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『魔女の遺伝子』第二話「クローンの少女」

 ある穏やかな春の朝。とある国のごく普通の地方都市で、一人の女子高生がいつものように登校していた。彼女の名はエリザベス・アヴェリー。愛称リサ。光輝く長い銀髪と、透き通るような白肌を備えた、細身でやや背の高い可憐な娘。その瞳はまだ無垢で穢れを知らなかった。

「リサー!」
 駅に向かう途中の道で、後から大きな声で彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。彼女の親友、アリーだった。

「アリー、おはよー」
「おはよー、リサ!」
 アレクシア・ハインズ。愛称アリー。リサの幼馴染で、ブラウンのショートヘアがよく似合う、リサより少し背の低い娘。

 アリーはリサの首筋に鼻を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぎはじめた。
「やだー、やめてよアリー!」
 リサは笑いながらアリーの肩を叩いた。
「うん、今日もいい匂い」
「意味わかんないよ」

 彼女はまんざらでもない様子だった。自分から積極的に人に絡むのが苦手な彼女にとって、自然に懐に入ってくるアリーは親友であり憧れでもあった。

「リサのいい匂いを嗅ぐのはあたしの趣味なの。でもだめって言われたらやめるよ」
「だめじゃないよ」
 そう言ってリサもアリーの首筋に鼻を近づけた。
「アリーもいい匂い」
「えへ。ありがと」

 こんなことばかりしているせいか、二人はそういう関係・・・・・・なんじゃないかと学校で噂が立つこともあった。しかし当人たちにそんな気はなく、ただただ仲が良いだけだった。


 二人の通う高校は市内では中の上ぐらい。特別レベルが高いわけでも敷居が高いわけでもない。いわゆる「一応は進学校」ぐらいの普通の高校だった。

 リサはよく見ると美人で成績もそこそこ優秀。アリーも勝ち気な性格に目を瞑れば端正な顔立ちをしているし、運動神経も抜群によい。特徴といったらそれぐらいで、他は二人とも概ね普通の女子高生だった。ただリサは一つだけ、他の多くの人々と違うところがあった。

 リサはクローン人間だった。政府が少子化対策にクローン技術を活用することを決定した際、最初期に造られたクローンの一人が彼女だった。リサ自身そのことをすでに知っていたし、アリーも承知の上で彼女と仲良くしていた。しかし世のすべての人がクローン人間に偏見を抱いていないわけではなかった。


 その日は土曜日で学校が早く終わったので、放課後、リサとアリーはいつものように二人でランチを食べに行くことにした。

「今日はどこにしよっか?」
 駅前に向かう途中、アリーはリサに尋ねた。
「アリーはどこがいいの?」
「うーん……。今の気分はー、カフェ・ド・シャンピニョンのカルボナーラ、かな」

 カフェ・ド・シャンピニョンは、この地方で幅広い層に人気のカフェだ。市内だけでも数店舗あり、特に駅前店はいつも人で賑わっている。懐かしい雰囲気の心地よい空間に、厳選した豆を使ったこだわりのコーヒー。それに年頃の女性には嬉しい、量を選べるランチメニューが人気だった。

「私も! シャンピニョンのカルボナーラ、美味しいよね!」
「ねー! めっちゃ美味しいよね! じゃあ、今日はそれで決まりね!」
 かくして二人はカフェ・ド・シャンピニョンでランチをすることに決めた。


 午後一時半。昼食を終えた人々があらかた去り、駅前の飲食店は適度に空いていた。二人はブラウンのガラス越しにカフェの中を覗き込んだ。
「席、空いてそうだね」
 アリーは目を凝らしながらそう言った。
「うん」
「じゃあ入ろ」
 彼女はリサの手を引いてカフェの中に入った。

 ドアのベルがカラカラと鳴り、ウエイトレスが近付いて来た。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「二人です」
 アリーは指で二を示しながら言った。
「かしこまりました」
 二人は壁側の四人がけの席に案内された。
「こちらのお席にどうぞ」
「はーい」

 席につくと二人は鞄を置いた。
「よかったね、空いてて」
 リサは嬉しそうに笑った。
「きっとあたしたちのために神様が席を用意してくれてたんだよ」
「ふふ、なにそれ」
 二人は和やかな雰囲気でメニューを開いた。

「さてと。じゃああたしはカルボナーラね。リサもカルボナーラ?」
「うん、私もカルボナーラにする。あ、でも茄子のボロネーゼもいいなー」
「じゃあさじゃあさ、別々の頼んで半分こしよーよ」
「いいね。そうしよ」

 そんな風に楽しくメニューを選んでいると、近くの席に座っていた四人のマダムの世間話が二人の耳に飛び込んできた。
「ねぇ聞いた? ギルバートさんとこの子、クローンらしいわよ」
「あのシュッとした顔の女の子? へぇ、どうりで親に似てないのね」
「ねぇ。こう言ったら失礼だけど、ご両親はすごく平凡な顔してるじゃない? あれであんな子が生まれるわけないもの」

 少子化対策として政府主導で大々的に造られたとはいえ、クローン人間の数はそうでない人に比べればずっと少ない。政策は施行から五年ほどで打ち切られたが、その後もクローン人間たちは表立って差別されることは稀だったものの、このような偏見に晒されることが少なくなかった。

「最初に造られた子たちは十七歳ぐらいよね? これから進学や就職で差別されたりしないかしら」
「でも変な病気にかかって辞められたらたまったもんじゃないわよ。かわいそうだけど、そんな子を無理して雇いたくなんかないわよね」

 クローン人間はそうでない者より病気にかかりやすい等の噂の多くは科学的根拠のないデマだったが、そういった情報を発信する者は跡を絶たず、またそれを真実だと思い込む者も一定数いた。
 またそのような事態を政争の具にする政治家や、弱者救済を大義名分にクローン人間を取り込もうとする活動家、クローン問題をこねくりまわして悦に入る知識人も当然のごとく現れた。

 かと思えば自らクローン人間であることを公表してインフルエンサーになろうとする者や、その熱烈な信者まで現れ、SNSを中心にクローン問題は何かと世間を騒がせる話題となっていた。

 リサはそういうものになんとなく違和感を感じていた。というのも、彼女にはそのての人々が皆、まるで他人事のようにクローン問題を扱っているように見えたからだ。きっと彼らにとって、クローン人間はただの都合のよい存在。リサは彼らとの間に空虚な隔たりを感じずにはいられなかった。

 今回もいつものそれだ。慣れているとはいえ、リサはちょっと嫌な気分になった。そうして雑念に気を取られ、楽しい会話も途切れてしまった。彼女は少し俯いた。

 そこで突然、アリーが手を上げてウエイトレスを呼んだ。
「すみませーん!」
 リサは驚いて顔を上げた。ウエイトレスが二人の方へ歩いてきた。
「お決まりでしょうか?」
「いえ、もうちょっと。その前に席移動してもいいですか? 窓際のあそこ」
 アリーは四人のマダムから一番遠い、窓際のテーブルを指さした。

「はい、かしこまりました」
「すみません。行こ、リサ」
「え……あ、うん」
 アリーが機転を利かせてくれたおかげで、リサはそれ以上気分の悪い話を聞かずに済んだ。

 アリーは昔からそうだった。リサが十歳のとき、彼女がクローン人間であると噂が立った。まず保護者の間で噂が広まり、それが児童にも伝わったのだ。子どもというのは安易にからかったり虐めたりするもの。当然リサをからかいだす児童が現れた。
 そのときリサは酷くショックを受けた。彼女は自分がクローンであると子どもながらに薄々感づいていたものの、両親からはまだ告げられていなかった。それが心の準備をするより先に、親ではなくクラスの悪ガキにかわれたのだ。

 しかしリサへのからかいがエスカレートする前に、アリーがクラスの男子を真っ向から叱りつけた。そして武術を習っていた彼女は、歯向かって来た男子を少々手荒なやり方も交え、見事に黙らせた。
 リサはそんなアリーが好きだった。強くて明るくて度胸があり、決断が早い。アリーはリサに足りないものをたくさん持っていた。


 窓際の席に移ると、アリーは何事もなかったかのようにまたメニューを開いた。
「早く決めちゃお。あたしもうお腹ぺこぺこ」
「うん」
 リサはちょっと涙が出そうだった。

「アリー。その……ありがとね」
 素直な気持ちから出た言葉だった。言われたアリーは一瞬目を丸くしたあと、普段通りのさっぱりした調子で応えた。
「いいよ。あたしだって気分悪いもん。つまんない話は聞かないのが一番だよ。せっかくの美味しいごはんが台無しになっちゃう」

 アリーの優しさは、訳知り顔の人々が見せる、腫れ物に触るような上辺の優しさとは違った。彼女は常に自らの意思で率直に動いている。きっとこの優しさも本物に違いない。そういう信頼感があった。
「……ありがとう、アリー」
「いいってことよ」
 二人に笑顔が戻った。


 食事を終えた二人はそのまま地下鉄に乗り、帰路についた。車内でも楽しいお喋りは続いた。昨日見たドラマの話や、二人の好きな動画配信者の話。それに学内のカッコいい男子の話。そんなごく普通の会話が、電車を降りてからも途切れることなく続いた。だが実のところ内容はどうでもよかった。二人は同じ時間を共有できるだけで幸せだった。

「じゃあまたね、リサ」
「うん。またね、アリー」
 自宅まであと十分ほどの地点でリサはアリーと別れた。彼女はそのままいつもの通学路を通って家に向かった。そして人通りの無い道に入った直後……。

 後ろから急に黒塗りの車が迫り、リサの横で急停止すると、中から黒ずくめの男が二人現れた。そして彼女が反応するより早く、一人は後ろから彼女の口を布で押さえ、もう一人は両脚を抱えた。
(え!? 何!? ……まさか、誘拐!?)
 突然の出来事に戸惑うリサ。抵抗しようとしたが、布に染み込んだ薬物を思い切り吸ってしまい、次第に意識が薄れていった。
(だめ……。意識が……)
 リサは気を失ってしまった。ほんの一分ほどの出来事だった。


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