セリヌンティウスの嘘…?
メロスは道中で親友セリヌンティウスを見捨てようとしたことを、当のセリヌンティウスに告白し、「私を殴れ」と懇願する。するとセリヌンティウスは、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
と返す。太宰治『走れメロス』のラストに、そんなシーンがある。
素直に読めば、「ふーん、セリヌンティウスもメロスを疑いはしたんだね…まぁ、そりゃそうだよね」などと感想を抱く箇所だろう。
ただ、ちょっと考えてみたい。
この物語の語り手は、基本、メロスに寄り添い、時にメロスと同化して、メロスの心中を代弁、あるいは直接描写する。
逆に、セリヌンティウスの心中については、
セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯(うなず)き
などと、外から見た「様子」として間接的に描写するに過ぎない。つまり、セリヌンティウスの本心や真意は、物語中に直接明かされることはないわけだ。
となると必然的に、
セリヌンティウスのセリフ=嘘
という可能性も出てくることになる。
そもそもだ、メロスのあんなめちゃくちゃなお願いを、
竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳(よ)き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯(うなず)き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。
などと、「無言」で受け入れてくれるほどの善人、あるいは優しさを持つ人間なのだ。自分を裏切ろうとしたというメロスの告白に対して、以下のように考えたとしても、不思議はないのではないか。すなわち、
(あー、そうなんだぁ…メロス、俺を裏切ろうとしたのね…メロスはアホだけど、正義感がハンパなく強いから、自己嫌悪でめっちゃ凹んでるんだろうなぁ…よし!ここはいっちょ、「俺もオマエを疑った」って言ってやろう。そのほうが、メロスも少しは気が楽になるだろうよ)
などと。
ま、ホントかどうかはわからないけど、そんなふうに勘繰ってみると、「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った」というセリヌンティウスのセリフも、よりいっそうしみじみと読めるかな、なんて。