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バインミーの歴史について解説

みなさんこんにちは!
開店準備にソワソワが止まらない激うまバインミーです。笑

今回はバインミーの歴史についてお話しできればと思います!
今回のお話はベトナムの新聞社が出していた情報をまとめた人がいて、さらにそれを僕がかみ砕いてお話ししようという感じになります!笑

ベトナムにフランスパンが入ってきたのは1850年代の後半だそうで、今から約170年前になるそうです。
最初は80cmぐらいの長さのパンが主流だったそうですが、持って帰ったり、食べ歩きをするために半分のサイズで30~40cmの短いパンの需要が高まっていったそうです。

1914年にあった第一次世界大戦により、フランスから輸入していた小麦粉が不足したことにより、小麦粉に米粉も混ぜてパンを作るレシピに変えていくお店が増えていったそうです。
そのため、現在のバインミーのパンの特徴である、外がカリカリでパリパリな食感と、中がふわっとしているパンになっていったそうです。
小麦粉不足の中で、ベトナムの米粉文化が混ざってこの美味しいパンが生まれたんですね。

まだこの時にはサンドイッチとしての復旧はしていなかったようです。

時代は進んで、1939年の第二次世界大戦時に、再度小麦粉不足になったそうです。
その時に、米粉以外にもコーンスターチやベーキングパウダーも混ぜて作るようになっていったそうです。
バインミーのパンの特徴の一つでもありますが、外側の固さと対照的に、中の空洞の大きさが目立ちます。
パンの食感の軽さもこのあたりから来ていると思います。

そんなパンは中に具材をたくさん入れることが可能になっております。
当時流行していたパンにレバーペーストをつけて食べる食べ方を、いっそのこと最初からはさんで販売しようというお店が生まれ、さらにハムやソーセージ、豚肉、ハーブ、春巻き、野菜、スパイスなどなどもはさんで販売するお店が増えていきました。
これは戦後の1960年頃だそうです。
そのため、現在のバインミーの形が生まれたのが約65年前ということになりそうですね。

このバインミーはホーチミンというベトナムの南部にあるお店から流行したそうで、当時のその土地の呼び名であったサイゴンという名前を取って「サイゴンパン」と当初は呼ばれていたそうです。

ちなみに、サイゴンはホーチミンの旧名で、ベトナムが北側の国と南側の国で分かれていた時の南側の首都でした。
これがベトナム戦争で北側の国が勝利し、南北統一の際に当時の国家主席の名前にちなんでホーチミンとなりました。
北側が勝ったので、現在のベトナムの首都は北部にあるハノイになっているようですね。

ベトナム戦争が終わった1975年以降は、このバインミーがベトナム全国に広がったそうです。

2010年代ににオックスフォード英語辞典にバインミーが掲載されたり、イギリスやアメリカで大手新聞や雑誌、テレビなどでもバインミーが紹介されたりと、その美味しさとベトナムに根付いた食文化として紹介されるようになったそうです。
この時から、世界の美味しい屋台料理ランキング上位や、世界のサンドイッチの王様などの評価を受けているようです。

ベトナムでバインミーが流行した理由に、手軽に食べられることや、提供スピードが早いこと、味の美味しさも挙げられるが、何といっても価格の安さが人気の理由になっている。
お店にとっても、食材以外は包装紙ぐらいしか使わない上、屋台スタイルでも提供可能なので、安価な提供が可能になっている。
さらに、パンは完成してからの日持ちが長いので、学生や労働者など、長時間持ち運んで食べたいという需要にぴったり合っていた。

また、パンは色んな具材を入れても美味しくできる特徴もあるため、ベトナム各地の好きな味付けや食材などにも溶け込みやすく、それぞれの土地でのバインミーが生まれていくこととなりました。
そんなこともありベトナムで広く親しまれる料理となりました。

現在でもバインミーはどこでも食べられる料理で、各土地ごとにも味付けの特徴や、パンの形の違いなどもあります。
屋台でどこでも気軽に食べられますし、お店の数もとても多いです。
そんなバインミーはベトナムのソウルフードとも呼ばれて今でも親しまれています。

以上今回はバインミーの歴史についてお話しさせていただきました!
参考にしたサイトも掲載しておきますのでこちらも見てみてください!

ではまた明日もよろしくお願いいたします!

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