「豊かさ」とは?
とうとう追い詰められてますねぇ、FRB。
私はもっとずっと早いと思ってたんですけど、そこらへんも私の、時間のとらえ方のズレだなぁと改めて感じています。
「過程」とか「経過」みたいなものを、なぜか計算に入れられなかったんですよねぇ、私。
でもいまでは、しっかりズレを把握できたはずなので。
これからはあらかじめ、修正しつつ行動できるのではないかと思います。
いきなり話が逸れましたが、銀行崩壊からの中央銀行制度の瓦解。
さらには政府や国という名の株式会社の終焉まで、転がり出したら早いんじゃないでしょうか。
そうそう、こないだの戴冠式の新国王のあの、泣きそうな顔見ました?
どうして晴れの日に、あんな悲しそうな顔、するんですかね?
違和感、感じませんでした?
とまぁ、ぜひご自分の違和感は大事にしていただいて、話を進めますが。
私ようやく、自分の環境を有効に活用できるようになってきました。
というのもねぇ「あなただけ楽しくて、いいわねぇ」と親に言われ続けて育ったので。
ごていねいに「私だけ楽しく生きちゃいけない」って思い込んでしまって。
これまでずっと私、せっかく身近にあるものを使うことに、後ろめたさを感じてきたんです。
たとえば煮詰まったときなんかに気分転換できればいいなと思って始めたギターも、いつでも手に取れるところにあるにも関わらず、勇気を出さないと弾くことができなかった。
まだ練習し始めたばかりの、下手なときはできたんですけど。
目標どおりに、気分転換に使えるくらい上手になると、途端に使えなくなってしまった。
こういうのもったいないし、せっかく私のところに来てくれたギターに対しても申し訳ないですよねぇ。
モノって使われるためにあるわけだし、使ってほしいと思ってるんですよ。
ギターは間違いなく、弾いてほしいと思ってここにいてくれてる。
なのに、私の個人的なつまらない葛藤で弾かずにいたら、ギター自身も満たされずにモノとしての寿命を終えることになっちゃう。
私これまでにたくさんのモノを、そういう目に合わせて来ました。
もちろん使ってやれなかったモノたちのおかげで、いまこうして使い、使われる幸せな関係をより味わえているわけで。
決して無駄ではなかったと、思っていますけど。
モノも私も同じエネルギーですから、やはり使うことでお互いを、よりよくしていけるわけです。
だからね、これからは私のところに来てくれたモノたちに感謝しつつ。
大事に使っていければな、と思います。
でねぇ、そういうことができるようになってはじめて、きっと。
モノたちも私の元へ、喜んで来てくれるようになるんじゃないでしょうか。
それがきっと「豊かさ」ってことなんだと思います。
いま、旧米ドルが終わりを迎えようとしていますけど。
これって、お金っていう欺瞞の、終わりへの始まりだと思います。
だって、考えてもみてください。
コインだって札だって、モノであることに変わりはないわけですから、ごまかしや支配のために使われて嬉しいはずがないんです。
なのにいまは、無理やり悪意のある人たちの元にお金が集まるような仕組みをつくって、自然の法則がはたらかないようにしちゃってる。
それってねぇ、堤防を作って自然な川の流れを変えちゃうようなもんで。
ちょっとまとまった雨が降りゃあ、簡単に氾濫しちゃうんですよ。
結局、自然の力には勝てないんだって、いままさに証明されようとしているんだと私は思ってます。
だからどうか、みなさん氾濫に巻き込まれずにすむよう。
いまのうちに、安全を確保しておきましょうね。
では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。