試し読み『ぼくの村は壁で囲まれた』|10章 わたしたちにできること
「知る」「伝える」「行動する」ために
2017年に刊行された高橋真樹さん著『ぼくの村は壁で囲まれた:パレスチナに生きる子どもたち』の試し読みを公開します。本書はパレスチナに生きる子どもたちの日常を通して、パレスチナで起こっていること、その原因や歴史的背景を伝えています。入門書としておすすめできる一冊です。
2023年10月現在、パレスチナに生きる人々はかつてないほどの状況に置かれています。パレスチナの人口の半数は16歳以下の子どもです。10月27日からはガザ地区のすべての通信手段が絶たれ、イスラエル軍の攻撃はさらに激しさを増しています。
この状況を作り出したのは、国際社会の無関心、私たちの見て見ぬふりです。国際社会の一員である私たちには、イスラエル軍によるパレスチナ人の虐殺を、土地の封鎖と占領を、一刻も早くやめさせる責任があります。
この記事では、『ぼくの村は壁で囲まれた:パレスチナに生きる子どもたち』「10章 わたしたちにできること」の一部を掲載します(なお、文中の太字強調は現代書館によるものです)。ぜひ最後までお読みください。
ひとりでも多くの方に本書が届き、「知る」「伝える」「行動する」きっかけになることを願っています。
10章 わたしたちにできること
大切なことは「イスラエルか、パレスチナか」ではない
ここまでパレスチナ・イスラエルをめぐる歴史と現状を紹介してきました。ここで起きていることは、確かに複雑です。しかし「難民」や「占領」というキーワードで読み解けば、「人が人を支配する」という極めてシンプルな構造の上に成り立っている問題だとわかります。
メディアを通じて「アラブ人とユダヤ人との争い」あるいは、「イスラム教とユダヤ教の争い」、という情報に接してきた方の中には、「筆者の言っていることはパレスチナ寄りに偏っているのではないか」と感じる人がいるかもしれません。
この本ではあまり取り上げることができませんでしたが、もちろんパレスチナの側にも改めなければならない事柄はたくさんあります。ファタハとハマスによるパレスチナ人同士の争いや、政権批判者への暴力や拘留といった人権侵害、ずさんな経理や汚職、旧態依然とした権威主義などは追及されるべきです。また、戦略的には効果がないどころか、一般市民を巻き込み、イスラエルの攻撃の格好の口実にもなっているハマスのロケット弾攻撃などの暴力や犯罪行為も、批判されなければなりません。
しかし、その前提にはイスラエルがガザの軍事封鎖を解除することに加え、すべての入植地の撤去を含むヨルダン川西岸地域からの完全撤退が欠かせません。今のような軍事占領下では、誰がパレスチナのリーダーになったとしても、まともな政治が実現される可能性は極めて低いでしょう。問題の本質は、「イスラエルか、パレスチナか」という二項対立の図式ではありません。そのステレオタイプの発想から離れて、国際法のルールを基準にすれば、何が問われているかがはっきりしてきます。
「世界人権宣言(*1)」という規約があります。これは、「すべての人間が生まれながらに基本的人権を持っている」ことを認めたもので、1948年の国連総会で「あらゆる人と国が達成しなければならない共通の基準」として採択されました。平たく言えば、「各国にはさまざまな違いはあるけれど、これだけは人類共通の最低限のルールとして守って行こう」という約束と言えます。
皮肉にも、イスラエルが建国されパレスチナ人が難民になった年にできたこの宣言は、思想や表現の自由、移動の自由や拷問の禁止、理由もなく逮捕されてはいけないこと、教育を受ける権利など、人間らしい生活をする権利などが謳われています。しかし多くのパレスチナ人は、ここに謳われている権利のほとんどを奪われています。
黙って見ているだけでいいのか?
182ページに掲載したリストは、イスラエル政府の政策や行動の一部を、紛争時の国際法の基準となるジュネーブ条約(*2)に照らし合わせたものです。他にも国際人権法の基準は複数ありますが、ジュネーブ条約ひとつとってみても、イスラエルが占領地で行っているほぼすべての政策が人権侵害であり、国際法違反であることがわかります。しかもそれが何十年にもわたって続いているという特殊な状況です。イスラエルは、パレスチナが主権国家でないことを理由に、「主権国家同士の戦争を前提にしたジュネーブ条約の適用は認められない」という主張をしていますが、国際法の専門家の見解ではそのような態度は認められません(*3)。
誤解を恐れずに言えば、イスラエルという国家がパレスチナ人に対して行ってきたことは、「ホロコースト」や「アパルトヘイト」と同じように、人類の歴史に残る巨大な犯罪行為です。それを「イスラエル対パレスチナの紛争」ととらえると事態を見誤ることになります。この問題は、たった今ホロコーストのようなことが起きているとしたら、現代のアンネ・フランクが声も出せずに恐怖に震えているのだとしたら、あなたはそれを黙って見過ごすのか、という問題なのです。
ナチスドイツが行ったホロコーストの真相が明らかになったとき、世界の人々は「こんなにひどいことが起きているなんて知らなかった」と考えました。けれども現在パレスチナで起きていることは、知る努力さえすれば誰でもわかることです。
そして多くのパレスチナ人は、「世界中の人が自分たちの状況を知っている」、と理解しています。それでも彼らの置かれた状況は悪化するばかりで、「世界は何もしてくれない」という失望を深めています。560万人の難民、そして450万人以上の占領下の人々を、国際社会は何十年間も放置し、傍観してきました。人々を絶望や恐怖にさらしておいたままでいいのか? いま私たちにそれが問われているのです。
一人ひとりにできること
ではパレスチナ問題を改善するために、私たちにできることはあるでしょうか? パレスチナ問題は100年以上にわたって国際的につくり上げられてきた、あまりに巨大な問題です。個人が何かやったところで問題の解決につながるようなことはできないかもしれません。しかしだからといって、何もできないわけではありません。
自分にも何かできることがあればやってみたい。そう思った方にまずチャレンジして欲しいことがあります。それは、「知ること」、「伝えること」、「行動すること」です。
「知ること」は、皆さんがこの本を手にしてくれたように、興味を持ち、知る努力をすることです。しかしそれを自分の知識や教養にしただけでは社会は変わりません。身近な人たちに向けて「伝える」ことが大切です。そして具体的に「行動する」ことにつなげていきます。行動というとちょっと敷居が高いようですが、小さなことで構いません。募金や署名、イベントへの参加といったことから始めてみましょう。すぐには効果が出なくても、たった一人の相手になら、思いを届けることはできるはずです。
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