9月某日 これからの手帳を考えてみる
人の手帳を覗き見るのが好きだ。予定がびっしり書いてあったり、バレットジャーナル形式でやることが羅列されていたり、絵日記だったり。人によって本当に書くことが違う。部分部分は似ていても、自分と同じ使い方をしている人には出会えない。それだけ可能性があるのが手帳だ。そんな手帳を小学生の頃から使い続けてきた。
長い年月を経て、ふと、手帳とは何だろうと思うことが増えた。予定を立てやすいようにあらかじめカレンダーが印刷されており、月間・週間・日間などさまざまなスタイルの商品が作られている。必要に応じて好きな形を選び、中身を埋めるだけでそれらしい形になる。ガワがあれば埋めるのは結構簡単だ。
だが、その簡単さに最近飽きてしまった。仕事を始めてからは仕事以外の時間が少なくなって、書くほどの予定がなくなってしまったのもある。手帳としてあるフォーマットでは書くことがない。
それならば、と時間軸のないものにとにかく記録していく形式に変えた。食べたもの、残業時間、電車で見かけた人たち、見つけたもの、使ったお金。思いついたことも書いている。フォーマットを守っているのは日付が入っている部分だけだ。
時々、これは手帳なのだろうかと考える時がある。すべての予定を集約している点では手帳といえるが、他の記録は何でもノートに近い。もういっそ無地のノートだけにしようかとも思ったが、巻末付録の路線図が大変役に立つので手帳というフォーマットを捨てられない。ぼんやり眺めていてもおもしろい。小さな地図帳を買って通勤時間のお供にしようかな。
人気の手帳(ほぼ日、ロルバーンなど)にも手を出してみたものの、結局は空白がたくさんある手帳が一番使い勝手がいい。つらつらと家で書く手帳はMDノートの無地に落ち着いてしまった。お風呂で、歩いていて、思いついたことはそのへんの紙(使い切れなかったノートを分解したもの)に書いている状況だ。すごい、思考を整理する気がまったくない。
綺麗に整理された手帳も憧れるが、私が見返して一番わかりやすいのが「思考した順」だから時系列や項目順に並べるのは苦手だ。他人が書いたもの、話したことは別だが。
こう考えると書く媒体を分けない方がいいとわかる。外と家、使う場所で使い分けるのがちょうどいい。小さいノートを使う手法もやってみたが、どうにもうまくいっていない。きれいにまとめたあと見返さなくなった。手帳そのものに書くことが増えてしまった。手帳を開くほどのことでもない些細なメモをするといいのかもしれない。
目下の課題は勉強用のノートをどうするか、である。学んだことを見返すには持ち歩けるサイズがいい。でも、文法はきちんとまとめたい。気づきは日記に書くだろう。やってみてから考えよう。
と、いうことで、来年は
・持ち歩く用→JSダイアリー
・家→MDノート(無地)
という布陣でやってみることにする。
いろいろ考えてはみたが、「書き出せればいい」のでストレスがなく、自由度の高いものを常に探している。もう無地のノートでええやないかい。
サムネイルは新旧のスケジュール帳。左が2023年で右が2024年だ。やっぱりJSダイアリーの日付フォントがかわいい。和気文具さん、いつもお世話になってます!
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