第1章
狭い現場から少し距離をとって見つめ直す
1 「リスク」という言葉の不思議
(略)
いったい、「リスク」とは何なのでしょうか。「責任」とは誰にとっての「責任」なのでしょうか。
当時、私は、こうした言葉によってなされてきたことの一つとして、強制不妊手術をすぐにイメージしました。かつて日本では、1948~1996年まで優生保護法が存在し、「不良な生命の出生を防止する」という目的のもと、入所施設や精神病院では、障害のある人たちに避妊手術や中絶手術を強制的に行っていました。手術を後押ししたのは、障害のある人に子どもができることを「リスク」だと見なす医師や職員の存在や、入所施設や精神病院がその「リスク」に対処しないことは「無責任だ」という意識でした。そして、それがごく当然のこととされていました。
ここで少し、意地悪な質問をしてみます。みなさんは、もし自分が強制不妊手術が行われた入所施設や精神病院の職員だったとして、強い同調圧力の中で、その行為をキッパリと否定することができるでしょうか。
私自身がこのことに思い悩み、周囲に話したとき、「当時としては仕方がなかった」「現場はそんな生やさしいものではない」という声が聞かれました。
はたしてそうなのでしょうか? 「否定することは簡単だ」と現場ではよく聞かされましたが、実は、「否定できない」ということこそが、むしろ簡単なはずです。なぜなら、過去の実態に目を向けながら、当時、「何ができたのか」「何をすべきだったか」までを詳しく調べ、考えることなく、いまを一面的に肯定することができるからです。
さらに困難を極めるのは、そうした過去の誤りを、福祉現場から「誤り」だとして認めていくことです。しかし、どこかで「誤り」であることを認めない限りは、その過去を肯定することになり、その延長線上にこれからも福祉実践を積み重ねていくことを意味してしまいます。
いまの実践を、5年や10年といった長い目線から振り返ったとき、いま、できることとは何でしょうか。やるべきこととは何でしょうか。現場を「前へ」と進めるためには、長い目線で考えていくための視野が必要であり、そのために学ばなければならないのが歴史なのです。
2 「現場で口に出して言いにくいこと」こそ、大事な問題
(略)
(2)口に出して言いにくい問題の代表格=優生思想の問題
現場で素直に口に出して言えない、言いにくい問題の代表格は優生思想(注1)の問題であり、具体的には優生保護法をめぐる問題だと思います。
とある脳性まひのある女性は、養護学校の高等部2年生の時に初潮を迎えました。そのときに周りの職員から祝福されるのか、そうでないのか、障害の程度によって明確な「差」があったと言います。障害の重いその女性には、一人で生理の始末ができないなら子宮を摘出すべきだ、という言葉が看護師から投げつけられ、手術を迫られました。医師の反対で手術は免れたものの、子宮を取らないなら自分で始末できるようにせよ、という看護師からの「指導」が待ちかまえていました(2)。こうした内実が、近年、被害に遭われた方々が次々と裁判に訴えたことで、改めて社会の表に示されています。
優生保護法による強制不妊手術は、本書にとって大事な論点なので、少し詳しく振り返っておきたいと思います(3)。なお、注には新聞の見出しを添えて出典を明示していますので、よければご参照ください。
今回の優生保護法をめぐる裁判は2017年からスタートし、数々の実態を照らしてきました。裁判を通して強制不妊手術の実態を示す行政文書に目が向けられるようになり、その内実がかなりずさんなものであったことが浮き彫りにされてきました(4)。しかもその手術の適用を審議する審査会は、たとえば工場地域だから男性労働者が多く、障害のある14歳の女性が誘惑されるからという理由によって手術を「適」と判断し、行っています(5)。
国は強制不妊手術の予算を増やし、その消化のために現場に手術を増やすよう要請し、さらに被害を拡大させてきました。そのなかで、人体実験が発覚し、大きな問題となります(6)。その被害は福祉現場にも見られ、たとえば、優生手術と引き換えに障害者福祉施設への入所が認められていたり、北海道では施設運営者に優生手術を促す通知を出したりしていました(7)。また、9歳児に強制不妊手術を行うなど、未成年者にも被害を広げていきましたが、その中には障害児福祉施設に入所する子どもも含まれていました(8)。たとえば、4人の子どもが「凶暴性」などを理由に睾丸を切除されたり、逃げ回るなか無理矢理手術が行われていたり、暴行の被害を受けた少女にすら人工妊娠中絶と卵巣切除が行われた実態もありました(9)。
こうした手術が行われた現場では、たとえば、「貞操観がない」「公益上必要」「あんたみたいなのが子どもをつくったら大変だから」「パイプカットしないと一生入院させる」「あんたのための手術」「赤ちゃんが腐っている」という言葉が飛び交っていました。手術を拒否する親について、「無知と盲愛のため」に拒絶しているとの言葉で記録されていたことも示されてきました。その手術を受けさせられた本人は、親からかたく口止めをされたり、手術を受けさせられたことをパートナーにすら打ち明けられないなど、心の「傷痕」を背負わされました(10)。
一連の裁判によって、強制不妊手術の問題を「問題」として、社会にNoを突きつけたのは、それに関わったり、加担したりしてきた現場職員ではなく、被害を受けた当事者の方々でした(11)。積年の怒りをもってなんとか裁判に臨まれる被害者の方が現れ、中には実名を出して国を相手に訴えを起こされた方も出てきました。
ところが、行政が書類を破棄していたために訴訟すらできなかったり、裁判に訴えようとしても周りから「金がほしいのか」「恥ずかしくないのか」といった声を浴びせられた方もいたとのことです(12)。被害者にはこうしたプレッシャーがつきまとっていたのです。
しかし、裁判で、国は被害者の方々に対して、争点にすらならないという主張や、手術をされたあとすぐに訴えなかった本人が悪い、声を上げなかったあなたが悪い、といった論理を投げつけます(13)。
被害に遭われた方々は、顔を出して声を出すことに尋常ではない難しさがあったはずです。それがメディアを動かし、世論を動かし、政治を動かし、各種団体や学会を動かし、おそらくは手術に直接携わった医師など現場職員をその加担に向き合わせるきっかけをつくってきました。そして、2019年4月24日に成立した旧優生保護法救済法(正確には「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」)として結実します(14)(15)。
福祉現場にも、直接的にせよ、間接的にせよ、こうした生々しい実態を抱えてきた、あるいは加担をしてきた実態があったはずです。しかしながら、手術が行われた現場からは、当時としては仕方がなかった、一面的に責められるものではない、といった意見がすでに出されています。そうした意見からは、現場がかなり複雑な問題を抱えさせられていたことがうかがえます。こうした雰囲気もあってか、一部を除き、社会福祉領域全体としてはこの問題に対して積極的にNoを突きつけることができず、結局は今後も口をつぐむことを選択していくように思えてなりません。
しかし、障害者の「性」を暴力的に奪うことが行われてきた一方で、福祉の制度設計として、入所施設では異性介助やトイレの構造などにおいて「性」への配慮が薄く、そして利用者の結婚や育児が想定されてこなかったことなど、支援の中にはその人の「性」という視野がそもそもありません。このことは、強制不妊手術の問題と果たして無関係なことなのでしょうか。
この問題を「問題」として福祉現場から問い直すことは、実は見過ごされてきた支援の大事な部分を問い直すことにもなるはずです。