月刊コグマ#12 とおく離れたいつかのあなたへ
12月になって、色々なやりたいことが一気に押し寄せてきている。
前回も話したように、観てるドラマが2本。
放課後カルテと海に眠るダイヤモンド。
地面師たちも見終わったし、上の2本もそろそろ最終回だ。
本で言えば、星野源さんのエッセイである、いのちの車窓から2を読んだ。
自分がこういうnoteを書き始めた理由の一つには、源さんのエッセイに影響を受けたところもあるので今回も読みたいと思っていたのだ。
他にも買った本としては、品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)さんのキリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々と納税、のち、ヘラクレスメス のべつ考える日々の2つ。
まだ読み始めていないが、最近ウーロン茶マガジンに加入して恐山さんの日記を読ませてもらっているのでこれも楽しみだ。
もちろん、やりたいゲームだっていっぱいある。
上手く時間を使っていかないと、良いとこ取りが出来ないので、二兎以上得られるように楽しまなくては。
話は変わるが、先月の月刊で50本になったらしい。
毎年14本を出して3年。初めの年は1月2月と7月から12月までプラス2本なので、単純計算で14×3+10で42+10で52本。
あら…
いや待て、12月は2本投稿する月なので52-2か。
それで50本だ。
とりあえずまだまだ続けていくつもりではあるので、目指せ100本といったところか。
そろそろ、今回の月刊を書き始めなきゃな。
Colors
12月某日。千葉県の相模湖周辺にて。
今日は友人の誕生日を祝う 件 僕がイルミネーションを見たかったので、友だちに教えてもらった相模湖MORIMORI という場所でやっている 相模湖イルミリオンへやってきた。
午後3時くらいに外へ出て、電車を乗り継いでここまで来たのだが、乗っている電車のカップルの割合が多い気がする。
気のせいだろうか。
相模湖駅に到着し、次に向かうべき場所を調べる。
すると、ここからはバスで向かうらしい。なんか嫌な予感がするぞ…と思いながら改札を出ると後ろから肩を叩かれた。
なんと、今日一緒にイルミネーションを見る友だちもおんなじ電車に乗っていたらしい。
空いていた座席に2人で座り、どこまで行くのかどんなところなのかを話ながら到着を待った。
バスの中は案の定、カップルだらけだった。
嫌な予感はこれのことか……?
道中にガストを発見し、こんなところにガストがあるんだ!と驚いたり、イルミネーションで飾ってある綺麗な公園を発見したりしてバスの中は終わった。
相模湖MORIMORIの前でしっかりと合流し、イルミネーションで彩られたゲーミング橋を渡っていく。
お土産屋さんを通り過ぎると目の前には一瞬で世界が変わったみたいに、鮮やかな色で埋め尽くされていた。
わぁ、すごい。
噂には聞いていたが、やっぱりきらきらしていて良い景色だ。
一気に圧倒されてしまった。
約1年ぶりくらいか。
去年は恵比寿でイルミネーションを見に行ったんだっけ。
友だちとあともう1人と一緒に。
去年はまだ、色々と燃えていた時期だったと思う。色々な可能性が見えている気がして、なにかと張り切っていたような思い出がある。
まぁ、結局は最悪な結果で終わってしまったのだが。
くだらない。
少し進むとより綺麗な世界が目の前に広がっていた。
これは何を表しているのだろう。
ピンク、緑、オレンジ、白。
この色から想像できるのは、、、
四季 だろうか。
今年も終わりそうなので、それを表しているのかもしれない。
1年の振り返りとして。
なんか今年あったことを忘れさせないように、身体にガチッと固定されてるみたいだ。
少し進むと、青い光に包まれた場所に来た。
ここなんて、まさに冬って感じだ。
この写真に写ってはいないが、この木の視線の先にはベンチが置いてあり、良い感じの写真スポットになっていた気がする。
とっても綺麗だし、雰囲気も好きだ。
だけど、でも。
よくないな、これは。
どうしても、こういうところに来るとよくない想像をしてしまう。
もしあの時の自分が…みたいな悔しさが溢れてきそうになってくるのだ。
生き苦しくなる と言えばいいのか。
そんなときは、
これは自分が選んだ結果だ と気持ちを表面上だけでも納得させて押し込めることにしている。
これで幾分か楽になるのだ。
そもそも僕が行きたくて友を誘ったのに、本当のところはこんな感想を抱いていることに、申し訳なさを感じつつまた歩みを進める。
友人が写真を1枚とるたびに、僕も「あ、撮ろう」という気になるので、一緒に来てくれてとても助かっていた。
目の前には、白い光を放つトンネルがあった。
そのトンネルを抜けると、また新しい景色が光りを放っていた。
暖かい光のイルミネーションになったことで、急に肩の荷がスッと下りたような感覚があった。
どこか色んなものを受け入れてくれるような明るさだった。
「これくらいの灯りがすきかも」
友だちが言った。
僕もそう思う。
今まではどこか都会的な明るさだった。
イルミネーションを悪く言うつもりはないが、あの明るさは悔しさや悲しさを想起させる灯りなのだ。
しかし、この明るさはどこか違う気がする。
なんというか
落ち着くのだ。
包み込んでくれるような感じ。
この暖かい道を下りながら、友と話しながら、
今までの後悔を改めて思いだしていた。
結局、後悔は後悔だしこの気持ちが完全に晴れることは無い。
でも、自分の大きな経験になっていると考えれば、苦しくないこともない。
「うわ、ここめっちゃきれいだよ」
友人がそう言って足を止めて、その場所に近寄る。
どれの事だ。
友人の方へ近寄ると、これまたきれいな景色が目の前に広がっていた。
確かにきれいだ。
…ちょこっと木が邪魔だけども。
なんか、今まで見てきたここのイルミネーションをすべて集約したようなものを感じる。
木も含めてね。
羨ましさと暖かさと、あと後悔とかもろもろ。
今日感じたような思いを全部一気に凝縮したような感覚になった。
、、、くだらない。
ほんとうにくだらない。
僕はそもそも何をしに来たんだよ!
イルミネーションを楽しみに来たんだろ!!
こんなに昔のことばっかり考えるためにこんなところまで来たわけじゃない!!!
その後のことの詳細はもう覚えていない。
とにかく楽しんで、いろんなイルミネーションを見て回って、今は電車の中にいる。
誕生日になったらお酒が飲みたいと言っていた友人のために、新宿へと向かっている最中だ。
くだらない大切な過去の思い出に苛まれた結果、色々と汚染されてしまった気もするが、今日はとても楽しめたと思う。
見たかった景色は見れたんだし。
さっき、2人が寝る前、どこの居酒屋が良いか3人で話し合っていたのだが、そこで上がった銀だこの居酒屋、本当に空いているのかしら。
今日は金曜日だし、12月だし、忘年会シーズンと完全に被っている。
そこに予約なしで入れるとは思わないが、まぁ夜の新宿散策も楽しそうな気がする。
もうそろそろで新宿に着くらしい。
今、電車のアナウンスでそう言っていたのでたぶん正しい。
あ、扉上にある掲示板も「次の駅は新宿」というのに変わったぞ。
この後、どうなるのかは分からないが、凄いワクワクしている自分が今ここにいる。
「なんでそんなに元気なんだよ。さっきまであんなに落ち込んでたのにさ。バカみたいだよ」
と自分が自分に言ってくる。
でも返す答えは一つだ。
「だって、この後も楽しみだからさ」
Music Tapestry
ここ最近、インスタグラムで好きな曲とか、今紹介したい曲を見つけるとストーリーに上げている。
理由は単純に、誰かに共有をしたくなるからだ。
この曲よかったよ!とか、僕はこんな曲が好きなんだけど、みんなはどうなの?とか。
そういうことを聞きたいという気持ちもある。
しかし、最近自分の中でこの音楽のおすそ分けについて少し引っかかっていることがある。
それは、最近上げ過ぎじゃないか?ということだ。
ほぼ毎日のように上げている気がする。
それの原因として考えられることをせっかくなので、挙げてみることにしよう。
今一つ思い浮かんだものとしてあるのは(あんまり「原因」と言いたくはないが)、毎朝、最近買ったオーディオコンポにスマホをつないで曲を再生しているからだと思う。
今まで使っていたものは親からのおさがりで、CDやカセットテープなどを再生できる、いわゆる以前のオーディオプレイヤーだ。
しかし、今回買ったものはCDの再生もできるし、Bluetoothでつなぐことも出来る。
自分はradikoでラジオは聞いているので使わないと思うが、いざというときにはラジオ代わりに使うことも出来る。
あ、今気づいたけど、これUSBを挿すことも出来るみたいだ。
そんなこんなで、毎日手軽に色々な曲を聴けるという状況になってしまったため、毎日のようにつないでは曲を流している。
これは、まぁ、原因の一つだろう。
他には何があるだろうか。
あ、最近ドラマを見る機会が増えているというのも一つの要因だろうか。
どのドラマも毎回のようにいいタイミングで主題歌が流れてくる。
例えば、海に眠るダイヤモンドならKing Gnuの「ねっこ」が。
ライオンの隠れ家ならVaundyの「風神」が。
うわぁ、今流れるか…!これは…!!
と心をグッと持っていかれる。
今有名な方たちばかりが、各ドラマの主題歌を務めているだけあって、その分ドラマへの溶け込み方も尋常じゃない。
そういった名曲を聴くたびに、もっともっと他の曲も聴きたくなって、音楽欲が掻き立てられ、いろんな曲が聴きたくなってしまう。
そうして聴いた中に、「あ、この曲、みんなにも聴いてほしい!」となり、上げてしまうのだろう。
これで、上げ過ぎの原因が分かったわけだが、これを解消する方法はあるのだろうか。
僕は嫌だぞ、曲を聴かない生活にするとか。
そうだよ。そもそも、僕が自制すればいいだけなんだ。
そうすればそんな最悪の可能性は回避できるだろう。
いい曲を見つけたり、「あ、この曲おすそ分けしたい!」と思っても、共有しなきゃいいんだ。
、、、でもなんかそれって悲しいな。
共有したくても、我慢するなんて。
やめだ、やめだ。こんな不毛な考えは。
別に(たぶん)迷惑はかけていないだろうし、このまま自分は好きな音楽をみんなにおすそ分けしまくるぞ!
もしかしたら、他の人がそのおかげで好きな曲になって、よく聴くようになるかもしれないし。
そんなこんなで、僕はこれからも曲を紹介しまくるストーリーを上げていくとしようか。
せっかくだしハイライトにでもまとめておこうか。
タイトルはどうしよう。
おすすめ音楽まとめ だとなんか味気ないしなぁ…。
タペストリー。タペストリーってなんかオシャレじゃないか。壁に掛ける装飾品。それをなぞって、自分のインスタも音楽で飾っていこう。
そうだ、ハイライトのタイトルはMusic Tapestryにしよう。
繋がり
このまえの話。バイトから帰ってくるとポストに黄色い封筒で地元の二十歳のつどいの案内状が来ていた。
もしかしたら行くかもしれないし、と思っていちおうホームページで参加申請を送っていたのだ。
あぁ、もうそんな時期なのか。
9月頃に申請をした記憶なので、もうそんなに時間が経ったのかと少し驚いた。
そういえば、この前インスタグラムで中学時代の友人のストーリーに二十歳のつどいが何時から始まるのか と 同窓会を公式にやることは無い みたいな内容のものが画像で貼られてたっけ。
それに気づいた自分は、最近になってごくたまに連絡をくれる昔の友達に送っておいた。
そこから数時間たってスマホを開くとLINEの通知が一つ。
地元の友人にも同じような手紙が来たのか、「二十歳のつどい、来る?」というような内容が書かれていた。
さっきも書いた通り、気が向いたら行こうと思っていたので、
「行くつもりだよ」
と送ったんだっけ。
せっかくなので、封筒の中身でも確認しておこうか。と、カッターナイフで封を開ける。
いつ指を切ってしまうのかが怖いのでカッターナイフはあんまり好きじゃないのだが、便利なものではあるのでコイツには複雑な気持ちを抱きながら刃を進めた。
内容は、もちろんどこに集合するのかや注意項目など。特に特別なことは書いていなかった。
バイトから帰ってきたばかりだったので、先にお風呂に入る。
トイレやお風呂に入っているといつも以上に孤独感が増して、卑屈な考え事をするときが多々あるのだが、今回も例に洩れずその妄想が始まった。
そもそもの話、僕は以前地元に帰ったときに、自分は二十歳のつどいに行くという旨をLINEをくれた友達に話していた。
なのに覚えてないもんなんだな。
まぁ、もう1年経ちそうだし、忘れるのも納得だけどさ。
「誰も自分を求めているわけじゃない」
そんな言葉がふと、頭の中に立ち上った。
バイトの先輩が、最近彼自身の親友に語っていたというのもあるのだろうが、自分に親友なんていないよなぁという気持ちになっていた。
冷静に考えられる今も、親友はいないと思う。
もし、僕のことを親友だと思ってくれている人がいたなら、それは申し訳ないけど。
残念ながら、僕はその思いに気づけていない。
今も頻繁に連絡を取り続けているくらいの、本当に仲がいいって言えるくらいの人。この人は自分の中で、一番の友達だよなぁと言える人。
そんな人は自分にはいない。
自分の中にそういう人がいないというのも一つの要因なのだろうが、「誰もいないんだ」と考えると、途轍もなく悲しくなった。
だからこそ、自分はずっと「誰かの一番になれたら」と思っていた。
結局のところ、自分はそもそもそういうのに向いていないというのが改めて分かっただけだったけども。
単純に考えれば、青春時代をその場所で過ごしたわけだから、こんなに思いがこもっているのだろう。
なのに、こんなに誰も自分を求めていないことにダメージを受けているなんて。
ほんとうにくだらない。
こうやって改めて書いていて思うのは、自分は薄情な人間だよなということ。今も昔も、自分と仲良くしてくれた人はいっぱいいるのに、そういう人たちを切り捨てて、まるでなかったかのようにして扱ってるなんて。
そんな最悪な沼から抜け出すには、単純なバカにならなきゃいけない。
自分がいつもこんな沼から抜け出すときには、いつも「ほかのみんなと自分の考えはおんなじだ」と思うこと。
なんて傲慢な考え方なんだ、とも思うがそうやって考えでもしないと、いつまでもいつまでも卑屈でくだらない悩みに苛まれてしまう。
例えば、この時なんかはたしか、「自分にとっての1番大事な友達がいない のと同じように、他の人にもきっと 1番大事な友達はいないんだ」と思い込むことで決着した気がする。
そもそも、友達に優劣をつけること自体がくだらないし、そうやって考え始めようとしている自分にすら軽蔑をしそうだったので、この結論に落ち着いて良かったと思う。
そんなこんなでお風呂から出ると、体がふらつくのを感じた。
のぼせてしまったみたいだ。
想像以上に悩み込んでいたんだろう。
少し熱を冷ましながら、ご飯を食べた。
今はさっきのことを思いだしながらこれを書いている最中である。
すでに家族は寝静まっていて、家の音は自分のタイピングの音だけだ。
人間は結局、ずっと孤独感からは逃げられない生き物だと思う。
それは、友達や家族といるときもそう。
一緒にいるのに、どこか独りきりでいるような感覚になる。
だからこそ、イヤな感覚に慣れなきゃいけない。
そうしてこの感覚に慣れた先にあるものは何なのか。
それを見てみたい気もする。
そのためにはまず、友達という関係をそこまで大切に思わないようにしなくちゃな。
苦しめるような呪いにはならないように。
とおく離れたいつかのあなたへ
誰も望んでいない。誰も待っていない。
誰も歓迎などしていない。
誰も。
今の自分を取り囲んでいる、存在するかどうかも怪しい言葉の数々だ。
結局、この黄色い封筒をもらってからずっと、心の中では不安な気持ちになっているらしい。
バイトで作業をしていると、脳内ではすぐこの手の話になってしまう。
これは何故だろう。
やっぱり、自分が友だちという関係を重く見過ぎているからだろうか。
単純に整理してみると、
自分は求められていない という自信の無さ
受け入れてもらえるだろうか という不安
主にこの2つが自分の中で大きな鎖になっているように感じる。
あとはそうだな、素直に緊張してるのかもしれない。
久し振りに会う人もいるだろうし。
そういえば書いていて思ったのだが、何らかのメディアで他の人にはわかりづらい悩みを語っていたものがあった気がする。
まさしくLight Houseみたいな。
人にはわかりづらい悩み。
僕だって持ってるし、なんなら他の人みんな持ってると思う。
けれど、言っても何の意味もないし、解決策にもならないから誰にも話さない。
自分はそんな鬱屈とした思いを毎回ここの月刊にしたためては、また卑屈な事書いてんなぁと一蹴するのがお約束になってきているが、
実際、誰にも話せずに苦しんでいる人もいるだろう。
周りに合わせなきゃ生きていけないから合わせてるけど、実際はちょっと違う。でも、ここで合わせておかなくては波に捕まることが出来ず、自分が置いてけぼりになってしまう。
ありのままで過ごせば なんていうヤツもいるが、この世界でルールに従って生きる以上はありのままで過ごすなんて無理なことだ。
実際にそんなことをしたら、お縄になる可能性だって少なくないと思う。
だからこそ、僕たちは胸の奥の奥の奥の方に押し込めるのだ。
どこかで話した気もするが、
自分は「あなたの気持ちが分かる」という言葉が大嫌いだ。
知ったふりしないでくれ という気持ちになる。
分からないくせに分かったように、その場しのぎのようにあなたの気持ちが分かるとは言われたくない。
書いていてもひねくれてんなぁと思うが、どうにもこれは許せない。
自分には誰かを元気づけるための言葉を持っていない。
こういう言葉を嫌うからというのもあるし、嫌いなくせにそういう言葉しか出てこない自分に腹が立つからだ。
でも、こうやって自分とおんなじような悩みを抱えている人がいれば、あなたは一人じゃないと言ってやりたい。
この悩みの苦しさは抱えている本人にしかわからないものだし、それを僕が分かるといったところで解決するようなものでもないと思う。
僕が嫌いなこの「あなたの気持ちが分かる」という言葉はたぶん、
実際はその場しのぎでもなければ、分かったように言っているわけでもないだろう。
たぶん、あなたの悩みをわたしも知りたい という一種の願いなのだ。
まずは知って、そこから一緒に考えたいという気持ち。
一緒に分かち合いたいという気持ちなのだろう。
掛けている言葉の意味なんて、結局しゃべっている当人次第で変わってくる。
例としては少し違う気もするが、京都弁なんてまさにそんな感じがする。
、、、これは偏見か。
だからここからは、僕の納得した意味で声を掛けていると思ってほしい。
とおく離れたいつかのあなたへ
もし、今あなたが悩んでいて苦しくてどうにもできない状況なら。
その隣には必ず、僕がいる。
あなたは一人じゃない。
もし、今苦しいのなら、まずは話してくれ。
あなたの気持ちが分かる とは安易には吐けないけど。
でも、知りたい。知って理解したい。気持ちを共有したい。
すこしでも、あなたの言葉で吐けば、奥の方に溜まった気持ちは楽になると思う。
本音じゃなくていい。今、あなたが吐ける言葉でいい。
僕に、教えてくれ。
なんで急にこんな話を書き始めたのかは自分でもわからない。
たまにある、誰かを励ましたいという気持ちの表れなのだろうか。
そんな力を自分は持っていないと分かりつつも、書いていく理由。
苦しさはいつもでも続いていく。
自分だって、今もそうだ。
自分の苦しさを聞いてくれる、そんな人がいてほしい。
ならば自分がそんな人になってやろう。
たぶん、こういう変遷なんだと思う。
まぁ、文字ベースで話している人間がどうやって聞けるようにするんだって話なのだが。
悩みや苦しみは話せない。話したところで、暗い雰囲気になるだけでまったくと言っていいほど楽しくはない。
この辛さを共有したくない。相手に嫌な気持ちになってほしくない。
色んな気持ちが錯綜して、苦しくて痛くて、でも抑え込んでいる、
どこか遠くにいる隣人へ。
とおく離れたいつかのあなたへ
プロフィールに質問コーナーを設置してみた。
まずはここから始めてみるつもりだ。
ぜひ、送ってくれ。さみしいし。
一緒に生き抜こう。
まとめ:マジックアワー
昼と夜が夜と朝が混ざる時間。
夜明け前の日没後のその一瞬の時間。
その時間のことをマジックアワーというらしい。
例えば、星野源さんの「不思議」のサムネイルでもその瞬間が確認できる。
最近、バイトに行くとき、よくこの瞬間に近い空の色を見る。
冬になって夜になる時間が速くなってきたからなのだろう。
この色を見ると、どうにもしんみりしてしまう。
心のどこかがウズウズして仕方がない。
秋の風が好きなのだが、それに似たようなものをこの風景には感じるのだ。
中学生のころと今の自分。何が変わったのだろうか。
以前、友達にあったときには、「変わってないね」と言われてしまった。
特にいい意味とも悪い意味とも考えてはいなかっただろうが、自分は正直少しショックだった。
少しは成長していたかったし、変わったねと言われたかった。
こういう記事を書いていて思うのは、
いつまで自分は過去にすがっているのだろう ということ。
もちろん、ずっと未来とか今を見続けることは難しいし、たまには過去に目を向けることは良いと思う。でも、僕は過去に目を向けすぎていると思う。
過去を思い出しては後悔を思い出して落ち込む。
その連続だ。
でも、この後悔でモノを作ってきた自分にとって、この悔しさを捨てては何を表現すればいいのか分からなくなってしまう。
だから、もし自分に悩みとか後悔とかそういうのがなくなったら、自分はもう辞め時ということなのだろう。
友だちが~とか好きな人が~とか。色んな苦しさや悔しさがあって初めて僕がある。
だから、この思いは忘れたくない。
こう考えたら、過去を想うこともそう悪くないように思えてきた。
さすがに考えすぎは良くないとは思うが、どれもこれも大切な記憶だ。
記憶に眠る、もしものそしていつかの思い出。
ちゃんと胸に閉まって、未来へと進むのだ。