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ゲンバノミライ(仮)第42話 イベンターの矢野っち

工事現場の作業と街のブランディングと復興イベントのパッケージ。
聞いたことが無い組み合わせだ。要は初めてということ。
面白そう。いろいろ大変そうだが、細かいことは後から考えればいい。この仕事は絶対にやりたい。

あの日、矢野辰也は、久しぶりの高揚感に包まれていた。
あの災害で大きな痛手を負った海辺の街で、復興工事の現場を舞台にしたコンサートイベントが開かれた。ハードコアやパンクのインディーズバンドがメインだったが、弦楽器やダブルドラムの超絶テクニックで圧巻の高揚感を作り出す人力トランスバンドや、即興を得意とする実力派のジャム・バンド、ジャズをベースにしたインストゥルメンタルのグループなどがラインナップされていた。企画したのがこの街の復興現場で働く職人によるバンドということも興味がわいた。

矢野は、大規模の野外ロックフェスティバルなどを手掛けるイベンターだ。いくらでも伝手はあったが、少しでも復興支援に貢献しようと自腹でチケットを買って友人らと出かけた。安全で安心な街にしようとかさ上げ工事が進められた場所にステージが設けられた。バックのスクリーンには、各バンドが用意したビジュアルのほかに、笑顔を取り戻そうと奮闘する被災地の人々の姿が投影された。演奏が終わって次のバンドのセッティングを行う時間には、街の子どもたちが登壇して災害列島と呼ばれるこの国の現状や、いざという時のための備えを説明したり、この街のかつての姿を知る高齢者が思い出話や未来への希望を語ったり、職人たちが出てきて鉄筋組み立て技を競ったりした。
テーマは復興と防災、そして希望。ライブイベントなのだが、根底に流れる関係者の思いがしっかりと伝わってきた。

メインとなるヘッドライナーは、インディーズ時代に大型イベントを成功させた伝説のパンクバンドだった。当初は明かされておらず、1週間前に被災地を中心に情報が流された。チケット販売は既に締め切られていたが、被災者であれば復興支援への寄付を条件に、入場が認められた。
SNS(インターネット交流サイト)で一気に広まったが、都会からは、事前にチケットを買っていた人以外は参加できなかった。そのことが、新たな伝説のフェスと呼ばれる所以にもなった。

一人の観客としてステージを見ていた矢野は、若い頃に初めて見に行った野外フェスを思い出していた。
超豪華なメンバーがそろってチケットがソールドアウトになったが、台風直撃に見舞われた。現地は混乱し、ぐちゃぐちゃになった斜面でのコンサートに身の危険を覚えた。野外フェス初体験の人だらけで十分な準備も無く、急きょ開放されたステージ用の大きなテントで身震いしながら夜が明けるのを待った。ようやく夏らしい暑さに包まれて外に出ると、2日目が中止との放送が流れた。泥だらけの姿で都会に帰った。

劣悪な環境のフェスだった。そうなのだが、国内初のステージとなった海外のバンドが、いつもの決めぜりふで演奏を始めた瞬間に覚えた沸騰するような感情の高ぶりは、今も鮮明に記憶に残っている。
仕事で多くのイベントを手掛けて中年になり、大型イベントは見慣れた光景になった。あのような高揚感はもう無いだろうと思っていた。

復興工事の現場でのフェスは、最後の大トリを除けば、ビッグアーティスト登場時のうねりのような盛り上がりは無かった。だが、心をぽかぽかに温めてくれるような静かに湧き上がる感動があった。大トリの前に、企画した職人バンドが登場して素晴らしい演奏を見せてくれた。地味な中年のおっさんたちだった。登場時の大きな歓声に感動して泣いてしまって、しばらく演奏が始まらなかった。すごく馬鹿みたいで、圧倒的に格好良かった。彼らがステージを去った後も拍手と歓声が鳴り止まなかった。

矢野は、伝説のバンドも顔見知りだ。イベントが終わった後にあいさつに行った。打ち上げの場には、復興プロジェクトを一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の職員や現場の作業員、街の人と思われるおじいさんやおばあさん、自治体の人たちなど普段はあまり目にしない顔ぶれが集まっていた。

皆がイベントの成功を喜んでいた。

一体感ってこういうことを言うのか。

そんなことを思った。

しばらく経って、1通のメールが来た。あの街の首長である柳本統義とCJV所長の西野忠夫の連名で、街開きに合わせたイベントを見据えた企画への協力を依頼された。街開きに合わせたイベントを見据えた企画への協力依頼だった。

大型ロックフェスの誘致をきっかけに街が活性化したケースが出てからは、自治体も注目するようになっていた。ロックフェスという冠が付いているものの、国内外の様々なジャンルのバンドや映画や演劇、VR(仮想現実)と融合したエンターテインメントなど、イベントごとに多種多様な彩りが生まれていた。

だが、建設現場との連動型は、聞いたこと無かった。

プランを聞くと、復興工事完成時のコンサートの前段として、まずは、多くの人に呼び掛けて現場の作業員として働いてもらう復興工事実感DAYという企画をやるのだという。
CJVには3桁の数の協力会社、いわゆる下請企業が参画している。実感DAYでは、1社に1人ずつ日雇いで一般市民を受け入れるらしい。

窓口になったのは、あの地域の建設業界団体の支部で事務局長代理を務める佐野詩織だった。実感DAYの発案者だ。

「復興現場の見学会は、ここでも何度も開かれています。それはそれで大事ですが、せっかくこんなダイナミックに現場が動いているのに、ただの観客でいるだけじゃつまらないと思いました。
自分が手を動かすと、実感がわきます。愛着も出ます。それは、復興を目指すこの街にとって良いインパクトを与えるはずです。

建設業って、『きつい』『きたない』『危険』の3K業界だとずっと言われてきました。まだまだ道半ばではありますが、自動化とかロボットとか取り入れて、『給与』と『休暇』と『希望』がある新3Kにしよって取り組んでいるんです」

「そうだったんですか。全然知りませんでした。あの時の現場フェスで工事中の映像を流していたじゃないですか。あれを見て、今の工事現場って格好いいなって思いました」

「そういっていただけると嬉しいです!
私自身、何も知らなくて建設業界に入ったのですが、働いてみてイメージがかなり変わりました。だから、一般の方にも、ちょっとだけ内側をのぞいてもらいたいんです。そのためには働くのが一番です。
日給も支払います。そうすれば参加される方は真剣になりますし、建設会社の側も問題行動に強く指導ができます」

なるほどと思った。客と従業員では、意識は180度変わる。

実感DAYは、矢野の範疇外だが、そこから復興イベントにつながる流れは、自分の役目だ。最初に考えたのは、復興イベントへのチケット優先購入権の付与だ。前回の現場フェスは数万人規模で人を集めた。安全を確保した上で海に近い更地に会場を設けて、ビッグアーティストをそろえれば、もっと多くの客を呼べるはずだ。

それだけでは物足りない。
復興イベントの後に、被災者や街の関係者、CJV、現場で働いた作業員など復興に従事した人を集める大祝賀会を開いてはどうかと思い立った。現場フェスも良かったが、あの後の打ち上げの雰囲気が、それ以上に良かった。
本音を言えばうらやましかった。企画側として、あの場にいたかった。

同じように感じる人が、きっといるはずだ。実感DAYの参加者には、大祝賀会への参加権利も与えてはどうだろう。飲食代は実費ベースで有料として、交通費もかかる。それでも、自分が少しだけ汗を流した現場の完成形を見に来たいと思ってくれるのではないだろうか。

実感DAY当日には、参加者が人目に分かるように、特別なユニフォームとTシャツを配る。そこには、あの街の名前と復興後の未来予想図を描く。大手ファッションブランドや大手企業らに協賛してもらって、費用は捻出すれば良い。
そのTシャツを着て、復興イベントに参加したら、新たな出会いも生まれるはずだ。

矢野は、CJVや自治体と協議しながら、実感DAYと連携した企画案を煮詰めた。柳本は「実感DAYで私も働きたい!」と言い出す始末だった。周りの自治体幹部が必死になだめる姿がおかしかった。

実感DAYから復興イベントにつながる企画案を公表したプレスリリースには、大きな反響があった。実感DAYは当初、土曜の1日だけを予定していたが、予想を遙かに上回る応募があり、日曜も追加で実施することにした。それでもかなりの競争倍率になった。

すべてがトントン拍子だった。

その風向きが、感染症の拡大で一気に変わった。実感DAYを無事に終えた後だったのが、せめてもの救いだった。

矢野がいるイベント業界や音楽業界は、急激に苦しくなった。大人数が集まるイベントができない事態が起きることなど全くの想定外だった。ミュージシャン、コンサートホール、ライブハウスなどの多くの関係者が苦境に立たされた。

ワクチン接種が始まったが、いまだ元通りになるめどは立っていない。
被災地の人を手助けする。そんな上から目線に自分はいたのだと、苦しい立場になって初めて分かった気がしていた。

工事がまだ続いているため、復興イベントの日程は決まっていない。まだしばらく時間がある。その時までに、野外フェスのニューノーマル(新常態)を組み立てていく必要がある。

実現すれば、矢野たちにとっての復興も意味することになる。

いろいろ大変そうだが、ワクワクする。
やっぱり、この仕事は絶対にやり遂げたい。

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