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スープカフェで子連れが来たので……

ガタガタ

後ろからベビーカーが来た。

椅子を机側に引いて机と私と椅子はハンバーガーのようにプレスされた。

「あ、すみません、、」

「いえいえ」とだけ返した。

「こら!!リント!走らない!」

母親の息子だろうか。コップを持ってドリンクバーにはしゃいでいる様子だった。

ところでリント?とはどういう漢字を書くのだろう。

「リント!言うこと聞いて!お店の中では静かにするっていっつも言ってるでしょ!」

その子の母親の声が店内に響いた。少しだけみんなの目線が親子の方に行くのがわかった。私もそうしていたから。

子供は蚊の鳴くような声でごめんなさいと言った。

『いっつも言ってるでしょ!』その言葉は子供に向けているのではなくて、このお店にいる私たちと店員さんに向けられた言葉のように感じた。

いつも言っています。

いつもちゃんと叱っています。

この子はいつもこうなるのです。

だから仕方がないでしょ。子供だから。

子供だから店内でうるさくなるのは仕方がないでしょ。

私はいつも言ってるんですけどね。

そんな意味合いを込めて敢えて大きな声を出したのではないのか。

私は性格が悪いのだろうか。

今度はベビーカーに乗っている女の子が泣き出した。

「ぎゃあああああああああああああああ」

耳の中で鳴っているのではないかとくらい、鼓膜が揺れるのがわかった。


「ぎゃああああああああ」


「ああー、ルリぃどーしたのぉ」

「ぎゃあああああああああ」

母親はスマホを取り出してルリちゃんと呼ばれる娘にアンパンマンの映像を見せた。

とても大きな音量でアンパンマンのマーチが流れ出した。

すると泣き止んだ。

母親は安堵した顔で落ち着いてスープを飲み始めた。私は母親以上にあの子が泣き止んだことに安心した。これ以上泣かれたら多分この店を出ていただろう。悪気はないが、あれ以上泣かれたら仕事が進む気がしなかった。
明日の午前中には完成させなきゃいけない会議資料がまだ3/2しか終わっていない。課長にどやされる前に仕上げたいが、人事の業務も山積みになっている。今日の昼のこの時間に、ある程度片付けられる単純な業務は終わらせたい。しかし、私のお気に入りの場所がこんなになってしまった。

そう、最近のスープカフェは変わった。

丁度1カ月ほど前、スープカフェはその人気も相まって新たな新規層を狙ったビジネス展開が始まった。

『0〜1歳児離乳食無料!!』

おかゆようなペースト状のスープが無料で飲める。そしてテイクアウトも可能というわけあって、子持ちの家族がこぞって集まったのだ。

この仙台市の店舗にもそれはやってきた。

SNSから話題を呼び、多くの家族客が現れた。瞬く間に客層はファミリー層で色づけられた。
元々お一人様大歓迎を謳った事業展開をしていたはずが、現在はファミレスとなんなら変わらない店内の雰囲気がよく見受けられるようになった。

少子高齢化。

子供を守ろう。

子供と一緒に遊べる場所。

お子様も大歓迎。

社会から受け入れられるのが当然のステージに上がるのはどんな気持ちなのだろう。

独り身の私はその場を退くしかないのだろうか。

「ぎゃああああああああああ」

またルリちゃんが泣き始めた。

パソコンを閉じて、残っていたスープも一気に飲み干して、この場を出ようと思った。

直後

「あの」

とても近くで声がした。

立ち上がって顔が初めて見えた。隣の席にいたのは、60代くらいのお爺さんだった。

隣に人がいたんだ。

「うるさいんだ、あんた」

ああ、そうですよね


ん?


私?

このお爺さんはスープカレーを食べていたのか、口元にカレーが少しついていた。
読書でもしていたのか、畳まれた文庫本と飲みかけのコーヒーがテーブルに置いてあった。

ん?そんなことよりアンタって言った?

「あんた、さっきからバチバチバチバチ、パソコンを叩く音がうるさくて集中できないんだよ」

「あ、はい、」

「ぎゃあああああああああああああああ」

ルリちゃんが、泣いている。

「ぎゃああああああ」

ルリちゃんが手に持っていた無料の離乳食を床に投げ捨てた。白い液体が床に広がった。ルリちゃんはそれでも母親を許してはくれず、フォークやスプーンも投げ捨てた。

「アンタな、仕事なら仕事場でやってくれんかな、俺はここで一人落ち着いて読書がしたいんだよ、どこにいっても落ち着かん!周りのことを考えられんかな!」


はあ


目の前が砂嵐のようになった。

このお爺さんの顔がぼやけてきた。体中の神経が逆撫でする感覚を私は覚えた。目線をどこにやったらいいかわからなくなり、思い切り天井を見て、大きく息を吸った。その後吐いた。

だったらあそこにいる親子はどうなんですか?

そう、言いかけた。

でも、少し冷静になって、思い出したことがある。


『いっつも言ってるでしょ!!』
店内に響いた母親の叱り声。

あそこにいる母親は伝わって欲しかったのかもしれない。

あの母親だって静かに楽しく子供とご飯を食べたかったに決まっている。

もしかすると、今日のお昼は何にする?と聞いたらカレーがいいと息子が言って、SNSで離乳食が無料と話題になっていたから、娘にもいいと思って初めて来店してみて、そしたら、息子は走り出すし、娘は泣き出すし、床はびちゃびちゃにされるし、もう本当にあの母親は地獄のような気分にたまたま、偶然そうなってしまったのかもしれない。

あそこにいる今もルリちゃんがぎゃあぎゃあ泣くのをどうにか泣き止ませようと必死な母親は、伝えたかったのかもしれない。この店内に、世の中に、社会に、旦那に、友人に、ママ友に。

私はいつも言ってるんです。

頑張ってなんとかしようとしているんです。

でも、こうなるんです。

いつもこうなんです。

と、言いたいのかもしれない。

かもしれないをもっと。想像力をもっと。

どうして私のパソコンのキーボードを叩く音はうるさくないと思ったのか。いや、思ってもいなかった。想像をしていなかった。それが問題だ。それは何故か、仕事だからか?それは残念だ。仕事を理由にしたらパソコンを叩いている音が不快になってもしかたがないのか、そんなはずはない。
子供ならどこでもうるさくなってもいいのか。そんなはずはない。しかし、そうなってしまうこともまた事実だ。私も仕事をしたくてキーボードを叩いた。それも事実だ。誰が悪いのか?悪い人はいるのか。誰かが悪事を働いているのか?違う。なぜ、想像力を放棄してあの家族を悪く思えたのか。


私は振り返って、母親をもう一度見た。

泣きそうな顔をしていた。

泣きそうな顔で、床を拭いていた。

私も何故か泣きそうになった。

振り返ってお爺さんを見た。

「すみませんでした。」

私はお爺さんに頭を下げた。

颯爽とその場を去り、お会計を済ませて、店を去った。

想像力が足りない。

人間は本当に想像力が足りない。

私はなんて想像力が足りない人間なのだろう。

どうして隣のテーブルに静かに読書をしたいお爺さんがいるかもしれないと思わなかったのか。

どうして、あの母親が泣きそうな顔で子供と接していることを想像できなかったのか。

想像をしてくれ。頼むから。

もう一歩考えることができれば、、きっとこんな恥ずかしいクソみたいな気分にならなかったのかも、しれない。

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