待機中でしたが、主人がミスター鳳に通信用デバイスのスマートウォッチを渡す前に、この『ロシナンテ』の上空に待機して指示を待つように…と新たに命じました。こちらからの指示で頭上にいる『黒鉄の翼』は、いつでも動けます。」
完全自立思考型AIの『ロシーナ』が鳳の問いに答えた。
「よし、『黒鉄の翼』のAI『スペードエース』に連絡しろ。今から、この『ロシナンテ』は『黒鉄の天馬』モードに移行してヒッチハイカーを追う。急ぐんだ!」
鳳が『ロシーナ』に命じた。
「了解。これよりミッション『黒鉄の天馬』を実行します。PS(Passenger seat)砲、収納開始…」
『ロシーナ』が告げると同時に、先ほどまで擲弾を発射していた砲身が収納され、出現した時と逆の過程をたどって元の助手席の位置にシートは収まっていく。そして最後に屋根のサンルーフが閉じられると、『ロシナンテ』は戦闘モードに変形する前の通常車両形態に戻っていた。
「助手席が元に戻った… それにしても、何だ…? スペードエースに、黒鉄…? アイアンペガサス? ?? 何の話をしていたのか、俺にはさっぱり分からん…」
意味不明の鳳と『ロシーナ』の間に交わされる会話に、島はついていけなかった。
数秒後…
停車している『ロシナンテ』の周辺に降り積もった雪が、横殴りに吹きすさぶ風では無く、真上から吹き付ける風の風圧によって吹き飛ばされていく事に後部座席に座る島は気付いた。しかも、奇妙な事に…『ロシナンテ』を中心にして風が真上から吹いている事を示すのと同時に、上からの強い風圧を受けた『ロシナンテ』の屋根が押し下げられて足回りのサスペンションがたわみ、車体がググっと下向きに沈み続ける。
島は暴風の様な勢いでに真上から車体に叩きつけてくる風と共に、ほんの微かだが「バババババッ…」というヘリコプターのローターの回転音に似た音が響き渡り、その音に共鳴するように自分達の乗る『ロシナンテ』の車体が細かく振動しているのにも気づいた。島はSITの作戦で過去に何度もヘリコプターに搭乗していたのだ。
「これはヘリか…? 真上からヘリが近づいてきているのか? だが、これだけの風を巻き起こすほど近づいているのに、こんな小さなローター音だとは…? しかも、風圧で巻き上げられた雪に描かれる風紋が円形じゃなく、数字の”8”か”∞”の字の形状だ… このヘリは二基のローターなのか…?」
車内にいる島には上空の様子は分からなかった。これだけの暴風の中で窓やドアを開けて真上を確認する訳にはいかない。
「島警部補、これがアイアンウイング…『黒鉄の翼』だ。米軍の『V-22オスプレイ』と同様にターボプロップエンジンで動き、角度を自在に変更できるティルトローター型の二基の回転翼を搭載する垂直離着陸機だ。この二基の回転翼が『ロシナンテ』の、文字通りの翼となる。
私たちの乗っているこの駄馬は、今から空駆ける天馬に変身するんだ。」
鳳がそういい終えた時、島は後部座席横の窓越しに真上から姿を現したそれを見た。
いや、見たと言ってもそれはハッキリと見えた訳では無かった。島の目に映る窓の外の上空の様子が変な具合なのだ。吹雪の吹き荒れる真上の光景が、島の眼には歪んで見えるのだった。
ゆらゆらと陽炎に浮かぶ蜃気楼の様に、そこにあるべき筈の物体が、まるで光が捻じ曲げられたようにハッキリとしないのだった。
「な、何だこれは…? 俺の眼が…」
島は自分の目がどうにかなったのかと思った。
「安心したまえ、島警部補。君の眼は正常だよ。現在、『黒鉄の翼』はステルス機能を作動中だ。機体全体に光学迷彩が施されている。レーダーに探知され難いステルス機能だけでは無く、光を捻じ曲げる事で視覚的にも捉え難い状態だ。」
鳳が後ろを振り返り、目をパチパチさせている島に笑いながら言った。
「ガシンッ! ガシンッ!」
『ロシナンテ』の車体に何かがぶつかる音と衝撃が加わった。
「『黒鉄の翼』の『黒鉄の爪』、『ロシナンテ』をキャッチ! 合体に成功しました。ミッション『黒鉄の天馬』完了。これより、『ロシナンテ』の車体もステルスモードに移行します。」
『ロシーナ』が落ち着いた女性の声で告げた。
「よし、『黒鉄の天馬』発進!」
「了解!」
鳳の命令に『ロシーナ』が答えるのと同時に、『ロシナンテ』の車体がフワッと浮き上がった。
「うわあっ! 車が空をっ?」
島の叫ぶ声を無視するように、二基のティルトローターの翼を手に入れた『ロシナンテ』は垂直に離陸すると、静かだが力強く吹雪の吹き荒れる空へと上昇していった…
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「あの虎野郎め、あれだけの障害物を作ったのにまだ追って来やがるのか…」
ヒッチハイカーの頭部から生えた二本の触角が、数百m後方に迫り来る白虎の気配をすでに捕捉していた。
「やはり、ヤツの速度の方が俺より速い。このままでは…」
そうつぶやいたヒッチハイカーの前方に山側の崖に隠れていた風景が見えて来た。
「むっ、あれは?」
ヒッチハイカーの眼前に広がっていたのは、この○✕県に内在する二つの山である祖土牟山と醐模羅山の間に位置する雄大な渓谷だった。
現在、ヒッチハイカーを追っての大追跡劇が演じられている『祖土牟山』と隣の『醐模羅山』の二つの山は、間に流れる『木流川』で分断される形となる。木流川は国土交通省が管理する一級河川で、昔は山間部で伐採された木材を筏に乗せて運搬するのにも利用されていた。
季節による期間限定で、観光目的で木流川を下る遊覧船が人気を博すが、冬季である現在は使用されていない。
木流川の川幅は広い所で300mもあり、祖土牟山と醐模羅山との間に鋼橋を架ける事で迂回する事無く国道を繋ぎ、利用者の距離と時間を短縮しているのだった。県を縦断するこの国道は、日本海側と太平洋側を繋いでいるために物資の運搬に利用される事が多く、道路も鋼橋もよく整備されていた。
ヒッチハイカーは、この鋼橋に目を付けたのだった。
「あの橋でヤツを待ち伏せる。ふふふ…あそこを使えば、虎や人間など今の俺の相手では無い。」
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「よし、このままの速度で走れば、もう少しでヤツに追いつく。おい、若造! もうちょっとの辛抱だぞ! 頑張れ!」
白虎は背中に乗る伸田に対して大声で叫んだ。
白虎は少し前から気付いていたのだ、伸田の背中にしがみつく力が弱まってきているのを…
『ここまでよく頑張って耐えたが、伸田の野郎、そろそろ限界か…』
白虎は走る速度を緩めた。このままの速度で走り続けて、万が一振り落とされれば、伸田は凍ったアスファルトの路面に叩きつけられて即死だろう。
「!」
白虎は驚いて息を飲んだ…
走る速度を緩めようとする自分に抗議するかの様に、背中の伸田が首筋の毛を強く引っ張ったのだった。
「お、お願いだから…このまま追ってくれ! 僕は…大丈夫だから!」
伸田は気を失った訳では無かったのだ。体力の消耗から両手の握力が弱まってはいたが、意識はしっかりしているようだった。
「こいつ、なんて野郎だ… まだ頑張るつもりか? 知らねえぞ、どうなってもっ!」
口とは裏腹に、白虎は伸田の強情さが嬉しかった。
白虎は背中の伸田にエールを送るように、歓喜の雄叫びをあげた!
「グワオオオオーッ!」
白虎の雄叫びは祖土牟山と隣の醐模羅山の全域に響き渡った。その野獣の王の叫びは冬眠している全ての動物の目を覚まさせ、彼らを本能的な恐怖に震えさせた。
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「グワオオオオーッ! グワオオオオーッ! グワオオオオー…」」
その雄叫びは木霊となって山間に響き渡り、祖土牟山上空を飛ぶ『黒鉄の天馬』の内部にいる鳳と島の耳にまで届いた。
「何だ、あの獣の吠え声は…?」
まだ白虎の姿を目にしていない島には見当もつかなかった。日本の山間部に住む肉食獣は熊や野犬が精一杯で、ライオンや虎のような大型の野獣は棲んでいる筈が無いのだ。
「あれは味方だよ、島警部補。現在、伸田君と共にヒッチハイカーを追跡している私の仲間だ。ほら、あそこを走ってる。」
鳳が運転席の窓から右斜め前方の国道を指さした。現在、この『黒鉄の天馬』と名付けられた機体は、木流川の上空200mほどの低空を飛行していた。鳳の指さす先を見た島の眼にも、国道の路上にばら撒かれた岩や木の障害物を飛び越えたり避けたりを繰り返しながら疾駆する白い虎の姿が映った。
「うおっ、あれはホワイトタイガー?」
島が目を凝らしてよく見ると、その疾走する白い虎の背には一人の人間がしがみついていた。
「あの…背中に乗ってるのは、伸田君ですか?」
島の疑問に鳳が答えた。
「そうだ、彼も懸命に頑張っているようだな。あの疾走する白虎の背中にしがみついたまま、振り落とされずにここまでの距離を来られたなんて、狂気の沙汰としか言いようがない。とてもじゃないが、私には真似出来ない…」
鳳は伸田の事を、称賛しているのか呆れているのか…いや、両方だったに違いない。彼の複雑な表情がそれを物語っていた。
「ミスター鳳、前方に鋼橋があります。間もなくヒッチハイカーが、その鋼橋に達する模様です。」
10インチのカーナビモニターに前方のサーモグラフィー画像が映し出されていた。
サーモグラフィーは物体から放射される赤外線を特殊カメラで撮影し、熱分布画像として表示させる。この吹雪の吹きすさぶ低い外気温の中では、生物の発する熱源はくっきりと映し出されていた。
国道を疾駆する白虎も、怪物化したヒッチハイカーも周囲の青い風景の中でオレンジや黄色に近い状態で表示されている。両者ともに激走してきた肉体は体温が上昇し、周囲の低い気温の風景と比べてかなりの高熱源体と化していたのだ。
「あの鋼橋『夕霧橋』で木流川を越えた向こう側は、醐模羅山に入ります。」
この県で生まれ育った島が鳳に説明した。
瞬時にカーナビの映像が地図に切り替わった。
「あの鋼橋を越えて少し行った所にトンネルがあるな。『醐模羅第3トンネル』か…」
鳳が画像を見てつぶやくと、島がすかさず反応した。
「そうです。醐模羅山はトンネルが多いんです。国道は第1、第2、第3トンネルと長いトンネルを連続して通ります。ヒッチハイカーにトンネル内に逃げ込まれると厄介な事になります。」
「その通りだな。この『黒鉄の天馬』の機体が入るには、トンネル内は狭すぎる。もう一度『ロシナンテ』に分離して追う事になる。そうならないためにも、トンネルに入り込む前にヤツを叩く。」
後ろを振り返って話していた鳳が島と互いの目を見合って、相手の意思を確認すると大きく頷いた。
「現在この国道は、周辺地域の猛吹雪と今回の『ヒッチハイカー捕獲作戦』のために封鎖されてはいるが、このまま延々と封鎖を続けている訳にもいかない。経済にも支障を来たすし、マスコミを抑え込んでおいたところで、明るくなれば必ずSNSが騒ぎ出すだろう。
日の出までにこの問題を解決しなければ、公式にはBERS(Bio-enhanced remodeled soldier:生体強化型改造兵士)には無関係を表明している日本政府が、国の内外から非難の矢面に立たされる事になる。この季節は日の出時間が遅いのが救いだが、明るくなるまでが勝負だ。分かるな、島警部補。」
鳳が島に対してここまで手の内を明かしたのは、彼自身が言うように時間が限られていたからだった。
「あなたの仰る事は政治的過ぎて、正直言って一介の県警警部補に過ぎない自分には難しすぎます。ですが、ヤツを始末しなければいけない点に関しては自分も同意見です。ヤツの存在は危険すぎます。自分に出来る事は何でも協力します。」
島は若返ったかのように情熱に燃えるギラギラした眼差しで、前の座席に座る鳳の横顔を見つめながら言った。
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ここは木流川にかかる鋼橋『夕霧橋』である。
この鋼橋は、一級河川を横断する国道を通す目的で建てられているため、県では無く国土交通省の管理下にあった。車両による物資の運搬に利用されるため、片側一車線だが中央分離帯は無く大型特殊車両でも通れる位ゆったりとした幅を持っていた。
車両通行部の外側には歩道も設けられており、歩道に立つと眼下を流れる木流川を間にして両側にそびえる祖土牟山と隣の醐模羅山で挟まれた周辺の渓谷を一望でき、その写真映えのする絶景で有名な観光スポットとして、春夏秋の3シーズンは県の内外からだけでなく、海外から訪れる人も少なくない。SNSでも写真付きで広く紹介されている。
だが、今の様な雪で閉ざされる事の多い冬だけは観光客は激減する。冬にこの国道を走行する通行車両に関しては、雪道用のタイヤに付け替えるかチェーンを装備する事が義務付けられており、降雪や路面の凍結のひどい場合には、道路自体が上り下りの車線共に制限あるいは封鎖される事もあった。
この鋼橋の存在する渓谷一帯は、冬を除いた三つの季節の夕暮れ時になると、地形と風の影響により木流川の水面から大量の霧が発生しやすい土地柄である事から、平安時代以前より『夕霧谷』と呼ばれて来た。
このため、昭和期に当時の建設省(現国土交通省)によって夕霧谷に架けられたこの鋼橋も『夕霧橋』と名付けられ、地元を含めた多くの人に愛され利用され続けて来た。
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走りづめで国道を逃走して来たヒッチハイカーは、祖土牟山と隣の醐模羅山の間を流れる『木流川』にかかる巨大な鋼橋『夕霧橋』にたどり着いた。この『夕霧橋』を渡り切れば醐模羅山側の国道に入る。さらに醐模羅山を南下すれば、現在いる○✕県から南隣の県に抜ける事になる。
ヒッチハイカーは、たどり着いた鋼橋に静香を抱えたまま、よじ登り始めた。八本の脚で鋼鉄製の柱に取り付くと、まるで蜘蛛のように八つの爪先を巧みに使って器用にスルスルと登って行くのだった。
しかし、ヒッチハイカーの脚は防御と攻撃に適した硬質な外骨格で形成されていたのでは無かったか…?
先端が硬く尖った爪先では、表面の凍り付いたアスファルトを滑る事無く高速で走るのには適していても、鋼鉄で出来た柱を上手く登れるはずが無かった。
だが、見るがいい… 今、ヒッチハイカーの鋭かった八つの爪先は、それぞれの先端がおぞましくも5本に枝分かれして人間の手の様な形状に変化していたのだ。
ヒッチハイカー自身から見て右側4本の脚の爪先は人間の右手の形状に、左側4本の爪先は左手の形状へと変形していた。しかもその新しく出来上がった手は、もはやカニの脚の様に外骨格の硬質化した表面では無かった。それらは、びっしりと細かい毛の生えた細長い指先の手と化し、それぞれが人間の手と同じ様な関節の形状と機能を備えているらしく、鋼橋の骨組みとなる鋼材を8本の脚先の合計40本の指でしっかりと掴むと、猿のようにスルスルと器用に登って行く。
猿などよりももっと素早く、不安定な場所で巨大な身体を動かしていた。まるで蜘蛛の様に…
いや、蜘蛛の様に…などという表現は適切では無かった。ヒッチハイカーは実際に巨大な蜘蛛の怪物と化していたのだ。
見よ…『夕霧橋』の橋梁を組む鋼材の表面を覆っている半透明の夥しい量の糸を… そして鋼橋に張り巡らされた糸で編まれた巨大な蜘蛛の巣を…
それは、今もなお鋼材の周りを素早く動き回り続ける、ヒッチハイカーの巨大で黒い剛毛に覆われた尻の尖った先端部分から次々に吐き出されてくる半透明の粘液にまみれた糸だったのだ。
すでに全長300mにも及ぶ『夕霧橋』の中央部が前後50mほどに渡って、ヒッチハイカーの吐き出した糸で作られた蜘蛛の巣と化していたのだった。
それはまるで、人間サイズの生き物を容易く捕らえる事が可能な巨大な蜘蛛の巣だった。
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「な、何だ…あれは?」
驚愕のつぶやきを漏らしたのは『黒鉄の天馬』の天馬部分である『ロシナンテ』内の後部座席に座る島警部補だった。
「・・・・・・」
返事こそしなかったが、運転席に座る鳳 成治も同様に驚いているのは間違いなかった。
「ヒッチハイカーのヤツ… 『夕霧橋』に、あんなでっかい蜘蛛の巣を作り出しやがったのか…」
この県で生まれ育って現在も暮らしている島は、昔から公私に渡って『夕霧橋』を利用して来たのだ。彼にとって馴染み深い『夕霧橋』が、おぞましい姿に変貌しているのを見るのは辛い事だった
「だが、ヤツはなぜ『夕霧橋』をさっさと抜けて醐模羅山方面に逃げ込まないのでしょうか?」
今度は島の問いかけに対して鳳が口を開いた。
「恐らくヤツは、白虎の猛追から逃れられないのを悟ったんだろう。このままでは遅かれ早かれ追いつかれる。捕まれば神獣白虎の『破魔』の牙と爪で再生不可能な傷を負わせられる。ヤツは進化した自分に有利なこの渓谷の地形を利用して、白虎に決戦を挑むつもりなのだろう。
皆元さんという人質さえ無かったら、この『黒鉄の天馬』の主武装である『超電磁加速砲』を使用すれば、あの程度の鋼橋なら数発で破壊可能なのだが…」
「お、恐ろしい事を言わないで下さいよ… あの『夕霧橋』は、この地に住む住民にとっても、輸送を含む交通にとっても絶対に必要不可欠なんです。」
島は額に汗を浮かべ、両手を握りしめながら必死に鳳に訴えた。
「しかし、ヒッチハイカーのヤツ…皆元さんをどこへやったんだ?」
鳳がつぶやくと、『ロシーナ』がカーナビの画面を再びサーモグラフィー表示に切り替えた。
「あそこだ! あの蜘蛛の巣の中心に彼女が吊り下げられているぞ。」
『ロシーナ』が望遠で拡大したサーモグラフィー画像に、鳳が言ったように、ヒッチハイカーの吐き出した蜘蛛の糸で胸から腹にかけてグルグル巻きにされ、巣の天井部から吊るされている皆元 静香の体温分布が、周囲よりも明るい映像として表示された。
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「ついたぜ、若造。あの野郎、あの鋼橋に巣を作って俺達を待ち構えてやがる。ここを決戦の場所にしようってわけか…面白え、ヤツの望み通りに付き合ってやろうぜ、相棒。」
『夕霧橋』から数十m離れた地点で走るのを止め、背中から伸田を下ろした白虎が、恐らく満面に不敵な笑みを浮かべながら、横に立つ伸田に語りかけた。
いつの間にか、白虎の伸田に対する呼び名が『若造』から『相棒』へと昇格していた。
文字通りの命懸けで、白虎の背から振り落とされない様に必死にしがみつきながらここまでの激走に耐えて来た伸田は、ようやく地面に自分の脚で立つ事が出来た喜びを感じていたのだが、彼の二本の脚はガクガクと震え、二度と見たくない筈の白虎の背に手をかけていなければ今にも倒れそうだった。
「え、ええ… 僕もそう思う。ヤツはあなたの追跡から、これ以上逃げられないと覚ったんだ。でも、ヤツはまた怪物として進化しているみたいだ…あれはまるで、蜘蛛の巣だ。でも、そんな事より…シズちゃんはどこだ?」
伸田は白虎に答えながらも、目では必死に愛する静香の姿を捜していた。
今、鋼橋の上に8本の脚で危なげなく立ったヒッチハイカーは人間のままの右手にも、左腕の怪物化した触手にも拉致して来た静香を捕まえてはいなかったのだ。ついさっきまで気を失って捕らわれていた彼女の姿は、一体どこへ行ったのか…?
「あっ! あそこだ! シズちゃんがいた! あの橋に作られたヤツの巣の真ん中にぶら下げられてる!」
たしかに伸田が指さす方向の『夕霧橋』のちょうど中央辺りの天井部から、ヒッチハイカーが吐き出した糸でぐるぐる巻きに身体を絡め捕られた静香が吊り下げられていたのだった。
「ガルルルル…」
前方を見据えた白虎は唸り声をあげ、愛する静香を見つけた伸田は右太もものホルスターに収納していた3発の『式神弾』が装填済みの拳銃『ベレッタ90-Two』を抜いて右手に構えた。
********
こうして渓谷『夕霧谷』を舞台に、囚われの皆元 静香をめぐって、怪物ヒッチハイカーと神獣白虎、そして陰陽術で作られた弾丸と古の超金属の剣で武装した青年伸田、ハイテクノロジーの武装マシン『黒鉄の天馬』に乗った二名の捜査官が集結した。
舞台と登場人物が揃った。
間もなく、吹雪の吹き荒れる白い雪に閉ざされたこの山間部に、戦い開始のゴングが鳴り響こうとしていた。
【次回に続く…】