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平たい道は万人の為の道か

多分、僕は世の中で使われている『言葉』と『意味』のちょっとしたズレとか、違和感とか、そういったものにかなり敏感な方だと思う。

 最近よく目にする、『ジェンダー平等』と言う言葉。語弊を恐れずに言えば、この言葉を見る度に、僕は船酔いにも似た気持ち悪さを覚える。自分が無意識に保とうとする姿勢と、本来自分と同じ方向を向いているはずの世間という名の船が傾く方向とのギャップに、毎度振り回される。

 そのまま考えれば『平たくして等しくする』。我らがグーグル大先生に意味を聞いても、大体同じような答えが返ってくる。均一に全てを同じにするなんて、僕には到底受け入れられない。勿論、不当な扱いや差別は言語道断だが、男女間にはどう足掻いても明白な違いがある。体格・運動能力・思考回路・性差による体調の乱れの違いなど、細かく項目を挙げれば両手では全く足りない。そこにさらに性的マイノリティの方々が加わるわけだから大変だ。

 『平等』と言う言葉を素直に受け止めるなら、『ジェンダー平等』は、『全ての違いを無視して等しく扱いましょう』となる。不当な扱いを受けてきたと考える人からすれば、至極当然に見えるかもしれない。ただ、この考えに則るなら、男性側から「だったらレディースデイなんて無くせ」とか「女性専用車なんて女性だけ優遇されてるじゃないか」といった声も上がってくるだろう。女性特有の生理による体調不良だって、今までよりもっと訴え辛い雰囲気になりかねない。

 日本独特の『お金持ち=悪者』みたいな感覚も、『平等主義』の弊害だと思う。僕は全然お金持ちじゃないが、お金持ちの人はその人なりの苦労や努力があっての結果を得ただけの話だ。それを貧困層に合わせて「税金を多く払え」なんていえば、当然高所得者には不満が溜まる。どちらかに負担が大きくなる考え方はやっぱりスッキリしない。

 結局何が言いたいかといえば『平等』なんて言葉は使わず、『公平』と言う言葉を使って欲しいと、僕はずっと思う。誰かが一方的に損をしないように、帳尻合わせをするのが本来目指すべき場所だ。


 スヌーピーのセリフですごく印象的な言葉がある。


「配られたトランプで勝負するしかない」


 生まれ持って配られた手札に、『平等性』なんて存在しない。あるのは、誰にも文句を言えない自然における『公平性』だけ。その手札をどう運用するかを死ぬまで考えるしかない。その手札を見て、「絶対勝てない」と思うこともある。だけど、ずっと『ババ』だと思っていたそれが、ゲームを変えれば、キングやエースよりもずっと強いカードになるかもしれないし、他のカードと組み合わせれば『革命』だって起こせるかもしれない。


『どう勝負するか』と『何のゲームで勝負するか』。最近の僕は、そんなことをずっと考えている。

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