必勝祈願に思ふ
Jリーグクラブは毎年、どこのクラブも地元の有名な神社などへ必勝祈願に行くことが慣習となっています。
今年の水戸ホーリーホックはコロナ禍を鑑みて、小島社長と秋葉監督がクラブを代表して、常磐神社にて必勝祈願と選手全員のサインが入った絵馬を奉納してきました。
この行事はサッカーだけではなく、他のスポーツもやはり、新しいシーズンが始まる前、新年を迎えるタイミングなどで行われていますが、それに対して日本人である我々は特に違和感はないのではと思います。
私も子供の頃からそういうニュースを見て、違和感を感じたことはなかったし、そういうもんなんだなぁくらいにしか感じていませんでした。
しかし、15年以上ドイツに暮らしてきたこともあって、こんな慣習にも意識がいくようになったので、今回はそんな話を記しておきます。
神社とお寺
日本人は神社とお寺の違いについて聞かれて、パッと正確に答えられる人は、意外と多くないのではないでしょうか。
私もその一人でしたが、日本を出てからすごく意識するようになった視点の一つです。
簡単に言うとこれは信仰している宗教の違いです。
神社とは神道、お寺は仏教ということになります。
当然信仰する宗教が違うので、参拝の仕方も違うのですが、例えば初詣に行ったとき、あれ、手をパンパンと叩くんだっけ?なんて思ったことはないでしょうか。
神道とは日本人にとって「民族宗教」と呼ばれる存在であり、信仰の対象が古代の神々(八百万の神々)や皇族とされていますが、仏教は大元は仏陀を神とする一神教の教えです(細かい理解におけるツッコミはご容赦ください)。
そういう意味では神道は他の宗教(考え方や信仰)も受け入れるし理解できるという独特な特性を持った考え方であり、だからこそ日本にのちに入ってきたさまざまな思想もうまく融合していったと考えるのが自然なのでしょう。
初詣の例え話に少し戻ると、地元の神社(神道)に行く人もいれば、東大寺や奈良の大仏(どちらも仏教のお寺)を訪れる人もいると思いますが、そこに意識をしてる人がどれほどいるかというと、ほとんどいないのではないでしょうか。
もう一つ我々日本人(神道マインド)の不思議を挙げると、おそらく日本人の結構多くの方々は無宗教(宗教を信仰していない)と答えるのではないでしょうか。
実際に2008年位NHK放送文化研究所が行った宗教に対するISSP国際比調査で、無宗教と答えた人が49.4%、仏教34%、神道2.7%という結果になったことからも分かるとおり、半数の人は宗教を日常意識していないことがわかります。
一方で冠婚葬祭のとき、特にお葬式のときに、あ、ウチは仏教の○○だったんだ、と知ったりすること、ありませんか?
無意識にお盆の時期にお墓参りをしたことがあると思いますが、それはお寺が管理していたりしていませんでしたか?
自分が信仰していなくても、一応うちは○○の宗派らしい、ということをふんわり知るきっかけだったりするはずです。
まあ、自分には関係ないけどね、なんて思ってたりすることが多いと思いますが。
でもじゃあ、自分が死んだらどこのお墓に入る?ってことを考えると、やはり自然にそういうことと向き合うことになるのではないでしょうか。
自分は何者?
ドイツで暮らしている中で、たくさんの友人に巡り合いました。
まさに国際社会ですから、ドイツにいるのにイタリア人、フランス人、スペイン人、イギリス人、トルコ人、オーストリア人、ギリシャ人、旧ユーゴスラジア人...などなど挙げればキリがありません。
その多くはキリスト教かイスラム教を信仰していましたが、彼らとの日常では私の日本にいた頃の常識とは色々と違いがあり、考えさせられることが多かったです。
「お前の信仰は何?」って質問はしょっちゅうでしたし、それにちゃんと答えられない自分がいたのも事実です。
それがきっかけでこういうことをちゃんと調べたという経緯があるのですが。
「なんで日本人はクリスマスを祝うんだ?」と聞かれて答えられない、「なんでサンタからプレゼントなんだ?」の意味もわからない、「なんで日本人はハローウィンで盛り上がってるんだ?」の答えもわからない。
結局、「日本人は神道っていう道徳に通ずる考えがあって、どんな宗教(神々)も認めるしリスペクトする土壌がある。だから色々な宗教の祝い事を一緒に祝おうとするし、それをビジネスにつなげる傾向があるんだ」っていう回答に落ち着いてきましたが、本当にこれでいいんだろうか、とずっと思っていました。
これに関しては正解はない気がします。
だって日本人の慣習自体に、初詣としてお寺に行ったり神社に行ったり、場合によっては両方に行く人もいて、それに違和感がない人が多くいるのですから(もちろんちゃんと信仰されていてきちっと理解されている方々がいることはわかっています)。
こういったやりとりをヨーロッパの友人らとしているうちに、自分って何者なんだ?って考えたりもしました。
でも結局、このニュートラルなマインドが自分らしさであり、強みなんだと思うようにもなったのも事実です。
世界社会において、宗教の対立が戦争に結びついていることは多々あります。
日本も戦争を繰り返してきた過去があるので棚に上げるわけではありませんが、少なくともこういった信仰の違いが原因で起こるイザコザに対しては、日本人マインドは解決の1つ何だろうなと感じるようにもなりました。
必勝祈願の話
さて、話をグッと戻りますが、こんな大前提のもと、日本で慣習として行われる必勝祈願を思い起こしてみました。
今年は水戸ホーリーホックはコロナ禍なので社長と監督のみでしたが、本来であれば選手全員が行くもの。
でもそこには例えば外国人選手もいたりするわけですし、日本人選手の中にも信仰が違うケースだってあるはずです。
事実、(前職のの)長崎で昨年行った必勝祈願にブラジル人選手らも参加しましたが、彼らはキリスト教徒でした。
それでもクラブが行う行事としてきちんと参加してくれる彼らには敬意を示す必要があるなと改めて思います。
でもこれってクラブ側の押し付けになってはいないかな?という疑問も少し。
クラブに宗教的な思想はないですし、でも地元の所縁のある神社へ行くのが慣習となっている。
うーん、これって難しいテーマです。
きっとクラブによっては、別の宗教を信仰している選手が参加を断るってこともあるのではないかと想像しています。
私はJリーグクラブで働く経験が少ないのでわかりませんが、業界関係者の中では意外とあるあるの話なのかも知れません。
ちなみにだからこそ、海外の、特にヨーロッパのクラブではこういった行事は行われません。
あまりにも多くの民族が混在していますし、そこに宗教的な行事を持ち込むことは不可能です。
というか、持ち込むべきではないという感じですかね。
....そう書いていて思い出したこと。
あ、クリスマスパーティー的なことはクラブ全体で開催していたなぁ。
あれにイスラム教徒の選手も普通に参加してたかも...
...ということで、失礼しました。
不可能ではないですし、海外も時代の移り変わりと共に寛容になってきているということですね(笑)
こういった思考や結論も、Noteにまとめることで見えてくる。
書いているので自分の理解として深まりましたし、面白い視点になりました。
読んでくださったみなさんの日常に、小さな疑問とその答えのヒントを与えられたのであれば幸いです。
水戸ホーリーホックに幸あれ
最後に、忘れないように。
必勝祈願に込めた思いは、今シーズンが最高のシーズンになるように!ということ。
これはクラブの総意であり、この想いは信仰云々ではなく、水戸ホーリーホックに関わるすべての方々のものですので。
私自身は心の中で強く願っておきます(常に!)
では良い週末を。
頑張るときはいつも今
瀬田元吾
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