アニメ『家なき子』レビュー
ツイッターに浮上しないうちに、ツイッターがXになっていた。
そのXに出てくる、「ジャンプ+」という漫画アプリの広告があるじゃないですか。
その時々で人気の作品をコマーシャルしているわけなんですが、
いつも枕詞に「ジャンプ+好き必見!」て書いてあるんですよ。
これがちょっとぉ…いつもひっかかっていまして、
「ジャンプ+好き」…という括りの人達がいるんでしょうか?
私が幼少期から単行本派で、雑誌に帰属意識を持ってこなかったからかもしれませんが、
この作品が、とは別に、このアプリが好き、ということがあるのか…?
よくわからなくて、見かけるといつも不思議に思います。
いやでも、「ジャンプ好き」という言い回しはよく聞くし、確かに個人的にも違和感ないな。
これはやはりジャンプブランドが私の中にも確立しているからなのかもしれない。
そして私は読んでいないのでわからないが、やはりジャンプ+にも包括的な作品の傾向や競合アプリと一線を画する水準があって、もはや一つのブランドになっているのか。
あるいは漫画アプリ界でもそういう「ジャンプ並み」のブランド化を編集部が描いているということがこの一文に表れているのかもしれない…
ああ、そういえば私はたまにLINE漫画で漫画を読んでいる。
でもよく読んでいるのは過去にどこかの雑誌で連載されていた作品が多く、つまりLINE漫画オリジナル作品をあまり読んでいない。
そういう、いろんな雑誌で連載されていた作品が一つのアプリで読めるのが便利なので私は使っているのだが、それを「LINE漫画好き」と表現、ないし私のような人間に「この作品はLINE漫画好き必見ですよ!」と広告するのはさすがに無理筋かもしれない。
LINE漫画の売れセンであるいわゆるなろう系や復習系の漫画群をもって「LINE漫画好き必見」とできなくもなさそうだが、そういうのはほかのアプリでもよくあるからなあ。
そこ行くとジャンプ+はオリジナル漫画に力を入れている…ないしオリジナルオンリーの生え抜き主義なのでしょうか。
「○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」ってやつ…
だとするとそこにこそ「ジャンプ+好き」という語句を成立せしめるだけの特異性、ブランド性があるということかっ!
まぁ、どうでもいんですけどね。
久しぶりに何か文章を書こうと思って
すごくどうでもよい文章を書いてしまった…
まさにチラ裏。いやこの表現ももう廃れたか。
最近はなんていうんでしょうね、こういう駄文のことを。
駄文ついでに最近見たアニメのレビューでもしますか!
なお本記事は以下ネタバレを含みます。
『家なき子』
「最近見たアニメ」っつってこれが出てくるとは誰も思わないでしょうね…
今調べましたが1977年放送だそうです。
なんか立体視できる効果を使った意欲的な作品だったとか。へー。
やたらと背景をスクロールさせるなーと思っていたけど、そのためだったのか。
3D眼鏡があればより立体的に感じられるのだとか。
タイトルには「立体アニメーション」って確かに書いてありましたが、そういうことだったのか。
私が本作を見たきっかけは、まず「おにいさまへ…」と「ベルサイユのばら」を、まあ観るじゃあないですか。
それらがとても素晴らしくて、その後「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」を見たときに、脚本家の星山博之氏に興味を持ち、その星山氏がアニメ情報誌「アニメック」で短期連載した小説作品があるということで該当の号を集めまして。
その中のクリエイターへのインタビュー特集で、「おにいさまへ…」「ベルばら」の監督である出崎統回が載っていたんです。(インタビュー時にはまだ上記2作は制作されていないと思いますが)
(昔のインタビュー記事あるある「この人この後あの代表的名作を自ら産むことをまだ知らないんだなーと思いながら読むとなんか不思議な感じで楽しい」)
出崎統監督といえば当時すでに「あしたのジョー」や「エースをねらえ!」等でスタークリエイターだったようですが、そのインタビューの中で
「ほんとは『家なき子』みたいのが一番好き」
と言っていたんですね。
そこで私は次は「家なき子」を観よう、と思ったわけです。
前振りが長すぎましたが、作品はやっぱり素晴らしかったです。
古い作品ですが、まず背景のフランスの田舎の景色のきれいさに驚きます。
前述の立体視のために特に雲が流れていくのがとてもいい効果でした。
人物の作画もよかったです。
そして個人的にストーリーがすごく好みでした。
第1話のラスト、田舎の村で優しい母と二人で暮らすレミ少年のもとに、出稼ぎに出ていて顔も見たことのなかった、どんな人だろうと夢に見ていた父が帰ってくるシーンでもう完全に心を掴まれました。何なら泣けました。
本作は50話くらいあるんですが(古いアニメあるある「話数多すぎ」)
第1話でこれ?!この調子で50話?!涙ちょちょぎれるだろと思いました。
まあタイトルからもわかる通り、結構ハードで悲劇的な側面の強い話で、
子供のころの自分なら絶対見なかっただろうなと思います。
私子供のころは絶対泣かされるとわかる作品は観たがらなかったんです。
「みなしごハッチ」とか、「火垂るの墓」とか。
「火垂るの墓」はついこの間初めて観ましたけどね。へへ
でもなんだか気が付いたらいつの間にかむしろ「悲劇好き」な人間に育っていた。なぜなのか。
いやでもやっぱり、これは子供に見せるにはハードっていうか、ワンパクなキッズが毎週楽しみにする話って感じではないよな…。
本作で私が特に感じたのは、主人公レミの無力さです。
主人公レミはまだ10歳前後の少年なので、はじめは本当になんの力もないのです。親に売られた旅芸一座で、師匠となるビタリス老人から歌と踊りと小芝居を仕込まれますが、彼のスキルは基本それだけです。それらも特に天才的に優れているとか、そういう感じでもない。
それでビタリスから離れて一人になったり、パンを買う金もなくなったり、泊まる家もなく冬になったり、警察に追われたりする心細さといったらないです。一応優秀な犬はいつもそばにいてくれますが。
そういう危機を、基本的には機転を利かせて脱するわけでもなく、持ち前のスキルで力強く切り開いていく感じでもありません。
じゃあどうするか。
多くの場合、優しい人に助けてもらうのです。運よく、といってもいい。
そもそも親のない子供が労働力として売り買いされていた時代に買い手となったビタリスが慈しみ深い人物だったことが幸運中の幸運なのだ。
これだけ聞くとそれで話が成り立つのか、と思われるでしょうが、
それを視聴者が受け入れてしまうのは、レミ少年がいつも一生懸命だし、つらくてもあきらめないからかもしれません。
ああ、私が幼き頃泣かせる話が嫌いだったのは、こういう「辛くてもあきらめずにがんばれ」的なメッセージを感じ取っていたせいかもしれない。
それって一番やりたくないことだから。大人になった今でも一向それは変わらないが。(胸張っていうことか?)
ハードな作品と聞くと、厳しい状況下で、力を持ったタフな主人公がその逆境に己の力一つで立ち向かう、みたいなの想像しがちな気がしますが、
レミは違う。
厳しい状況下で、何の力もないままただ立ち向かう。
ただ諦めずに歌ったり、歩いたり、耐えたりするだけで、
そこに誰か優しい人が通りがかってくれて、はじめて生きていける。
こんな運任せ他人任せで、不安定で寄る辺ない生活、そしてそんな中でも自分を勇気づけて生きていかんとする姿勢、こういうのを見せられて私は、
我々が力のある、強い主人公にあこがれるのは、
レミのように人に助けられて生きるのが怖いからなんじゃないかと思いました。
人にそっぽ向かれたら終わり、だからといって誰かが助けてくれる薄い希望を、あきらめず信じて頑張り続けないといけないのがあまりに辛いから。
それだったら強力で孤独なヒーローになって人々を守るほうがラク、あるいはそんなヒーローがきっと助けてくれると信じたいのかも。
でも現実は多くの場合レミ寄りだと思います。
そういう意味で本作がエンタメかといわれるとわかりませんが、心を打つのは確かだと思います。
出崎氏が「本当は『家なき子』みたいなのが一番好き」といった言葉の真意もその辺にあるのかもしれない。
そしてこれは原作がそうなのだろうと思うのですが、本作では「訴訟」とか「官権」が随所に出てきます。それらは民衆や主人公たちを追い詰める不合理なものとして描かれており、こういう部分が当時のフランスの大衆の心理に刺さった側面もあるのかなあなどと思いました。原作もいつか読めたらいいな。
本当にガチのマジでネタバレですがレミは最後にはハッピーエンドを迎えられるので、筋金入りのバッドエンド原理主義派悲劇好きの諸兄にはぬるいかもしれませんが、個人的には「悲劇好き」必見!のアニメだと思います。
ではまた。