耕不尽~はたらくということ~:家庭教師
大学生時代のアルバイトで家庭教師をしていました。時給2000円と大変良く常に1件は保持していました。貧乏学生でしたので収入を第一に考え職業意識はとても低かったように思います。教え子や保護者に申し訳なかったと思うようになったのは残念ながら社会に出てからでした。
初めての教え子は中高一貫の超進学校の高校1年生男子でした。母子家庭の一人っ子で部活のアメリカンフットボールを熱心にやっていました。母親はクラブのママをしており、私が訪問する頃に入れ替わりで出ていくため教えている間は教え子と二人でした。彼とは波長の合うところがあって授業よりスポーツや流行の話で盛り上がることが多かったです。また部活疲れでウトウトしだすと私も一緒になって寝てしまうこともありました。とにかくお互い勉強には積極的ではありませんでした。
実はこの家庭には大変助けられました。初めて訪問した際に母親から「先生、お金が必要でしたらいつでも言ってくださいね」と意外な言葉をかけられました。私は大学入学を機に山登りを始めて靴やザックなど高価な道具を買うのに窮しており、ずうずうしくもさっそく10万円借りることにしました。そうすると数カ月は無給です。それでも冬になるとアイゼンやピッケルなど冬装備調達のためにまた10万円。他でも金欠時に助けてもらい、大学生活を充実させてくれたありがたい家庭でした。
この家庭では3年間教えました(大して教えていない・・)が当時の彼の進路は全く記憶がありません。しかし、ひょんなことから知ることになります。年を重ね接待をしたりされたりするようになりクラブ街に行くようになって、あるクラブと同じフロアにこの母親の店を見つけました。家庭教師の出勤簿に名前のようなものが印刷されていましたが、実はお店の名前だったのです。つまり私はクラブの従業員として働いていたということです。20年以上経ってようやく理解しました。
私の行ったクラブのママに聞くと母親の店は東証一部上場企業の社長も来るようなお店で、母親も高齢となり界隈で大ママとなっていて、息子は一流商社の社員とのことでした。きっとどんな教育受けても一流商社マンになったのでしょう。これらを聞いて、教え子と二人の時間はあれでよかったんじゃないかなと思いました。巡り合せとは本当に不思議なものです。
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