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The Evil Within 2をクリアして分かったいいゲーム悪いゲームの分かれ目 ムービーが駄目なわけじゃない、本当に嫌なのは…
以前ご紹介した「The Evil Within 2」ですが先日クリアいたしました。プレイ時間は10時間ほど。
きちんと最後までやった、という点でこのゲームに十分な面白さがあるという証明になると思います。
ですが、わたしは基本的に物事を批判的に見ます。褒めればいいってもんじゃありません。駄目なもんは駄目って言わなければ成長が止まってしまいますので。
ということで、駄目なところは駄目と解説していきたいと思います。
ムービーが駄目なわけじゃない?
ムービーゲーっていつも批判されますよね。でもムービー全部が悪ではないんですよ。効果的に使えば盛り上がります。やっていてムービーが嫌なわけじゃないって思ったんです。
本当に嫌なのはコントロールを奪われることなんですよ。
このゲーム、ドアを開けるたびに気になる長さでコントロールが奪われます。カメラ視点すら勝手に変えられます。これはストレスしかありません。面白さにまったく関係ないんです。
ドアだけじゃありません。回復用のコーヒーを飲む、椅子に座る、セーブする、こんなささいな動きのたびに気になるレベルのコントロール剥奪があります。もうイライラしっぱなしでした。
なんでコントロールを奪われたくないか、というとやろうとしていることを阻害されるのがストレスだからなんです。
これはムービーだけじゃありません。歩いていて急に床が崩れて落っこちる、精神世界みたいなのに入って床が無限に伸びる。これも目の前のドアを目指していたとか、ある地点まで行こうとしていたというやりたいことを阻害されてしまっています。
こういう演出が死ぬほどでてきます。
演出として、会話シーンでは歩くしかできなくなるのはまぁわかります。ただあまりに回数が多いです。しつこいんですよ。そういうのはここぞというときに使うから効果的なんです。
使いすぎると、ずっと見開きばっかりの漫画みたいになってしまいます。
急に爆発が起きて、急にデカい音がして、急に煙が吹き出して……。その度にコントロールを奪われストレスを感じてしまう。やりすぎれば食傷気味になってしまいます。慣れてしまって何も感じなくなります。わたしはゲームがしたいんですよ。映画が見たいなら映画を見ます。
いいQTEとは
いいQTEは死んだQTEだけだ。とわたしは常々いっております。
QTEはハードウェア的にリアルタイムレンダリングに限界があるなか、ムービーシーンになんとかゲーム性を入れようとして偉大な先人が考え出したもの。リアルタイムでムービーとして十分鑑賞に耐えうるレベルのグラフィックがレンダリングできる今では必要ないものなんです。
上記のようにムービーシーンは批判的に言われがちですので、その解消のためにムービーにQTEを入れよう、そう思っているんでしょうがあまりに短絡的です。
QTEは面白くないんですよ。
指示されたボタンをその通り押す。それが面白いわけありません。リズムゲーや音ゲーはそういうものでは? と思うかもしれませんが、あれは何度もプレイする覚えゲーであり、そのため難易度も高められ、高難度の曲をクリアすれば爽快感、達成感が得られます。
一回きりが原則のゲームには不向きなんです。音ゲーを一回だけしかプレイできない、と言われたらやりますか?
それでもあえて、QTEを面白くするならばスロットのようにする、とか、格ゲーのようなコマンドを時間内に入れるようにする、とか、なんぼでもやり方は思いつきます。
AAAタイトルのゲームであるのに、QTEといえばせいぜい連打するくらいでしょう。あまりに工夫が足りません。そんな程度の低いQTEならいっそ消してもらったほうが助かります。
いいスニークと悪いスニークの違い
スニークはメタルギアシリーズから世に広まりました。そのころはハードウェアな制約もあり、しかたなくそうしたという面があります。
そんな制約がなくなった昨今において、スニークはさらに洗練されなければなりません。ゲームなんだから無双、ランボーしたほうが楽しいに決まってるんですから。
スニークならなんでもいいってわけじゃないんです。この作品のスニークは、はっきり悪いスニークでした。
いいスニークと悪いスニークの違いとはなにか?
いいスニークにはしてやったり感が必要なんですよ。
厳重に警備されている基地に入ってボスだけ暗殺して帰ってくる。こんな少ないリソースで多大な結果を出す、これがしてやったり感の一つの正体です。
一部のボスクラス戦のスニークは、ただ強大な敵から隠れるだけのスニークです。これにはしてやったり感がありません。ただ自分が弱者で真正面から戦えないというだけです。
あと敵AIにも賢さが必要です。ただ目的もなくウロウロ徘徊しているだけのゾンビの裏をかいてやったとして、そこにしてやったり感はありません。
あとルートややり方が複数通り必要です。選択肢が一つしか無いなら、それは用意されたルートをなぞっているだけ。自分の工夫で道を作り出せるようにしなければ、してやったり感はありません。
この作品だけの話じゃない
まだまだ書き足りないんですが、長くなるのでこの辺にしておきます。ちなみにこのようなことは、なにもこのゲームだけの話じゃありません。昨今のAAAタイトルほとんどに当てはまることです。
ゲーム開発に大金がかかるようになった今の時代。失敗できないがゆえ、あまり思い切ったことはできなくなっています。それはよく分かります。
だからといって、すでに広く普及しているものが絶対正解ではないはず。ほんのちょっとしたところでも独自の工夫を入れる余地はあるはずです。
それを怠れば、一時は大人気シリーズだったのに、今は見る影もない。そんなあのタイトルみたいになってしまいますよ。
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