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ゲンバノミライ(仮) 第4話 実家に帰った金さん

前園金之助は、名前とはまったく異なり、金との縁が薄かった。結婚のために地道に貯金していたが、事業に失敗したという中学時代からの友人に泣きつかれ、やむを得ず金を貸した。1年後に返す約束のはずが、連絡が取れなくなった。そのことで彼女との仲がこじれ、結局別れる羽目になった。

自暴自棄になり、やけ酒に溺れ、体調を崩してしまった。仕事もままならなくなり、実家に戻って静養することになった。すべてにおいて自信が無くなっていた。だが、両親も年老いてきており、働くほかない。身体が復調すると、仕事探しに取りかかった。

事務職を何社か受けたが、経験のない中年の行き場はなかった。ハローワークで建設業界が人材不足だと聞き、経験も年齢も不問という鳶・土工を中心とする小さな建設会社を受けてみることにした。

雇ってくれるのならば何でも良いと思いながらも、建設現場というと何となく怖いイメージがあった。危険とか、荒くれ者がたむろっているとか。正直、あまり関わりたくないような人が多いのではないだろうか。

いざ、会社の前に立つとそうした不安がわき上がってきた。だが、今日来ることは伝えてある。直前にキャンセルするのも気が引ける。応募に来ているのに「あなたには無理だから、やめた方がいい」と断られることを暗に望むような相反する感情に包まれていた。

そんな気持ちだったので、採用面接で前園の方から社長の北村健吾に切り出した。
「この年で何の経験もなく不器用で自信もありませんが、やっぱり駄目でしょうか?」
「いや、全然いいですよ。いろんな人がいますから。とりあえず、やってみましょう」

期待はあっさりと裏切られた。北村は笑顔を見せることもなく、事務的な淡々とした表情でそう言った。そう言われると断りようがない。前園は「ありがとうございます。よろしくお願いします」と頭を下げた。

最初に連れて行かれたのは、地元の自治体から発注された道路工事の現場だった。一回り以上は年下の職長と、20代の若者と前園の3人で現場に行くと、同じようなグループがほかにも来ていて、20人くらいの人数でコンクリートの打設作業をさせられた。鉄筋が組まれ型枠で囲まれた所に、生コンクリートが流し込まれ、そこにバイブレーターという機械を突っ込んで振動を与えていく作業だ。

足元に気をつけながら、決められた場所を行ったり来たりして、作業漏れがないようにしっかりとバイブレーターを差し込んで、時間をかけて全体を攪拌していく。そうするとぶくぶくと気泡がわき上がってくる。「締め固め」と呼ぶ作業で、前園はなんだか楽しかった。20代の若者は「かったるいな」とぶつくさ文句を言いながら作業をしていたが、気にならなかった。

翌日以降は別の現場を転々して、しばらく経つと、もう一度、その現場に送り込まれた。前回打設した所の型枠が外されていて、固まったコンクリートの壁面が仕上がっていた。だが、表面はまだら模様で、きれいな部分が所々にあるが、穴が空いていてでこぼこになっていたり、生コンクリートに含まれていた石が見えていたり、ひどい有様だった。そうした不具合部をモルタルで補修する左官屋のサポートが、その日の仕事だった。

あの時の作業がまずかったから呼ばれたのかと思ったが、それは違った。前園のチームが手がけたところはきれいに仕上がっていて、丁寧な仕事ぶりが評価されていた。信頼されたから頼まれたのだ。難しいことは良く分からないが、指示されたことをきちんとやっていれば美しい構造物ができる。些細でちっぽけだと言われそうだが、前園にとっては嬉しい発見だった。

現場で危ない目に遭ったこともあったが、無事に1年が過ぎた。ちょうどその頃に、前園は社長の北村に呼ばれて、「ちょっと遠くで仕事をしてもらえないか」と頼まれた。

行き先は、被災地の現場だった。

「なんで私なんですか?」
「大きなゼネコンがやっている現場で、しっかりとした人間を送り込みたいんだ」
「私は入ってまだ1年くらいですよ。仕事も覚えていないし、この年だから、機敏な動きなんて全然できない。役に立たないですよ」


「そんなことはない。金さんは、無駄口も叩かずに言われたことをちゃんとやってくれる。すごい助かるって、職長連中の評判はいいんだよ。もちろん、若手に比べると動きは鈍いかもしれない。けれど、現場っていうのは慎重さが求められる。俺たちみたいな会社の作業員は、変に過信があるよりも、自分のペースを保って指示されたことをこなすことが大事なんだ」

「私は臆病で不器用で、楽しいっていうよりも怖い感情の方が強いんです。情けないですが。だから、どこにいても役に立たないまま、こんな年齢になってしまったし…。こんなおっさん要らないって。本当のことを言ってもらってもいいんです」

前園がそこまで言って俯いていた顔を上げると、北村が厳しい表情を見せていた。
また、余計なことを言ってしまったか。
クビか…。

前園のそうした予想は、まったく違っていた。

「違うよ。全然違うよ。そうじゃないんだよ。
正直言って、無駄な自信なんていらないんだ。言われたことだけを淡々とやって仕上げるって、なんか馬鹿にするような風潮があるけど、世の中の仕事の大部分は、それでいい。いや、それが、いいんじゃないのか。
そういう人がいるから、便利な生活ができている。私たちたちがやってる仕事も、そうした便利とか安心とかそういうことを、ほんのちょっとだけ支えている。だからお金がもらえている。そう思うんだよ。
自信とか不安とか引け目とか気持ちがどうとかじゃなくて、目の前に仕事があって、それが犯罪とかじゃなければ、それをやろうって。それだけだよ」

北村は、噛みしめるように言葉を発していた。少しの間、沈黙が流れた。

前園は、何も言わずに、北村の言葉を待った。

「すいません。変な話になってしまって」

北村の声ぶりが変わった。

「僕の周りにも、金さんみたいな考えの人がいて、何とか助けようと力になろうとしたんだけど、うまくいってなくて。
なんかごちゃごちゃ考え込んでしまうんです。でも、たとえ遅くても手を動かして物を造っていけば、それって役に立つんですよ。
あなたが自分のことをどう考えようがあなたの勝手で、そんなこと僕には介入できません。でも、あなたが現場の力になるって、僕は思っているんです。
被災地の現場は、工期はきついし、周りに遊ぶところもないし、冬は寒いし、宿舎もしっかり整ってないし、その上、この感染症です。あんまり良い所じゃありません。住民の方はもっとしんどいです。だから、僕たちがちょっとずつ物を造るんです。そして、それが金になるんです。だったら、それでいいじゃないですか。

なんだか訳が分からないですよね。なんでこんな話になったんでしょうね」

北村は溜め込んでいた自身の心情を自らに対して吐露しているような面持ちだった。それからゆっくりと煙草を吸って、遠くを見ていた。

「金さんが嫌だったらいいよ。今のままでも十分だから。この話はなかったことにしよう」
「いや、行きます。今まで通りにしかできませんが、やってみます」
前園は、即答していた。

深い考えがあってのことではない。ニュースなどほとんど見ないので、被災地のことは正直よく知らない。北村の話もなんだかよく分からなかった。ただ、作業員仲間の噂で、被災地に行くと遠隔地手当みたいなものが付くと聞いていた。給料が少しでも良くなるなら、出てみてもいいかもしれない。北村には言えなかったが、その程度のことだった。

今の現場は月末には落ち着く。その後に少し休みをもらってから被災地に向かうことになった。
それは戻ってきた実家を、再び離れるということだ。

家に帰って、被災地で仕事をすることを両親に伝えた。
「俺は、ただ言われたことをやってるだけだ。でも、そうしていれば、もう一度、仕事に呼んでくれる。頼ってくれる。だから、被災地の現場に行ってみるよ」

「良かったじゃない。気をつけて、いってらっしゃい」
母親が、とても嬉しそうに、そう言ってくれた。


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