10月某日 語学熱の上昇
サムネイルは、たまたま辞書で見つけて面白かったフレーズを書きとめたページ。一体どこで使うんだ。
最近、語学熱が上がってきている。今までも欲求があったのはあったのだが、NHKの語学講座をなんとなく聞くばかりで理解の歩みは遅かった。大学の時にかじっていた中国語も英語も触れないまま数年が経ち、かなり忘れてしまった。昔取った杵柄にしがみついていてもいいことはない。やろうやろうと思いながらも怠けていた。
どういうことか、数日前から意欲がぐんと上がってきている。たぶん、知り合いが語学講座を聞き始めたり、中国語を学んでいる人がいたりしてやる気を起こさせたのが一つ。そして、NHK語学講座「まいにちイタリア語」で、木金に放送されている「美術に見るイタリアの女性像」が面白かったのが二つ。三つ目は、Netflixで配信中のドラマの原作が邦訳されていないことに気づいたことだ。様々なきっかけが結集して、今の熱を作り出している。何より、読みたい・知りたいことがあるのは大きなきっかけになる。あくまで私の場合だが。
不思議なことに、のめりこめばのめりこむほど沼は深くなっていくようだ。その言語に触れる時間がどんどん長くなる。わかることが増えるのは面白いし、わからないこともどんどん出てきて面白い。なんだこれは。底なし沼じゃないか。
一つ一つの言葉にきちんと向き合えている、と思う。それは、異国の詩に触れる機会があったからかもしれないし、宗教や政治に目を向けられるようになったからかもしれない。ただ漠然と課題に向き合っていた学生時代とは違った感覚がある。
ようやく"学習"が始まった感じがして嬉しい。誰にも強要されない学びがこんなに楽しいものだったとは。こればっかりは自分で気づかないとわからないことだ。創作にせよ、勉強にせよ、読書にせよ、「趣味にしたい」「何者かになりたい」「変わりたい」という理由だけでは続かない、と考えている。勉強法や読書論はモチベーションアップのために読むけれど、それがきっかけになることはないと思う。どこから興味を見つけてくるのかは……正直言って私にもわからない。人それぞれ、違う道があるのだろう。
学んだことをどこにつなげるのか、と聞かれると答えに窮してしまうから、もしかすると逃避でもあるのかもしれない。けれど、今やりたいことをやりきる以上に私にできることはない気がする。回りまわって恵まれた機会に感謝して、近況報告を終わろう。
最後に一つだけ。言葉の沼にはまると抜け出せなくなる危険性があるのでお気をつけて。