思い出日記6 「何も考えるんじゃねえ、ばかやろう」と子どもに言うお父さん(私の父ではありません)
もう15年ほど前のことです。
電車に乗って立っていた私の近くに、男の子を2人連れた男性が立っていました。
男の子の1人は小学校低学年前後、もう1人は未就学児のように見えました。
大きい方の男の子がとても元気に
「ねえ、おとうさん!」と、内容は覚えていないのですが、いろいろと話しかけていました。
かわいいなあと思ったのを覚えています。
『おとうさん』と呼ばれた人は終始無言でした。
しばらくして、
「ねえ、おとうさん、どうして〇〇は××なの?」と、男の子が疑問を投げかけたときです。
「知らねえよ、うるせえなぁ」と
『おとうさん』が初めて口を開きました。
ちょっとびっくりして、耳だけそちらに向けていると、男の子はめげずに質問を続けました。
すると『おとうさん』は
「うるせえ、何も考えるんじゃねえ、ばかやろう」と言いました。
その後も、いろいろなことが気になって何かを話しかける男の子に、
「うるせえ」「余計なことは考えるな」「ばかやろう」
これらを繰り返す『おとうさん』でした。
私は驚きました。
いや、驚愕、愕然、衝撃でした。
私自身にも同年代くらいの子どもがいた頃のことなので、余計気になったのかもしれません。
いろいろな考え方、育て方があると思いますし、正解不正解はわからないのが、子育てだと思います。
でも、子どもがいろいろなことを考えたり、疑問に思ったりしたら、成長の一つだと感じて、それだけでうれしいし、本人が望むなら、考える作業に寄り添ってあげたり、疑問の答えを見つけるサポートをしてあげたりしたいと、私は思っていました。
子どもが成人した今でもその考えは変わりません。いくつになっても「ねえ、おかあさん」と話しかけてきたら、真剣に耳を傾けます。
これはあくまで私の考え方です。
その時のお父さんは、たまたま、究極に面倒くさかった、あるいは深く何事か考えていて子供の問いかけがうざかった、だけなのかもしれません。
そうだとしても、
「考えるな」「疑問をもつな」「うるせえ」「ばかやろう」と言われて育つ子どもの心は、どんな風になっていくんだろうか。
あの男の子は考えたり、疑問を持ったりすることをやめないで、大きくなっただろうか。
それとも、考えず、疑問も持たない人になっていったんだろうか。
今でも気になっています。
子どもは宝ものです。決して「ばかやろう」ではありません。
私はそう思っています。
最後までお読みくださりありがとうございました。