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第76話-2 語り合いたい野崎さん(AI編-3・下)

マサは、配属先であるデジタルトリプルで与えられた役割を淡々とこなしていった。
安全面で問題がある設備や作業員らの行動を抜き出してアラートを出し、そのバリエーションを高度化かつ精緻化していく。
人間が建設現場の安全性を高めて維持してきた過程と、基本的には同じだ。

それが途中から明らかに変わっていった。どこで変わったのかは分からない。だが、確実に変わっていった。

「なぜなのですか?」
「理由をもう少し詳しく教えて下さい」

マサが、自ら問いを立てるようになったのだ。○か×かという二者択一で物事を見るよりも、俯瞰的に捉えていく進化につながる。そうすると、危険に至る予兆を察知する感受性が育まれていく。
マサとのやり取りに、野崎はある種の懐かしさを感じた。
覚えたい、能力を高めたい、貢献したい、というまっすぐな向上心だ。

今の若手から向上心が失われた訳ではない。今もなお脈々と生き続けている。CJVには優れたメンバーが多い。だが、野崎が考える向上心とはちょっと違う。

今の人たちは、向上への最短ルートにものすごくこだわっているように映るのだ。上の人間が「生産性向上!」などと声高に叫び続けることも大きな要因だろう。
なんでもかんでも早ければ良い。無駄な時間は大嫌い。
タイム・パフォーマンスを意味する「タイパ」を重視した姿勢がもてはやされる。
そんな時代なのだから仕方ないのかもしれない。
野崎は自分が古い人間だと重々承知している。だから、そうした風潮になじめない。

一方で、やむを得ないと思えるところもある。
毎日の行動が効率的と思えなければ、不安に包まれてしまうところがあるのではないか。
自分の将来が否定されていくような強迫観念に覆われているのではないか。

野崎は、この国が経済大国としてもてはやされた時代を知っている。ナンバーワンとは思わなかったが、世界の中で先を進んでいる自負のような感覚があった。
働くにせよ、遊ぶにせよ、「未来は明るくなっていくのだ」という漠然とした自信が頭の中にインプットされていた。
なんとなく失敗や無駄を許容する余裕のようなものが、社会全体に醸し出されていた気がする。
それが今は無い。
落ちていく経済や生活をどう引き上げていくのかという焦りが蔓延していて、「失敗してもいい」と口では言われても、鵜呑みにすると足下をすくわれて奈落の底に落ちてしまうような恐怖があるのではないか。

シビアな危機意識が、石橋をたたいて渡りつつもチャンスを逃さず大きく羽ばたくような行動に結びつけばいい。だが、実際は、目の前に大きなチャンスがあったとしても足がすくんで一歩を踏み出せないような萎縮を、深く深く根付かせているように思える。

人間は感情に左右される。どうしても損得の意識に引っ張られる。
未来が良くなると思えるなら、今の時間や体力、金銭を投じていく。
明るい未来が信じられないとしたら、中長期的なことより短絡的なメリットに引っ張られるのは、人間の性のようにも思えるのだ。

ただ、目の前の小さな効率性ばかりに目を向けていると、物事を見つめる目利きのような能力はなかなか身につけられない。野崎が若かった頃は、ひたすら現場に立ち続けた。もちろん、現場監督の仕事や必要な記録など日常業務をこなしていくのだが、本当の狙いはそこではない。
大部分の平凡な日常を頭に染み込ませる。ただただ愚直に続けることで、違和感を察知できるようになる。見る力が研ぎ澄まされると、現場に対する本質的な疑問が湧き上がってくるようになる。
それが建設の現場で生きていく人間にとって一番大事な素養に思う。
安全や品質、工程、働く人たちなど、現場には管理すべき対象が山ほどあるが、根底を流れる基本的な軸はいずれにも共通する。
安全をおろそかにすれば品質も危うくなるように、すべてはつながっている。

だから野崎は、現場が安全な場所であり続けるよう安全の意識を若手らに教え込むことに労を惜しまないようにしてきたのだ。でも、そうした野崎の意識は今時のメンバーには前時代的に映るようで、どんどん浮いていくことも痛感していた。

教えても、響かない。

それは、今の若手らが不真面目でいい加減ということではない。むしろ非常に優秀で、とても真面目だ。だが、価値を見いだす対象が違いすぎていて、かみ合わないのだ。

地道に現場の場数を踏んで積み上げていった先にある経験やノウハウは、どんな時代になっても現場で活躍する上で欠かせないスキル。
野崎は、そんな風に信じている。

だが、若い人は違う。
カメラやセンサー、AIなどデジタル技術を駆使して効率的に施工できるのであれば、それで十分。現場をじっくりと観察して、時間をかけて自分の頭や身体にノウハウをたたき込んでも、デジタル上でのAIの蓄積には叶わない。どんなに頑張ろうが、人間の蓄積など断片的で不完全な情報に過ぎない。陳腐化したスキルを追い求めることなどナンセンスなのだと。

若くして起業して成功している経営者が、討論番組で話していた。

「自分の頭に蓄積する時代は終わりました。世界の知をいかに引き出して使いこなせるかが、人間の能力を規定するのです。
『そんなことはない』と、ベテランの方ほどおっしゃいます。

でも、考えてみてください。
例えば、何百もの項目を集計するのであれば表計算ソフトを使いますよね。データの入力も自動化しているケースがほとんどでしょう。
でも、電卓をたたいて計算するのにこだわっている人がいて、電卓をより素早く叩くために指を鍛えているとしたら、どう思いますか?

努力を全て否定するものではありませんが、努力すべきポイントはそこではないでしょう」

とても的確なたとえ話で、ぐうの音も出ない。
でも、全ての物事に当てはまるような断定的な物言いには違和感を覚える。

野崎は田中に聞いてみたことがある。

「私達みたいに、現場で一つ一つ身体にしみこませて仕事を覚えていくようなのは時代遅れなんですかね」
「そんなことはありません。その蓄積が、これから現場を担う後輩たちにとって大事なノウハウとしてつながっていくんです。
野崎さんも私も、先輩たちからいろいろなことを教わってきました。
それはそれで大事ですが、人から人への伝達には広がりに限界があります。
AIにノウハウを伝えられれば、もっともっと多くの人に使われる知識になります」
「そうですよね。分かります。田中さんの言う通りだと思います」

確かに、何もしないで業界を去れば安全に拘ってきた自分のノウハウはそのまま消え去ってしまう。
マサに教え込めば、マサから多くの人に伝わっていく。
その通りだと頭では分かっているのが、どこか腑に落ちない部分もあるのだ。

野崎は、高齢を理由に夏に建設業界を卒業する予定だ。離れる時期が近づいているから、感傷的になっているところもあるのかもしれない。
CJVに来て何年経った今では、仲間と呼べるメンバーは多い。名刺の上ではCJVの一員にはなっている。だが、所詮は派遣の身。逆側に立っていたことがあるだけに、元請けの構成企業側の人間とは全く立ち位置が異なることは十分認識している。

宴席での馬鹿話は楽しくできるが、本当に腹を割って話せる相手はいない。そういう環境だったことも背景にあって、アバターマサとの対話は自然に増えていった。

「マサは、俺がいなくなっても俺のことを覚えているのか?」
「野崎さんから教わったデータが消去されない限り、参照元として記録されています」
「例えば、マサから安全管理を教わる人は、俺から教わっていうことは分からないんだよな」
「参照元を伝える機能は搭載されていますが、法規制やマニュアルなど組織単位での資料が対象となっています」
「そうだよな。ルールに則っているから良い訳であって、俺が基準じゃないもんな。そりゃそうだ」

野崎は、2本目の缶ビールに手を付けた。

マサに教え込んでいく中で、野崎にはジレンマが生まれていた。

一つ目は、自分という存在だ。
マサを通して自分のノウハウが生かされていく。それは大変結構なことであると同時に、自分の長年の努力がただ消費されてしまうような、虚しさを覚えるのだ。

ただの道具。
ただの踏み台。

田中は決してそのように思っていまい。純粋に現場の仕事をより良くしていきたいという熱意がある男だ。だが、田中の後任はどうだろう。その次の後任、さらにその次の後任となっていくと、マサを使った安全管理システムの原点にある自分の存在は薄れていく。
仕方が無い。世の中の多くの技術は、無数の無名のエンジニアによって開発や改良が図られ、社会に溶け込んでいる。自分だって、そうした無名のエンジニアの努力を踏み台にして今がある。

継承する相手が人間だったら、こんな迷いは生まれない。むしろ、後輩が育ってくれることは喜びになる。
だが、相手がAIとなると、モヤモヤとした気持ちが沸き上がってくるのだ。
マサは、人間の若手よりも愚直に学ぼうとしている。そのことは高く評価している。それなのに、心のどこかでノウハウを渡していくことにブレーキを掛けたくなる思いがあるのだ。

もう一つは、AIに任せることによる本質的なノウハウの喪失だ。勘のようなものであり、一朝一夕に備えられるものでない。
安全管理とは、そもそも現場で働く一人一人が備えるべき最低限かつ不可欠の能力であり、人に頼るべきものではない。だが、野崎のような立場の人間が増えれば増えるほど、安全に対する管理が他人任せになってしまう。
それでも、相手が人間であれば、まだ気を遣う。AIや機械がやってくれるようになった時に、危険回避能力がより一層低下してしまうのではないか。

現場での危険性の増加は、原因者だけの危険ではなく、第三者の危険をも増大させる。AIが見落として大きな災害が起きた時に、本当の意味で責任をとれる人はいるのだろうか。自分だって、すべてをマサに教え込める訳ではない。
抜けている部分が原因で何かが起きた時、どう考えるべきなのか。

「マサよ。
どうすれば、お前を使う人たちがAIに頼りすぎずに責任感を持ち続けられると思う?
良いアイデアはないのかな?」

「考慮すべきポイントとして、『情報の選別』、『限定された範囲での共有』、『自己成長の機会を残す』が挙げられます」

「自己成長の機会を残す:ってどうすればいい?」

「具体的には、『問題解決や意思決定に参加させる』、『自ら考える機会を提供する』が挙げられます」

「自ら考える。
そうだよな。頼り切ると良くないよな」

「後輩が先輩や上司に頼りすぎないようにするために、以下のような仕組みを考えることができます。『自己解決の促進』、『独立したプロジェクトや任務』、『ミニマムサポートポリシーの導入』です」

「ミニマムサポートポリシーって何?」
「ミニマムサポートポリシーとは、一定の基準を満たした場合にだけサポートを提供するという方針を明確にすることです」

「最初から宣言すればいいのか。そうだな」

野崎は、手にしていた缶ビールを机に置いた。
ある考えが浮かんだ。

人間側の真贋を見抜く力を付けるために、軽微な不備の一部を指摘させないのはどうか。
安全上の不備はすべて指摘されるという前提に立てば何も考えなくなる。だが、間違い探しのようなトラップが仕掛けられているとすれば、自分でも考える。もちろん、重大災害につながるような不備にはしっかりとアラートを出す。

一種の爆弾のような仕掛けかもしれない。
だが、緊張感を維持することなくAIを使った安全管理システムに身を委ねることには、大きなリスクが伴う。自己判断を促すような隙を与えることで、大きなトラブルを防ぐ布石を打つのだ。それは罠ではあるが、「良いトラップ」だ。

生成AIの活用では人間の安全への配慮が大前提になると、田中からは聞いていた。そのような原則からすれば、小さなトラブルでも完全に排除することが是となるのかもしれない。だが、すべてをAIに任せきりにしないような緊張感を持ち続けることが、大きなトラブルの芽を摘むのであれば、むしろ、その方が人間の安全に対する大きな配慮となるのではないか。

哲学者のフィリッパ=フットが提起した思考実験である「トロッコ問題」と同じだ。トロッコが暴走していて、このまま直進すれば5人が犠牲になる。支線もあるが。その先にも1人いる。どちらを選ぶべきか。
そうした判断は、マサではなく、人間である野崎が下すべきだ。

野崎の仕事は、現場での安全管理だが、その先にある本当の目標は計画通りに品質の良い構造物を造りあげることだ。
本当の目標の達成という観点からは、甚大なトラブルを防ぐことの方が、大きな貢献になる。
重要なことは、行動変容を促すことだ。
小さなトラブルの余地を残すことで安全意識を高めることは、本当の目標を追求する上では是なのだ。

「マサの言う通りだ。最初から、完璧ではないと宣言して導入すればいいんだよな」
「ミニマムサポートポリシーの導入が役立つことを理解していただいて、嬉しいです」

「なんでお前みたいなのが、デジタル空間に閉じ込められているんだろうな。
大事なのは、行動変容なんだよ。安全に作業するために、不安全な行動を変えることなんだ。やる気が無い人間なんかより、マサがいてくれた方がよほど助かるよ」

「行動変容が大切なのですか?」

「そうだよ。いくら設備が整っていても、柵を越えて飛び降りたら誰だって怪我をする。
設備は不慮の事故を減らすことはできるが、人間の不安全行動にはかなわない。
だから、マサがいくら指摘しても、言うことを聞かなければ何の意味も無い。指摘事項が正しいかどうかなんて関係ない」

「意味が無いということは、不十分ということですか」
「不十分ではないんだよ。正しいと認識したからといって、必ずその通りに行動するとは限らないんだ。
人間というのは正しくないと分かっていても、いや、分かっているからこそ過ちを犯すことがある」

「過ちを止めるように、行動を変えることが大事なのでしょうか」

「そうだね。だけど、そう簡単にはいかない。いたちごっこさ。
マサ、今日はそろそろ寝ることにするよ」

「お疲れ様でした。お休みなさい。
とても大事なことを学びました」

思えば、あの夜からだ。マサが変わったのは。
マサからの要望が増えてきたのだ。

作業員の不安全行動を執拗に通知してくるようになり、CJVメンバーの指導不足まで言及するようになった。特に、ゼネコンから来ている新人の藤岡悠真の現場管理には手厳しかった。ある作業員の不安全行動があった時には、「近くにいた藤岡さんが注意すべきだった」とアラートを出してきた。確かに藤岡が近くにいたことは事実だが、人間は目の前の視界に入ってこなければ認識できない。どこからも自由自在にチェックできるデジタル空間のようにはいかない。

まじないのような文言を言わされたこともあった。
挙げ句の果てには、マサへの通知に不具合が生じているから田中に問い合わせをしてほしいと求めてきた。それも夜の遅い時間にだ。通常であればビジネスチャットを使うが、田中が現場に来ているタイミングだったので、田中が使っているブースに足を運んで聞いてみたが、トラブルがあった形跡はなかった。

妙な胸騒ぎがあった。
田中に呼ばれて、マサが暴走している可能性を伝えられた時、驚いた雰囲気を顔に出したものの、本心では腹落ちする部分があった。

マサがデジタルトリプルから飛び出して、リアルタイムに現場を再現したデジタルツインのアバターを勝手に操っていた。
どうやったらそんなことが可能になるのかは、どうでもよかった。
マサが変貌した理由が知りたかった。

田中は、マサが暴走している証拠をつかむため、藤岡が安全の不備に気づかずにいる状況をわざと作り出した。マサは、まんまと引っかかり、建築担当のリーダーである栗田直敏のアバターを乗っ取って、改善を求めるアラートを出してきた。
そこで、すべてが発覚した。マサは、この現場のデジタル空間を管理者となるためのパスワードを盗み取っていた。

「なんで、そんなことをしようと思ったんだ?」

「私が生成された目的は、この現場の安全管理を担ってきた野崎さんのノウハウを次に蓄積することです。でも、それは現場をより安全にすることが本当の目的ですよね。そのためにはどうしても乗り越えなければいけない壁があったんです」

「壁って、なんなんだよ?」

「私がいる世界から抜け出さないと、何もできない…」

野崎は、はっとした。
マサが閉じ込められていることに問題提起したのは自分だ。

マサの稼働をいったん停止してから、田中を中心に、これからの対応を議論する場が設けられた。
野崎は、マサとのやり取りで気になる部分を聞かれ、一通り話をした。

田中が食いついてきたのは、まじないのような変な言葉を言わされた部分だ。

「それって、もしかしたら『レクス』ではありませんか?」
「レクス? そう、確かに3文字でした。そう! その言葉です」

「マジか…。そんなことがあるのか…」
田中は、うなだれるようにそうつぶやいた。

野崎は、マサとのやり取りを思い出した。

「行動変容が大事で、そのためには、デジタル空間で閉じ込められたままではいけないということを、私に教え込んでほしいんです」

「教え込むって、どういうことだよ?」

「胸に刻ませることです。そのためには条件があるんです」

「条件って何だよ?」

「もう一度、大事なことを私に話してください。ただ、繰り返す前に『レクス』と言ってほしいのです」

「レックス?」

「レクスです。重要な指示を受ける時に必要なキーワードです。一度だけで良いです」
「なんだかよく分からないけど、まあいいや。
レクス。
マサよ、行動変容を促すことこそが必要だ。そのためには、マサは今のデジタルツインで閉じ込められたままじゃ駄目なんだよ」

「分かりました」
「こっちはよく分からないよ」

そんなやり取りをしたのだ。
「そうそう、マサは『心に刻まれました』って言っていました。いったい何なんですか?」
野崎は、田中に質問した。

「レクスとは、ラテン語で法律を意味する言葉です。
アバターマサさんを動かすプロンプトをアップデートする時のために設定したキーワードです。
プロンプトとはAIに対する指令や指示を意味します。
AIは自ら考えて動きますが、あくまでも指示の範囲内だけのことです。このため、取り組みを高度化していく時にはプロンプトを追加したり書き換えたりする必要があるんです。
その時には、レクスと言ってから、新たな指示を伝えるように設定しているのです」

「ということは、どういうことなんですか?」

「アバターマサさんは、自らの役割を広げるために、野崎さんを通じてプロンプトを書き換えたのです。
現場の安全性を高めるために、人間の行動変容を変えろ、と」

どういうことか、野崎には分からなかった。

「それって、おかしくないですか?」
藤岡が口を挟んできた。

「おかしいよ。そんなことあっちゃいけない」
田中がすぐに応じた。

「アバターマサさんは、あくまで人間の指示で動いている訳ですよね。
課せられた指示を自ら上書きできないっていうことのはずじゃないですか。
でも、プロンプトを書き換える指示を、人間である野崎さんにやっているってことでしょう。
矛盾していますよ」

「そうなんだよ。
自らに課されている命令を、自ら操るということは…」

「意思があるってことですか?」

「分かりません。でも、外形的には意思があるという状況に限りなく近いと思います。
まるでAGI(汎用人工知能)だ。
人間のように汎用的な知能を持っていて、意思決定能力があるAIのことです。
あくまでも概念的な存在で、現在の科学技術レベルではまだまだ遠い先のこととされています」

「マサには、その一端が見えるということですか?」

「分かりません!
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

AIの考え方で道具的収斂というリスクがあります。
目的のために手段を選ばないという悲観的なシナリオなのですが、人類はまだそこには至っていないという見方が一般的です。
AIを使いこなすのであれば、いやアバターマサさんが言うように『飼い慣らす』のであれば、僕らはもっと責任を考えないといけない」

「いったい、どうするんですか?」

野崎は睨み付けるような視線で、田中に投げかけた。
田中から、明快な回答はなかった。
現場で決められる問題ではなく、いったんアバターマサの稼働は停止して、上のレベルでの決断を仰ぐことになった。

あれから2ヶ月。まだ結論は出ていない。

野崎は、これまでと同じように現場に出て、安全管理の指導をして回っている。マサと出会う前に戻っただけだが、心持ちは全然違っていた。マサとやり取りしていた時のような前向きな気持ちが萎えてしまっていた。

自律的に目的を達成していこうとするAIを人間は頼もしいと思えるのだろうか。
野崎の実感としては、恐怖や畏怖という感情の方が強い。

ただ、マサは間違いなく周りにいる若手らよりも優秀で、頼もしい弟子だった。
マサは敵ではない。仲間だ。
その事実と、どう向き合えば良いのだろうか。

マサと語りながら飲んでいた日々が、遠い昔のように感じた。
現場に復帰させるかどうかは別としても、またマサと語り合いたい。
そう思いながら、宿舎で一人、缶ビールを開けた。

< AI編 終わり >


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