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初プレイFPSは”最大野党”だった/Unreal

筆者のゲーム史を語る上で欠かせないゲームがある。それがUnrealシリーズである。
筆者がはじめてプレイしたファーストパーソン・シューティングゲーム(First Person Shooter、以下FPS)が『Unreal』であった。今でも、ここから発展したUnrealエンジンを使用したゲームは数多くあるので、名前くらいは知っている方も多いであろう。

当時、FPSというジャンルはまだ日本では馴染みがなく、DOOM系などと呼ばれていた。『Wolfenstein 3D』が初のFPSと言われているが、その後にリリースされた『DOOM1&2』が空前の大ヒットを記録し、FPSの代名詞となっていたのである。
その後、フル3DのFPSとして『Quake』がリリース。ここまでid SoftwareがFPSゲームを牽引してきたのだが、それに対抗するため、Epic Gamesがリリースしたのが『Unreal』であった。
与党のQuakeと最大野党Unreal、しばらくはこの2作がFPS界の2大政党として君臨することになるのである。

筆者は当時から洋ゲーというものに憧れを抱いており(この辺も語りだすと長くなるのでまたの機会に)、なんとかお金をためてPCを買ったのだが、そこではじめてプレイしたのがUnrealであった。
UnrealはVoodooというグラフィックカードの「Glide」というAPIライブラリに最適化されていたため、同カードにバンドルされていたのだ。
筆者はなんとなく、DOOMという名前とFPSのシステムは理解していたが、まさかフル3Dになっていたとは知らず、Unrealを見たときは衝撃を受けたものである。

当時、PCでゲームと言えばエロゲーだったのだが、筆者はあまり二次元に興味がなく、グラボ一枚で家庭用ゲーム機が買えるほどのお金を使ってまで、洋ゲーをやりたかったというのは、今、振り返ってもちょっと変な奴だなぁと思う。
一応、マルチプレイにも対応していたUnrealだが、そんな時代だっため、日本のサーバーなど当然なく、アメリカのサーバーに行くしかなかった。
回線もようやくISDNが普及してきたような頃だったので、Ping400超えの劣悪な環境で遊んでいたのである。当時もラグくてゲームにならん、と思いながらも無理やり遊んでいた記憶がある。
今ではPC普及率も高まり、各ゲームには日本サーバーも当たり前のように在るが、そんな時代もあったんだぞ!…という、戦後は物がなくて大変だったとか説教してくるジジイみたいなことも言いたくなるお年頃の筆者である。

世界的にブロードバンドの普及はまだまだだったので、当時のFPSはシングルがメインだった。
Unrealは美麗なグラフィックで、多くのファンを獲得していた。あまりにグラフィックがリアルだったので、最初にSkaajという敵キャラが出たときは、チビるくらいビビったものである。

そして同ゲームは、後発ということもあり、様々な工夫がなされていた。同じ武器でも右クリックで別な攻撃ができたり、方向キーを2回すばやく押すことによって、その方向に素早く動くドッジングができたりなどである。
中でも好きだったのが、ASMD ShockRifleというビームライフルを使ったコンボという攻撃。右クリで撃ち出される光のボールのような弾に、左クリで発射されるビームを当てると爆発を起こし、周囲に範囲ダメージを与えるというものだった。これはUnrealを象徴する、面白い攻撃方法で、テクニカルで戦略性を高める非常にナイスなアイデアであったと思う。
こういった部分が好きだったし、初プレイだったということもあり、筆者は断然Unreal党であった。

そして1999年。Unrealからシングルを除きマルチプレイに特化したゲーム『Unreal Tournament』がリリースされるのだが、このゲームにより、筆者はFPSゲームの沼にはまっていくのである…。

この話のつづきは以下。


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春日現八
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