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第59話 しっかりしろ達也先輩

はあ…。ため息が出た。
楽しそうに食事をする若いカップルが目に付く。

今年はクリスマスが週末に重なる黄金パターン。感染症の不安はまだつきまとっているが、感染者数は何とか低水準にとどまっていることもあって、街には人手が戻っている。
自分だって、いちゃいちゃしたい。だが、電気設備会社の技術者として働く奥山達也はいつものように仕事だった。

クリスマスイブだった昨夜も現場は通常通り。残業して帰ったら10時になっていた。
それでも現場は毎朝8時から作業が始まるので、出勤時間は変わらない。
年末年始のような連休前は、仕事に追い立てられるのが恒例だ。

奥山は、あの災害からの復興街づくりが進む海に近い災害公営住宅の現場で、1次下請企業のリーダーとして電気設備工事を担当している。早期復興が掲げられているため工程はかなりタイトだったが、ようやくめどが立ってきた。

年が明けてしばらくすると内陸の民間オフィスビルの工事に現場が変わる。今日は、次の現場の打ち合わせに内陸の街に来ていた。朝には現場に行って作業を一通り指示しており、問題ないことを確認してから後輩の福田桃子に任せてきた。

現場の仕事は、現在進行中の作業を管理するだけではない。次の現場の元請けゼネコンと打ち合わせをしながら、計画を立てて人や資機材を段取りしていくことも大切な仕事だ。経験を積ませる狙いから、次の現場の打ち合わせに順番で後輩を同席させている。

前回は福田だったので、今回は入りたての広瀬正明を連れてきた。打ち合わせは午後一番に設定されているので、せっかくだから、街で昼食を取ろうと早めに現場を出た。
とはいえ、今日は週末のクリスマス。作業服姿の男2人では、なんとも肩身が狭い。
できるだけ普通モードで食べたいと中華料理店を選んだのに、思惑が外れて、クリスマスモードが漂っていた。

「俺はこのフカヒレあんかけチャーハンと餃子のセットにするよ。
おごるから、旨いのを食べよう!」
広瀬にできるだけ明るい口調で話し掛けた。

「いいんですか? よっしゃー! ありがとうございます!」
「まあ、仕事中だから酒は駄目だけどさ」
「それはしょうがないっすよ」

左隣と目の前のテーブル席が若い男女のカップルだった。昼間からビールやワインを飲みながら楽しそうに話している。
右は中年男性が1人だが、紹興酒のボトルを頼んで、点心をつまんでいる。

店内には、定番のクリスマスソングが流れていた。カラオケで何度も歌ったことがあるので、さびの部分の歌詞は頭に入っている。

ライトアップされたクリスマスツリーが輝く中で、片思いの女性に待つシーンが目に浮かぶ。
来てほしいのに、たぶん来ない。
切ない歌詞だ。

だが、意中の相手を待ちわびることができる環境が、奥山にとってはうらやましい。
遠距離恋愛だった宇野麻衣から、愛想を尽かされたのは1年前のことだ。
クリスマスイブに電話したがつながらなかった。


「きっとじゃなく、絶対にあなたは来ない。私には無理。さようなら」
短いメールが来ただけだった。

取り繕うチャンスもなかった。仕事に追われて、自分に使う時間が奪われていた。
建設業界の人手不足は年々、深刻化している。
1年前は、特にてんてこ舞いだった。

都会の大型建築現場にいた。「新しい働き方」という言葉が広がり、もっと柔軟に快適に働けるような新時代型のオフィス需要が急速に拡大していた。在宅勤務や共同オフィスなどを組み合わせながら、仕事が最もはかどる場所を選んで仕事する勤務形態が当たり前になりつつあった。服装も、ネクタイなどせずにカジュアルな格好が認められ、仕事と余暇が最適化された社会へと向かっているのだという。

素晴らしいことだと思う。
最新のオフィスビルで働く人たち「だけ」にとって、という枕詞が付くが。

そうしたビルを造っている奥山達からすれば、笑っちゃうくらいに全く関係ない世界だった。
ワーク・ライフ・バランスに満ちあふれた職場を早く安く造るために、土日も休み無く突貫工事をして、クリスマスイブも残業で彼女から別れを切り出される。

どこに「新しい働き方」とか「働き方改革」があるのだろうか。

俺は、毎年この時期になると、こんな後ろ向きな思いに包まれるのか。

「先輩、大丈夫っすか?」

広瀬に声を掛けられて、我に返った。
「悪い悪い。ちょっと考え事してて」
「疲れが溜まってるんじゃないですか」
「そうだな。おっさんになって、なかなか疲れが抜けないんだよ。
 それより、食おう食おう」
「おいーっす。旨そう!」

「クリスマスイブもクリスマスも仕事で悪いな」
「全然平気っすよ。彼女もいないし。
そもそも、悪いのは先輩じゃないですよ。
この前も安全大会で働き方改革とか言ってたけど、あれって、なんなんすかね」

「元請けは人数がいるから、『自分たちは交代で休む』っていう宣言みたいなもんだよ」

過労死するような勤務状態を防ぐために、建設業界にも残業時間の制限が課せられることが決まって、やたらと働き方改革という言葉が叫ばれるようになった。
基準を超えるような残業が見つかれば行政指導があり、下手すると逮捕されてしまう。元請けのゼネコンは、時間外労働に神経をとがらすようになり、社員を交代で休ませるため人員を増やしていた。だが、奥山達のような下請企業は、同じように増強するような人員をそもそも持ち合わせていない。今は、定年延長したベテランを交代要員として呼んで、何とかやりくりしているが、こんなことができるのはせいぜいあと10年くらい。その先を考えると憂鬱になる。

「でも、自分は今回の現場に来れて良かったって思ってます。
あんな風に言われると嬉しいですよ。元気になれました。だから、頑張ります!」
広瀬は、肉汁たっぷりの餃子を平らげてから、こう言った。

先日の現場見学会でのやり取りのことだ。
この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)が企画して、災害公営住宅に住む予定の被災者を呼んで、現場を一通り見てもらった。

見学会の時は、第三者が周りにいて危ないから、作業をいったん中断することが多い。
奥山は、見学会の一行が入ってくるのを見ると、福田や広瀬や2次下請の菊池五郎らに手を止めるよう指示した。
「こんにちは!」と大きく挨拶して、見学者が次の場所に移っていくのを見守っていた。

一番後ろを歩いていたのが藤森ユキだった。周りがどんどん先に歩いていく中で、一人立ち止まり、「ねえ、あなた」と広瀬に話し掛けてきた。

「あなたは、どちらからいらしたの?」
「南の田舎の方です」
「そんな遠くから、大変よね。あなたは、どういう仕事をなさっているの?」
「自分は電気設備っす。最後は隠れちゃいますが、壁の裏とか天井とかにケーブルを回してつなげてます!」

「あらあら、元気でいいね」
「自分は元気だけが取り柄っす!
腕はまだイマイチで、時々怒られますけど。頑張ります!」

「あなたの働いている所をちょっと見たいわ。良いかしら?」
「先輩、いいっすか?」

奥山は、「もちろんだよ。しっかりやれよ」と広瀬に伝えた。

「はいっ! 菊池さん、一緒にお願いします!」
広瀬は大きく返事をすると、菊池とともに、やりかけになっていた幹線ケーブルの配線作業を始めた。置いていた100メートル巻きのケーブルから端部を引っ張り出し、移動式足場に上がると架台にテンポ良く据え付けていく。

藤森は、ずれていたヘルメットを少し直してから、じっと広瀬の方を見つめている。
「入りたての若手で、ちょっと見た目はチャラいですが、仕事の時は真剣にやってくれます。一生懸命でまじめな奴なので、温かく見守ってください」
奥山が藤森に伝えると、笑顔でうなずいてくれた。

「トヨさん。すいません。
 そろそろ次の場所に行ってもよろしいですか?
 皆さんは先に行っていますので」
CJVの中西好子が藤森を呼びにきた。
奥山は「広瀬、菊池さん、そろそろいいです。ありがとうございます」と呼び掛けた。

広瀬も藤森の前に戻ってきた。
「あなた、すごいわね」
「まだまだっす。頑張ります!ありがとうございます!」

「遠くから来ていただいて、本当にありがとう。どうぞ、よろしくお願いします」
藤森はゆっくりと頭を下げて、こう言ってから、広瀬ににっこりと微笑みかけた。

たったそれだけのやり取りだ。

「あのおばあさん、すごく嬉しそうに広瀬の仕事を見つめてたよ。孫みたいに思ったのかな」
「分からないっす。でも、俺は気持ちが温かくなって、とにかく嬉しかったっす」
「そうだな。良かったな」

そう言いながら、奥山は、とにかく嬉しかったのは自分の方だと思っていた。
自分たちはゼネコンのように完成まで現場にいることがほとんどない。少なくとも奥山は、出来上がった姿を見てもらって、施主や利用者に喜んでもらう場面に立ち会ったことはない。そうした実感が乏しいことで、仕事に対するプライドが萎えてしまう状況がある。だから、ちょっとした一言が大きな支えになる。

フラれる前に聞いていたら、もっと自信が持てただろうか。


そうすれば、別れを告げられた時に伝えられる言葉が変わっただろうか。


広瀬が自分くらいの年になった時に、この業界に「新しい働き方」が届いているだろうか。

広瀬は幸せに働いていてくれるだろうか。 

店内に飾られた小さなクリスマスツリーを見ながら、頭を巡らせていた。

「おいおい、まず自分のことをしっかりやれよ」

思わず独り言が出た。


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