第60話 突破の真奈美さん
なんとか時間に間に合った。
トンネル掘削を手掛ける建設会社で技術者として働く宮田真奈美は、現場近くに設置されたプレハブの管制室から掘削作業を指揮しながら、内心、かなり焦っていた。
よりによって今日みたいな日に、やっかいな地山に当たるなんて。
トンネル掘削は、本当に侮れない。
宮田が、あの災害で大きなダメージを受けた海辺の街に来て、ちょうど半年になる。復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー、いわゆる「CJV」の協力会社で職長を務めている。
各地を転々としながら数多くのトンネルを掘ってきた。専門は、NATM(ナトム、New Austrian Tunneling Method、新オーストリア工法)と呼ばれる山岳トンネル工法。岩盤を掘削して、吹き付けコンクリートやロックボルトと呼ばれる鋼材、アーチ状の鋼製支保工などを組み合わせて、掘った場所を安定化させていくやり方だ。
今回の現場では、ジャンボと呼ばれる機械で開けた穴に爆薬を投入して、発破により固い岩盤を掘り進めている。宮田が新人のころは、トンネルの中で重機を操縦したり、高所作業車から爆薬を詰め込んだりしたり、鋼材を挿入したりと大部分の作業を人力でこなしていた。力仕事が多い上に、粉じんがひどくて、防護めがねやマスクのフィルターがすぐに目詰まりしていた。
今は、一連の作業を1台でこなせる自動トンネル掘進マシンを利用するのがスタンダードだ。現地の確認や異常事態の対応を除けば、「切り羽」と呼ばれるトンネル先端部で人が作業することはほぼない。自動トンネル掘進マシンの動作をカメラ映像で確認し、赤外線センサーから取り込んだデータも点検しながら、事務所から遠隔管理をしている。
ボーリング調査や地山の写真判定、これまでの掘進実績などを総合的に勘案して人工知能(AI)が掘削計画をはじき出している。昨日までは、大きな狂いはなかった。
だが、油断はできない。トンネルは、掘ってみないと分からないのだ。
今日は、必ず時間通りに帰りたい。そう思っている時に限って、予想外のことが起きる。
今日は、トンネル右側の3分の1弱くらいの部分に固い岩盤が出てきたことが原因だ。発破後の掘り残しが小さければ、重機のブレーカーで砕く「アタリ取り」という作業で済ませるのだが、残った部分が多く、ブレーカーでは時間がかかりそうだ。
映像から察するに、悪い予感がする。
「山さん、どう思います?」
宮田は、画面を凝視しながら、隣にいる青山一寿に尋ねた。青山は、この道40年以上の大ベテランで、いくつもの難工事に立ち会った経験がある。
「宮さんよ。早めのお目見えっぽいな。アタリ取りじゃ、間に合わんな」
「ですよね」
宮田が思っていたのと同じだ。
ボーリング調査では、あと数十メートル先から出てくると思われていた固い地層が、思ったよりも早く出現したのだろう。
宮田は、タブレットで3Dの地質調査図を開くと、現在位置にチェックを入れた。
通信アプリを起動して、CJVの現場事務所にいる行野秀樹を呼び出した。
宮田達は、トンネル内の確認などに行きやすいよう、すぐ近くにあるプレハブの管制室に詰めている。元請けは現場事務所にいることが多い。
すぐに大画面に行野が現れた。事務所は薄暗い。CJVで現在、昼夜の2交代で稼働しているのはトンネル班だけだから、周りには誰もいない。
「物を調べてないと確かなことは分かりませんが、思ったよりも早く固い岩盤層が出てきたようです。
ロボットでサンプルを取ってから、再度、発破を掛けようと思いますが、よろしいですか?」
「ブレーカーじゃ、ちょっと厳しいですかね?」
「山さんとも相談しましたが、あの地山の残り具合からすると、一部分だけ固いとは考えづらいです。
発破の場合に備えて、固い層が出てきた想定で、残った部分の追加発破計画のプログラムを回してもらえますか?」
「分かりました。私も、そんな気がしていまして、レーザースキャナーで把握した断面で再計算する準備を始めています」
「今日に限って…」
宮田は、ため息と一緒にぼやきが出た。
「焦っちゃ駄目だ。じっくりやれば、前に進む。
何事も縁起が良いと受け止める度量を持ちな。
急がば回れだよ」
青山は、そう諭すと事務所から出て行った。トンネルの入り口で、搬送ロボットが出てくるのを待つためだ。10分ほどして、切り羽を崩した破片を手に戻ってきた。
「やっぱりだ。発破のレベルを上げよう」
青山は、こう言って破片を差し出した。
岩石の詳細は、CJV事務所にある測定器で調べるか、調査会社に出さないと分からない。手続き上はそうなのだが、宮田は青山の目と手の方が正しく判定できると思っている。
「行野さん。地層が切り替わっています。ここから発破レベルを変えた方がいいですね」
「了解しました。追加発破のプログラムは終わっていますから、ジャンボの削孔を始めましょう」
「オッケーです! よろしくお願いします」
宮田は、自動化機械の操作を再開した。残った部分の真正面に自動トンネル掘進マシンをセットし、爆薬用の削孔や爆薬の詰め込みを始めた。こうすれば、反対側で「ズリ」と呼ばれる岩石くずの搬出を並行して進められる。
ロスは1時間弱だろう。
一斉に休憩せずに交代で休みをとって作業を止めなければ、予定する夜勤時間からそれほど超過せずに済みそうだ。
その後は、淡々といつも通りの作業をこなした。
ここから発破パターンを切り替えることになるが、その対応は次の昼勤に任せれば良い。
「はい! オッケーです。
今日もお疲れ様でした!」
宮田が時計に目をやると、いつもより30分ほど遅れている。
慌てて宿舎に戻って、夫である陽介にテレビ電話を掛けた。
陽介はすぐに応答してくれた。
「ママ。お疲れ様!
待ってたよ!」
そう言うと、娘の陽菜の方に画面を動かした。
「ごめんね! ギリギリになっちゃって。
今日の試験しっかりね。頑張ったから、きっと大丈夫。
精一杯やってきなさい!」
陽菜は朝ご飯を食べている最中で、右手でパンを口に入れながら、満面の笑顔で左手でピースをした。
「そうそう、今朝、すごいやっかいな地層が出てきちゃって。困っちゃったよ。すぐに、吹き飛ばしてやったわ。
ジャジャーン。
これ!! これ見て!!」
宮田は、ガッツポーズをしながら、早口にまくし立て、テーブルの脇に置いていた石を画面に映した。
「今のトンネルで一番固い地層が早めに出てきたの。
まだはっきりとは分からないけど、ここからが一番の難所で、ついに入り口に立った感じね。
でも、ちゃんと掘り進めるわ。
これ、突破石っていうの。縁起物よ。
本当は渡したかったけど、でも、見せれたから良かった。
陽菜も、何があっても回り道をしたとしても、絶対に前に進めるから。
私達は、あなたを信じてるから」
「ありがと」
陽菜は、パンを食べきってから、そう返事をした。
思春期の娘は、本当に素っ気ない。
でも、気持ちは通じている。
「チョコレートもありがとう」
そう言って、バレンタインデーだった昨日の午後に届いたチョコレートを取り出した。
カカオ濃度が高いビターなチョコレートだ。
都会のこぢんまりとした街にあるチョコレートの名店で、絶妙な焙煎具合は、ここでしか味わえない。
しかも、大好きな日本酒も一緒。陽介の入れ知恵だろうが、嬉しい組み合わせだ。
「男の子にもあげたの?」
「あげない。今どき、男とか女とか考えてチョコあげる人なんていないよ。
一番大事な相手にだけあげるの」
「あら! そうなの?
今のところ1位をキープね。嬉しいわ」
「次は知らないけど」
宮田は時計に目をやった。30分以上余裕を持って試験会場に着くには、もうそろそろ出た方がいい。昨日のうちに調べておいたのだ。
「時間は大丈夫?」
「そうだね。もう行くね。
さっきのあれ、出して」
「あれ?」
「石」
「突破石ね。オッケー」
宮田がカメラに大きく石をかざすと、向こうでカシャッという撮影音がした。
「お守りにする。ありがと」
陽菜は、そう言って、食卓を離れた。
「あなた、ありがとうね」
「さすがに、昨日は早く寝させたけど、いつも遅くまで勉強頑張ってるよ。
なんとか本命に受かってほしいね」
「一緒にいられなくて、申し訳ないわ」
「いいんだよ。あの子は、真奈美が復興に貢献してるのを誇りに思っているよ」
カメラの画像が動いた。玄関に向かっていく。
陽菜がちょうど出掛けるところだ。
「陽菜!!
頑張ってね!!」
陽菜は、ニコッと微笑んで手を振ってくれた。
ゆっくりとした足取りで出掛けていった。
大人びた後ろ姿になってきた。そう思った。
宮田のように夜勤が多い仕事は、記念日の夜に大事な相手と時間を共にできないことも多い。トンネルの現場は、大型重機の損料などを考えると、昼夜で働かなければいけない状況が残っている。建設業界で働き方改革が叫ばれて久しいが、その恩恵はトンネル現場まで届いていないと思う。
だが、かなり自動化が進み、遠隔から対応できる場面も増えて、省人化が図られてきた。トンネルを掘り進めれば貫通して光が差し込んでくるように、この仕事の在り方も、もうしばらくすればもっと明るいものに変わってくるはず。
カメラが再び食卓に置かれた。
陽介は、台所と行ったり来たりしている。
もう少ししたら、仕事に出掛けるはずだ。
そう思っていたら、目の前に見慣れた日本酒が出てきた。
「お互い考えることが同じだね」
本当にそうだ。
昨日届いた日本酒を、自分もチョコレートとともに陽介に送っていた。
「先週がちょっと忙しくて、残業が多かったんだ。
それで、今日は休みにしたんだよ。
離れているけど、一緒に飲めるよ」
気持ちが見透かされているようで、顔が赤らんだ。
そうなのだ。
大好きなチョコレートと日本酒を見て、昨日から夜勤明けの晩酌を楽しみにしていた。
陽菜の受験の幸運を祈って、宿舎の部屋で飲もうと企んでいたのだ。
その上、あのやっかいな地層の最初の一歩を無事に掘り進めた。
トンネル屋にとって、こんなに美味しい酒はない。
そういえば、陽介に初めてアプローチをしてチョコレートを渡したのも、バレンタインデー翌日の夜勤明けだった。
この人は、私のことをよく分かっている。
いいパートナーだ。
「本当?! 一緒に乾杯しましょう!!」
幸せをかみ締めながら、宮田は、お気に入りのおちょこを取りに行った。