磐梯熱海さんぽ③源泉神社〜温泉と森林と豊かな実りに感謝して
11月11日、ポッキーの日のこと。「ケヤキの森を歩きたい!」と思いたったわたしは、磐越東線・磐越西線を乗り継いで、磐梯熱海駅に降り立ったのでした。
「熊出没危険!」を知らせてくださった観光案内所の方の進言を一度は受け入れ、「(ケヤキの森の手前の)蓬山遊歩道だけ歩いてきますぅー」と言ったものの、生来の(はためいわくな)好奇心がムクムクとわきおこり、結局、ケヤキの森へ足を踏み入れてしまったのでした……というのが、前回までのお話です。
磐梯熱海さんぽ①②はコチラ↓
「ケヤキの森」には、宮崎駿監督のアニメ作品のような世界が広がっていました。
そこは幹に「アガリコ」と呼ばれるコブ状の盛り上がりを持つ樹齢300年のケヤキの群生地。
この盛り上がりは、かつて集落の人びとが薪や炭の材料にするため、高い位置でケヤキの幹を伐り、そこから芽生えて成長した幹をまた伐って…を繰り返すうちにできあがったもの。
独特の樹形を持つケヤキは、まるで生きて呼吸しているかのよう。自然の神秘、そして、森と人との関係性を感じさせてくれる光景でした。
次回は森林浴のシーズンの訪問を予定していますが、その時期は「マムシ注意!」らしいので、ひとり歩きは自粛したいと思います……ってホンマやろか(;^_^
大地から湧き出る恵みに感謝する源泉神社
長くなってしまうので、前回の投稿には入れませんでしたが、蓬山遊歩道周辺に鎮座する源泉神社にももちろん参拝。
神社前には、温泉事業所(源泉場)があり、温泉街の全旅館に豊富な温泉を配給しています。
地下から湧き出る神の恵みに感謝した荒町の氏子の皆さんが、社殿の改修工事、鳥居の設置工事にあわせ、源泉神社を勧請したそう。
手水舎の近くに由緒書があったので、あとから読もうとスマホで撮影してきました。
自宅に戻り、その内容を読んで、「あ!」と納得したのでした。
こちらが由緒書(斜めになってしまい、申し訳ございませんm(_ _)m
こちらの神社が源泉神社と称したのは、平成11年のこと。
しかし、由緒書によると、もともと祀られていたのは、山の神である大山祇神だったようです。
山と人の共生。恵みに感謝して山の神を祀る
以下、由緒書から一部引用します。
「大山祇神社と称する神社は熱海町内に関連や祭神はともかくとして15ヶ所も鎮座している。このことは主神、大山祇命は山岳の守護神、即ち水源、水利、金石の神であります」
※金石=金属と岩石。鉱物。きわめて堅いことのたとえ
大山祇神は水源・水利の神でもあるようです。
さらに記述は続きます。
「昔の生活は、山と切りはなしてはなりたたないことから山を敬愛するとともに、山での事故、災害などを守るため、記紀神話では、山を支配する神、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の子を祀ったと示されている。
山に入り、清水を汲み、薪を焚き、炭を焼き、山菜、茸、木実を食する生活に欠くことのできない実情から山の神が必然的に守護神を求め、同時に山の神に感謝と祈願が大山祇神社を村民で祭祀、朝夕平安幸甚を神に願かけ、一生に一度の願いが叶うご利益あらたかな神社です」
やはりかつての当地の暮らしは、山と深く結び着いていたようです。
開湯800年といわれる磐梯熱海温泉。
調べたわけではないので、あくまで推察ですが、磐梯熱海に現在のような温泉旅館が建ち並びはじめたのは、昭和に入ってからのことと思われます。
それまでは、おそらく湯治場のような温泉が湧き出るのみで、地元の人びとのなりわいの中心は農業と森林業だったのではないでしょうか。
立地的に猪苗代に近く、豊かな森林資源に恵まれていた磐梯熱海。
人びとは、のちに「ケヤキの森」となる山に足を踏み入れ、ケヤキの幹を伐り、自分たちが暖を取る燃料として、もしくは売って生計を立てるための薪としたのでしょう。その痕跡が、あの「アガリコ」となりました。
磐梯熱海の人びとにとって、山の恵みはなくてはならないものでした。だから、山の恵みに感謝し、山の神である大山祇神を遷宮したのではないでしょうか。
穴守稲荷神社を勧請した高玉鉱山社長の肥田氏
由緒書によると、磐梯熱海に大山祇神社が勧請された時期は不明とのこと。
しかし、「一生に一度の願いは3年続けてお参りすれば、どんな願いもかなえてくれる」といわれる西会津町の大山祇神社が宝暦9年(1778)に勧請されていることから、磐梯熱海の大山祇神社も同時期に勧請された可能性が高いようです(あくまで推察)
また、最初の鎮座地は現在地ではないようです。文化25年4月(1805年)、明治22年2月(1889年)、大正11年10月(1922年)と鎮座地が移っています。
この大正11年の遷宮時に、東京羽田から穴守(あなもり)稲荷神社を分神、社殿を当地内に奉建し、従来からの大山祇神社と合祀したそう。
穴守稲荷神社を勧請したのは、熱海町の高玉鉱山社長の肥田金一郎氏。同氏は羽田の出身で、大正3年から高川村(のちに合併して熱海町に)の村長を務め、ボーリングにより温泉開発にも成功。
大正11年に故郷の羽田から穴守稲荷神社を勧請したそうです。
ちなみに、ほとんどの稲荷神社は稲魂神(うかのみたまのかみ)を祀っていますが、穴守稲荷神社の祭神は豊受姫命(とうよけひめのみこと)をご祭神としています。
以下、写真でご紹介。
鳥居左手に置かれた「大山祇 穴守稲荷 源泉神社」の社号を記した石碑。
磐梯熱海温泉街の水道水は、名水とうたわれる深沢川から取水。
鳥居右手に設置された「深沢の名水処」では、その名水でのどを潤すことができるそう。手水舎も兼ねていると思われます。
石段を登ると、稲荷神のご神使である狐が迎えてくれます。母と子どもでしょうか。母性愛を感じる姿です。
母狐にしがみつく子狐。
母狐の横顔。目についてるのは、虫の巣かな?
宝珠を持つ阿形の狛狐は父狐でしょうか。
社殿から石段、鳥居を見下ろす。
11月11日、「ポッキーの日」の「磐梯熱海さんぽ」は、これにて終了しますが、番外編として、近日中にまたまた「撮り過ぎた写真」を公開する予定でおります。
うれしいお知らせ!
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超光栄です! 福島太郎さま、本当にありがとうございましたm(_ _)m
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