ケアと男性|第2回「ちゃんとしなさい」の罪
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無意識に出す「あの言葉」
「ちゃんとしなさい!」
こどもが食事中に遊ぶ、散らかしたおもちゃを片付けずに放置する、急いで出かけたいときに限って裸で逃げ回る……。こういうときに、気づいたら「ちゃんとしなさい!」と叱っているぼくがいる。そして、口をついて出たその言葉を聞いて、自分自身がびっくりする。
「また、ちゃんとしなさい、って言ってる!」
そう意識した途端、焦るのだ。ぼく自身が「ちゃんとしなさい」を見事なまでに、無意識に内面化してきたことに気づかされて。しかも、気がつけば一日に何回も娘にそう繰り返している。
「ちゃんとしなさい」という言葉は、マジックワードだ。子どもが親の思い通りにならない・言うことを聞いてくれないとき、行動を変えてほしいときなどに使える万能の言葉である。具体的に言わなくても、注意する側からしたら、それなりに伝えられた気になる。しかも、キツい口調で言うので、親の顔色をしっかり見ているわが娘は、「なんかようわからんけど、怒られている」と感じて、ときには親の望むような行動をしてくれる。すると、親は「ちゃんとしなさい」が効果的だと理解し、ますますこの言葉に依存する。
この言葉に無自覚なままだと、「もう、ちゃんとしなさい、って言ったでしょ。なんでちゃんとできないの?」と同語反復してしまう。そして、娘は何を言われているのかわからないので、混乱し、ぐずって泣き叫ぶ。親は子どもが理解してくれないのに腹が立ち、娘は親の言うことが理解できずにいらだつ。ああ、「ちゃんとしなさい」の悪循環……。
今回は、この言葉の呪力!?を解き明かしてみようと思う。「ちゃんとしなさい」とは、いったい何なのか? なぜ、ぼくはこの言葉にこんなに縛られているのか? それにはどういう背景があるのか?
ちゃんとすれば、なんとかなるかも
自分自身を振り返ると、両親はそんなに厳しい躾(しつけ)をしてはいなかったと思うし、教育ママとかでもなかった。でも、意外と真面目な「少年ひろし」は、昔から親に言われなくても、「ちゃんとする」をしっかり内面化していたのだと思う。ちょっとそのプロセスを振り返ってみたい。
ぼくは長男で、3つ下の弟がいる。「長男あるある」だけど、弟が産まれてから「しっかりしたお兄ちゃんキャラ」が家族のなかで定着していた。そしてぼくは幼少期以後もずっと「ちゃんとしなくちゃ」と自分で追い込んで、40歳過ぎまで突っ走ってきた。
ぼくにとって、「ちゃんとしなくちゃ」が強迫体験として刷り込まれたのは、10代はじめと20代後半のふたつの出来事だった。
小学校5、6年生のころ、ぼくのクラスでひどいイジメが蔓延していた。ぼく自身も、いじめられた後に、いじめる側の末端に加わってしまった。担任教員も教室から排除され、学級崩壊状態だった。実家のあるマンション11階から下を眺め、「このまま飛び降りたら死ねるな」とぼんやり考えていた記憶がよみがえる。人生で一番つまらない時期だった。
地元の中学校に進学した際、「学校の勉強について行けるように」と入った塾で、転機が訪れる。「ちゃんと勉強して、進学校に入って、いい大学に入って、立派な社会人になれ」と、小学校卒業したての子どもに熱く語りかける塾長のメッセージに、見事に感化されたのだ。こんなぼくでも夢を持ってもいいんだと思ったし、ああいう大人に評価されたいと思ったし、「ここじゃないどこか」に行けるかもしれないと思えた。今振り返ってみると、人生に絶望し、見失っていた夢や希望を、進学塾で見つけたのかもしれない。「ちゃんと勉強すれば、なんとかなるかもしれない」と。
そこから中学時代は、人生で一番「ちゃんと」受験勉強をしたと思う。そのおかげもあって、「進学校」に合格し、一浪の後、「いい大学」に入る。大学在学中は「ちゃんと」の気が抜け、サークルや社交にいそしみすぎたため、「ちゃんと勉強していないから」と大学院に進む。そこで生涯の師匠(ジャーナリストの大熊一夫氏)に出会い、弟子入りして、「ちゃんと」修行に励む。5年間でなんとか博論を「ちゃんと」書き上げる。だが、この20代後半において、ふたつ目の手痛い経験に遭遇する。
大学院で刻まれた劣等感
「あなたのような弱い人間は、大学院をやめてしまいなさい!」
これは、師匠ではなく、同じ講座の教員に言われたフレーズである。あるプロジェクトで関わっていたその教員の逆鱗に触れることをしたぼくは、何度謝っても許してもらえず、オロオロしていた。そのときに、とどめを刺すように言われたのがこのフレーズである。今の基準で言えば明確なアカデミックハラスメントであり、教員が処分を受けるレベルの発言なのだが、「ぼくが弱くて、ちゃんとしてないからダメなんだ」と自分を責めた。人生ではじめて胃を痛め、食事が喉を通らなかった。その教員の車が大学の駐車場にあると、怖じ気づいて家に帰ったことが何度もある。
さらに、博士論文の公聴会でも、衝撃的な出来事が起こる。ぼくの論文審査の合否判定の際に、「タケバタは業績が少ないのに、博士号に値するのか?」と、揉めたのである。確かにその当時、論文審査に進むための条件はクリアしていたが、明らかに業績は少なかった。でも、まさかそれで苦労してまとめ上げた博論が認められないのか、と思うと、目の前が真っ暗になりそうだった。
指導教官が取りなしてくれて、博士号は無事取得できたのだが、追い討ちは続く。やっと始めた就職活動では、そもそも面接にすらたどり着けない。たまたま研究費があたって、スウェーデンで半年の調査研究をしながら公募書類を出しまくっていたら、やっと東京のとある大学から助手採用の面接試験の声がかかった。自腹を切って帰国するも、不採用通知。またあるときは、東京で学会発表のある日に、どうしてもその日に面接に来てほしいと言われ、大阪から東京まで朝一の新幹線で出かけ、自分の発表が終わった瞬間、羽田空港に向かい、自腹で飛行機代を払って面接に駆けつけたのだが、それも不採用。
そんなこんなで、2年間で50の大学から不採用通知をもらい、親からは「○○ちゃん(妻の名前)にいつまでも養ってもらって、それでいいの? 彼女がかわいそうやで。そろそろ研究者を諦めて普通の仕事に就いたら」と言われる始末。ああ、ぼくは社会的に必要とされていないんだ……と、ひどく落ち込んだ。
だからこそ、30歳でやっと常勤職が決まった後は、自分で言うのもなんだが、じつに猛烈に働き始めた。このままの自分じゃダメだ。「ちゃんと」仕事をして、「ちゃんと」業績をあげて、「ちゃんと」社会から評価されないと、ぼくは生き残れない。しかも、もう学生じゃなくて「社会人」だから、塾長も師匠もいない。自分ひとりでなんとか「ちゃんと」しなくちゃ、強くならなくちゃ、と……。
この強迫観念が、ぼくを生産性至上主義に駆り立てる。とにかく徹底的にインプットし、アウトプット量を増やすしかない。頼まれた仕事は基本的に断らず、〆切は絶対に守って、一定程度のクオリティのものを出し続け、チャンスを掴むしかない。能率や生産性を上げるために、「仕事術」「整理術」「ライフハック」などの自己啓発系の本を出張先の本屋で買い込んで、移動中の車内で計100冊くらい読み漁った。業績を増やすために、論文や原稿を書きまくり、ある時期は毎年のように国際学会で発表していた。講義も学務も学外の仕事も、「ちゃんと」評価されるように、過密スケジュールもいとわず、土日関係なく猛烈に出張し、働きまくった。ちゃんと、ちゃんと、ちゃんと……。
何のための「ちゃんと」?
ここで問われるのが、誰の・何のための「ちゃんと」なのか?ということである。
子どもが生まれるまでのぼくは、声をかけられた仕事は、「ちゃんと期待に応えなくちゃ」と安易に引き受け、ホイホイ予定を入れてきた。そして、他者のニーズや期待に応えることが、「ちゃんと」仕事をすることだ、と思ってきた。そうやって仕事の積み上げをすることが、大人として、研究者として、「ちゃんと」評価されることだ、と思い込んできた。
でも、他者からの評価を得るための「ちゃんとしなきゃ」であれば、自分で判断したつもりになっていても、常に他人の目を気にしている。他者評価を内面化し、同僚や同業者より業績や社会的評価をあげなければならない、と自分を追い込むのは、「内なる上司」にずっと査定され続けているようでしんどい。これは、世間に迷惑をかけてはいけないとか、同調圧力に従うのと同種の、自分以外の他者の評価や価値の枠組みに無批判に従う「ちゃんと」の姿である。それは、ぼく自身の「したいこと(would like to)」というよりも、「しなければならない(should, must)」という義務感に基づく「ちゃんと」である。
そして、42歳で待望の父になったぼくは、恐ろしいことに、子どもが言うことを聞いてくれないとき、想定外の行動をしたとき、「ちゃんとしなさい」と叱っていた。無意識に「ちゃんと」を押しつけ、ぼくの評価軸に子どもを義務的に従わせようとしたのだ。
その段階になってはじめて、「ちゃんとする」って一体なんやねん? と自己ツッコミを入れてみた。自分でその理由を考えるなかで、「ちゃんとしなさい」という言葉の持っていた呪縛性に気づくようになっていった。つまり、ぼく自身が40数年間かけて培ってきた、他者評価軸で生きてきた歪みの元凶(の一つ)に、娘のおかげで、やっと自覚的に出会えたのだ。
このプロセスを通じて、父はようやく理解する。「ちゃんとしなさい」が通用しない、その言葉で説き伏せられない世界があると認めることによって、ぼくとは違う娘の独自性や他者性をはじめて認めることができるのではないか、と。子どもとの関わり合いのなかで、お父さんはお父さん、お母さんはお母さん、と、互いの唯一無二性をも理解できるようになる。子どもも妻も、当たり前だけれど、ぼくの思い通りにならないし、してはならない。そう覚悟を決め、腹をくくることで、子どもや妻との関わりが、俄然面白くなるのだ。
……そうはいっても、忙しい朝の登園間際に限って、娘は「服を着替えよう」という親の声がけを無視してゴロゴロまどろんでいたりする。そんな折に、ついつい「ちゃんとしなさい」と叱りそうになるぼくを発見して、苦笑いする。娘の独自性や他者性を、そのものとして認めるのは、言うは易く行うは難し。子育ては、親の育ち直しでもある、とはよく聞くが、頭では理解しているつもりだけれど、そう簡単にクリアできないハードルである。
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