ゲームを知らない者たちの作るゲーム番組は…
ゲーマー日日新聞のJ1N1さんのこのツイートを見てふと思ったことがある。
本当にその通り。
だが…その昔。
ファミコンが大ヒットしたころ、そのブームに乗っかるべく多数のゲーム番組が作られたのだが、当時のスタッフや出演者の大人たちは、当然だがゲームを全く知らなかったのだ。
思い出されるのは
『ファミっ子大集合』(1988年4月4日 - 1991年3月25日、テレビ東京)
『Theゲームパワー』(1991年4月2日 - 1994年3月29日、テレビ東京)
『スーパーマリオクラブ』(1990年10月4日 - 1993年9月30日、テレビ東京)
などなど、このあたりの90年台はじめくらいの番組は、その内容の微妙さでよく覚えている。
『スーパーマリオクラブ』の司会である渡辺徹氏や、『Theゲームパワー』の江戸家小猫師匠(後の四代目江戸家猫八)など、当時子供だった筆者から見ても明らかに「ゲーム知らないな、この人」とバレバレだったのだが、持ち前のトークスキルでのらりくらりとなんとか立ち回っていた。
企画もなんとも絶妙に芯を食ってないものばかり。例えば、子供達に対戦させる企画をやったりするのだけど、対戦タイトルがマイナーなものだったり、そのせいか子供が明らかにやりこんでなくて下手くそだったり…。
新作ゲーム紹介くらいはメーカーさんから広報の人が来て説明するのでまぁ見れなくはない、というような番組だらけだった。
ゲームをやってない、愛情もない者達が作ればこうなるのだ。ま、上から「ゲームでなんかやれ」と言われて作ったのだろう、ということは大人になった今なら理解できるのだが。
それにしても江戸家小猫師匠という人選は、一体どうして決まったのか。
師匠は動物の声帯模写の名人であり、当然だが、ゲーム好きという話は聞かないし、司会業で名を売っていたわけでもない。
wikiには
『Theゲームパワー』の司会を務めていた当時、小猫のやる気の感じられない司会ぶりを『電気グルーヴのオールナイトニッポン』などでよくネタにされていた。
とあって笑ってしまった。
電グルはゲーム好きなので、筆者と同じような違和感を感じていたのかもしれない。
ちなみに同師匠の番組は『ゲーム王国』、『ゲームEX』、『GAME JOCKEY』とタイトルを変えながら結構長きに渡って続いていた。
司会もバトンタッチされたのだが、林家いっ平(後の二代目林家三平)氏、林家たい平氏となぜか林家一門で受け継がれていった。
もうこの頃は筆者もまったく見ていなかったので知らないのだが、流石に林家いっ平氏くらいならゲームは知っていたのではないかと思う。
いつだったかTVをつけたとき、林家たい平氏司会による上記どれかの番組のエンディングのシーンがたまたま放送されていた。
同氏とアシスタントの女性がエンディングトークをしていたのだが、氏は
「今年はさんまの当たり年でね、昨日3匹も食べちゃいました~」
と言っていた。
それ子供向けのゲーム番組でする話か!wwww
筆者は笑いながらも、「ああ、相変わらずだなぁ」と、なんか安心してしまった。
ちなみに奇しくも今年もさんまの当たり年なので思い出した話である。
昨今、イースポブームに乗っかり、多数のゲーム番組がアナウンスされているが、このようなことにならないことを切に願うばかりである。