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SOCIAL DISTANCING

感染症の拡散を減速させることを目的とした社会距離拡大戦略である。我々が協力して最低限やらなくてはならないことである。とはいえ、未だに出口が見えない戦いでもあり、長期戦を覚悟して、これが普通と思って生活するにはまだまだ不慣れな感じである(長期とか言われているけど、心のどこかででは、まだ短期で終息するという希望的観測の域を出ないでいる)。デジタルな人工世界になっていく過程で、現在進行形でウィルスが入り込んできて、人類の脆さを露呈していくことなるなんて...  歴史的には天然痘やスペイン風邪などあったが、インフォメーションテクノロジーだけではなく、バイオテクノロジーも進化していて漠然とは同じような驚異にさらされないと思っていたが...

緊急事態宣言が発令されてから2週間あまりが過ぎたが、現時点では、リモートワーク やオンライン授業、各種オンラインサービスなどデジタル化が強制的に推進されており、課題解決ソリューションがどんどん出始めている。逆説的ではあるが、この状況がある程度続くことによって、暫定対応ではなく、運用が進み洗練されていくことで恒久的に定着するサービスになっていくと思う。

このままデジタル化が推進された生活様式が定着されていき、リモートワークかつ子供たちのオンライン授業が完全に成り立つのであれば、住む場所に制限はなくなり、のんびりと自然豊かな田舎暮らしや海外移住も現実的になってくる。一方では、仕事中や授業中はオンラインで繋がっているとは言え、核家族だけでは寂しくなり、複数家族で住むような形態が出てくるかもしれないし、実家に戻って親や兄弟家族と住むことのハードルも下がってくる。そうなると、オンラインで仕事と教育をこなし、物理的に繋がるのは信頼がおけるメンバーだけで構成された新たな村社会を形成していくことになるのではと思う。

ソーシャル・ディスタンシングの措置が取られる前には、人と人があらゆるところで接してコミュニケーションを取っていたが、今となっては、すごく贅沢な体験だったと思う。それに、人間はなんだかんだ人間のことが好きなんだと感じた。オンラインのみで知り合った同僚や同級生とは、目的達成のための付き合いとして割り切るのは、価値観にもよるが個人的には寂しいし切ない。仮にオンラインのみの学生生活になったときに親友とか作れるのだろうか。

少し話がそれるが、枢軸時代とも言われる紀元前500年前後には世界規模で知の爆発が起こった。同じ頃に同じことを考える人が世界にたくさん出てきた。今も同じような状況ではないのかなと思う。だから、今の環境に適した方法で問題を解決していくのだろうと信じている。

歴史的にみて、心身二元論など哲学的思想や、数学>物理学、文学史>大衆紙、クラウド>オンプレミスのように、抽象化されているものが崇高であるという風潮がある中で、このソーシャルディスタンシングのような物理的距離の拡大戦略によって、物理的な身体の価値も蔑ろになっていくかもしれないと懸念も感じながら、この事態の一刻も早い終息を願うばかりです。




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