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体操着の思い出

いつからかな?自分は「みんなやっているから俺もやらなきゃ」という価値観がない。だからこの仕事をしているのかもしれないけれど。

思い出すのは小学校の体操着。みんなはオフィシャルの小学校のロゴマークのついたやつを着ていたのだけど、自分はおそらく親が買ったえんじ色の縁が首と袖についているだけの似ているやつ。

全然自分が違うことをしている気持ちはなかった。親から安田君の話を聞いてようやく気がついた。

安田君もオフィシャル製品を買わなくなったらしいんだけど理由は俺だった。その時はじめて俺は人と違うことをしていたんだという認識を持ったのだった。

「同じじゃなきゃいけない」というのはやはりムラ社会なんだろうねぇ。ということは「身内意識」さえあればある程度の逸脱は許されるのかもしれない。「害を与えない存在」と思われることも重要かな。

「みんな違ってみんないい」はムラ社会からの脱却なんだろうけど、個人主義になってしまって「自分はいいけど他はダメ」が現状なんじゃないかな?

「みんな違ってみんないい」はむしろ宇宙全体を大きなムラって考えるところから始まるような気がする。

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