見出し画像

いい感じ

私は収入がないけれど、いま現在に何の危機もない。

つくりたいものをつくることのできる、道具は揃っているし。

温かい食べものをつくることも、温かいお風呂に入ることもできる。

もちろん望もうと思えば、「あったらいいな」と思うものはないわけではないけれど。

やりたいことをして、快適に生活できるだけのモノは、ありがたいことに十分そろっている。

ようやく手に入れることができた、安心・安全な自分だけの居場所もあるし。

いまの私は、とても満ち足りている。

でもね、大きく状況が変わったわけでもあるまいし。

これまでだって、同じだったはず。

なのに私、どうして満ち足りてるって思えなかったんだろう?

もちろん、“いま”にフォーカスできてなかったからに決まっている。

このまま、収入がない状況が続けば、いずれ貯金が底をつく。

その、起きるかどうかすら定かではない“いずれ”にばかり目を奪われ、たったひとつ、間違いなく存在している“いま”を不安色で染め上げていた。

だけど、いまや当然のように誰もが言ってることだけど。

「自分の現実は自分がつくってる」んだよねぇ。

だから、不安色の“いま”を生きてれば、同じように不安色で塗りつぶされるような現実がどんどんできていくわけ。

考えてもみてよ、起こるかどうかもはっきりしない、未来のたったひとつの可能性に着目してしまったばかりに、いまも未来も不安ばかりになっちゃうんだよ。

それって、すごぉく悲しくない?

でもそれ、ずっと私、やってきたのよね…。

だけど、とあることが起きて一気に自己認識がひっくり返ってしまったら、いろんなリミッターがどんどん外れてっちゃって。

子供みたいに、いまここの目の前の出来事が嬉しくて、楽しくて。

これやりたい!あれやりたい!! って、夢中になってしまって。

過去や未来になんて、まるで目が行かなくなっちゃった。

そしたら「なぁんだ私、こんなに満たされてたんじゃん」って思えてきて。

そんなわけで、これからはどんどん、満たされた現実ができていくはずなのですよ。

いや、やったことないから分んないけど。

もう自分を疑わないって決めたから、微塵も疑わず、そう信じて生きていくわけ。

ねぇ、未来は決まってないし、どうなるかだって分りようがないんだし。

もしかするとこれが、“幸せ”ってことなんじゃないの?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?