ジェノサイド条約事件先決的抗弁判決(ウクライナ対ロシア,2024年2月2日)
Ⅰ 背景
前提としてウクライナはロシアに対して,次のような請求をしています。
(a) ロシアの主張に反して,ウクライナ東部ではジェノサイド条約3条に規定されるようなジェノサイド行為は行われていないことを裁定し,宣言すること
(b) ロシアは,ウクライナのジェノサイドという誤った主張に基づき,ジェノサイドの防止・処罰を目的とする行動を合法的にとれないと裁定し,宣言すること
(c) ロシアがドネツク・ルハンスクの2共和国の独立を承認したことは,ジェノサイドの誤った主張に基づき,したがって根拠がないと裁定し,宣言すること
(d) ロシアの「特別軍事作戦」はジェノサイドの誤った主張に基づいており,したがってジェノサイド条約には根拠がないことを裁定し,宣言すること
(e) ロシアに対し,武力行使など不法な措置を採らないことを保障し,再発防止を保障させること
(f) ジェノサイドというロシアの誤った主張に基づく措置の結果として生じた一切の損害に対して完全な賠償を命じること
本件では,ロシアが提起した6つの抗弁が扱われました。
Ⅱ紛争の存在と対象
第1にロシアは、紛争の存在に対する抗弁を行いました(抗弁①)。
ジェノサイド条約の9条は,「この条約の解釈,適用又は履行に関する締約国間の紛争」が必要としており,「紛争」とは,当事国間における法または事実の点に関する不一致,ならびに法的見解または利益の衝突を言います。そして,この存在を示すには,一方当事国の主張が他方により積極的に反対されていることが必要です。
本件に関してロシアは,ドンバスでウクライナがジェノサイド行為を行っていると宣明しており,
対してウクライナは,その事実を否定しています
したがって,紛争は存在すると言えます。
次いで,②以下の抗弁に先立ち,本件の紛争には2つの側面があることを確認しています。
第1の側面は,先の請求のうち(a)(b),すなわち,ウクライナ自身が,ロシアの言うような不法行為を行っていないという判断の要請です。
第2の側面は,上記の(c)(d)にあたる,ウクライナによるジェノサイドがあるという誤った主張に基づいて実施するロシアのドネツク・ルハンスク共和国の承認,および「特別軍事作戦」には条約上の根拠がなく,したがって国際法に違反していることの主張です。加えて,上記(e)(f)も,ロシアの責任を追及するものであり,第2の側面に含まれます。
Ⅲ 紛争の第1の側面
第1の側面につき,抗弁②は問題とされていません。
③主張の書面との違いについて,ロシアは,ウクライナの主張が,ジェノサイド行為が行われなかったことの確認から,そうした行為への責任がないことへと,変質していることを主張します。
裁判所は,書面の請求からの「調整」は,単に主張を明確化したものとして,ロシアの抗弁を棄却しました。
④判決の実際の効力の欠如につき,ロシアは,本案判決は,判決が何らかの実際的な結果をもたらし,かつ有効に適用できるか遵守・執行できるものに限られると言います。
裁判所は,本件の宣言的判決が,原告がジェノサイド条約上の義務に基づく義務にしたがって行動したかを最終的なものとして明確にする効果を持ち,再問題化を防ぐことができるから,ロシアの抗弁を棄却しました。
⑤ロシアは,「ウクライナのジェノサイド条約違反はない」という請求が認められないという抗弁を支持する根拠を5つ提示します。
・通常の紛争では他国の国際違法行為の責任を問うはずであり,「reverse compliance request」はWTO上の慣行であって,これを直接用いることはできない
→ロシアは「reverse compliance request」と呼んでいるが,原告の主張は,条約上の義務に違反していないという宣言の要求である。WTOの慣行は何の関係もない。
・ジェノサイド条約9条にはこうした請求を受理する根拠がない
→9条の解釈から,自国に責任がないという宣言を求めることは排除されていない
・裁判所がこの種の請求を受け入れたことが一度もない
→モロッコにおける米国民の権利事件,ロッカビー事件は,義務違反がないという宣言を求める原告の請求を受け入れた根拠にも拒否した根拠にもならない
・裁判所の司法機能と両立せず,その役割を超える
→証拠の評価も裁判所の役割
・ウクライナの請求(b)がjudicial proprietyの原則,両当事者の平等の原則に反し,ウクライナの責任を問う将来の権利を害すなど,ウクライナに不当な利益をもたらす
→本案の判決が推測できず,本案判決を推測してその後生じうる問題を検討する必要はない。
以上のように,5つの理由は受け入れられないから,この抗弁も棄却されました。
⑥ウクライナによる手続の濫用があるとのロシアの抗弁について,ロシアは3つの論拠を示しました。
しかし,ロシアはその証明に成功しておらず,棄却しています。
Ⅳ 紛争の第2の側面
紛争の第2の側面に移ります。
まず,請求が変質しているという抗弁③から検討し,これを棄却しました。
次に,抗弁②の,事項的管轄権の話に移ります。
ロシアは,国家承認と武力行使に関する国際法規則はジェノサイド条約の1条および4条に組み込まれておらず,ゆえにこの問題へと管轄権を拡大することは,ジェノサイド条約9条と矛盾すると言います。
対してウクライナは,第1にロシアが不誠実に条約を援用して濫用的にその義務を履行していること,第2に条約を援用する際に採用した措置が国際法上許容される限度を超えていること,という2点を根拠にロシアを非難しています。
裁判所は,ウクライナの2つの主張を検討しました。
まず,ロシアの行為が,特定の行為を正当化するために条約の誤った解釈を行う者であり,「権利の乱用」「条約の濫用」にあたるとしても,それ自体が条約違反を構成することにはならないと言います。
また,ロシアの行為が国際法の限界を超えるという主張は,条約の事項的範囲に含まれていません。
2007年ジェノサイド条約適用事件では「すべての国が国際法上認められる範囲内でのみ行動できることは明らかである」と述べていますが(パラ430),国が国際法に違反する行為によって条約上の予防義務を果たした場合に,その行為自体が条約違反を構成することにはなりません。
ロシアが違反したのは国家承認と武力行使に適用される国際法の関連規則であって、ジェノサイド条約自体の違反とはなりません。
よってICJには,この問題を扱う管轄権はないと判断しました。
ゆえに,ロシアの抗弁②を認め,その他の問題は検討する必要はないとしています。
以上のように,第1の側面については管轄権を認めましたが,第2の側面については管轄権を認めませんでした。