イジゲンメトロ -3
その夜、浜田くんから連絡が来たのは、十一時を回ってからだった。早めに仕事を終え、電話を待ち構えていた私は、すっかり待ちくたびれていた。
「遅くなって、悪い。田代のことがどうとか言ってたけど?」
なのに待たせた当の本人は、形だけわびはしたものの、挑むような口調を崩そうとしなかった。
「ううん、大丈夫。こっちこそ、さっきはごめんね」
私は少しでも落ち着かせようと、意識してゆったりとした口調で言った。そして長めの間を取って、続ける。
「あのね、どう説明すればいいのか、よく分らないんだけど。実は私こないだ、キイちゃんの夢を見たの」
本当はチャネリングで話をしたのだが、説明するのがまどろっこしかった。それにキイちゃんが浜田くんと話すには、夢を通じてしかないはずだ。
「夢……」
呆然とささやく声に、私は改めて確信を得た。ほぉら、やっぱり聞いてるんじゃない。
「うん。さっきも言ったけど、地下鉄の駅のこと、覚えてるでしょ?」
「……」
少し荒くなった息づかいから、彼の戸惑いが伝わってきた。ここは、一気に押そう。
「浜田くん、大丈夫?」
「大丈夫、覚えてるよ。あの、使われなかった、地下鉄駅のことだろ?」
浜田くんが認めるのを聞いて、私は内心ホッとした。これでようやく、スタートラインに立てた。
「うん、そう。それでね、私、キイちゃんに頼まれたの。浜田くんといっしょに、もう一度あの駅に行ってくれって」
「うーん……」
回線の向こうから、いまにも泣き出しそうな、うなり声がした。ほら、もう認めちゃいなさいよ。
「けどさぁ、頼まれたって言ったって、もう十年以上も経つんだぜ。あの駅がまだ、残ってるかどうかも分らないじゃないか?」
あちらも、なかなか強情だった。ならばそろそろ、手の内をさらそうか。
「うん、そうね。私いま二七歳だから、正確には十七年も前になるわ。でも、分るんだ。私そういう、体質なの。浜田くんだってそれ、知ってるはずだよ。あの日、学校でキイちゃんが見えたの、私だけだったじゃない」
そう、夏休みだったあの日、私と浜田くんはお花係の当番で、花壇の水やりをしに学校へ行っていた。
作業を終え教室に戻ったとき、ずっと入院していたキイちゃんの姿を見付け、私は嬉しくなって「キイちゃん?」と声を掛けたのだけど。
確かにキイちゃんは、驚いた顔をしてこちらを見たのに。浜田くんが入ってくるなり、逃げるように教室を出て行ってしまって。
あのとき浜田くんにはキイちゃんが見えていず、それでもキイちゃんの後を追おうとする私を心配して、付いて来てくれたのだった。
「実はオレも最近、同じ夢、見たんだ」
あの日、起きたことを思い返していると、耳元で蚊の泣くような声がした。
「やっぱりね。だって、キイちゃん言ってたもん。浜田くんにはもう、伝えてあるからって」
「やめてくれよ。そんな冗談……」
おや? 小学生のままの、気の弱い浜田くん発見。オカルト嫌いのデブっちょ浜田は、言葉を継がずにはいられない。
「あのさ、同じ時期に同じ夢、見ることだって、あるんじゃない? 偶然だよ、そんなの。偶然に決まってるよ」
あれれ、自分自身に言い聞かせてない?
「ごめん、偶然じゃないんだ。あのね、私いまスピリチュアル・ヒーラーっていう職業に就いててね。ほら、私、人には見えないはずのモノが見えちゃう体質じゃない? だからそれを生かして、苦しんでる人のお手伝いができないかなと思って。だからね、キイちゃんみたいな別次元の存在とも、話するのは慣れてるの」
さらなる、沈黙。
「マジかよ?」
ささやくような声も、私は聞き逃さなかった。
「うん、マジ。だから私、キイちゃんが言ってるのが本当のことだって、よぅく分るんだ。これって、あの駅がいま、あるかないかの問題じゃないの。あろうとなかろうと私たち、あそこに行かなきゃならないってことなの。分ってもらえるかな?」
浜田くんは、言葉を失っていた。それはそうだ、いきなりこんなことを言われれば、誰だって面食らう。
「どうして、行かなきゃいけないわけ?」
ところが浜田くんが苦し紛れに発した疑問に、こんどは私が言葉に詰まった。
「詳しくは分らない。でも『助けて』って言ってたから、キイちゃんに何らかの危機が迫ってるんだと思う」
理由については詳しく話したがらないキイちゃんを、私はあまり問い詰めなかった。ところが歯切れの悪い私の言葉を受け、浜田くんが勢いに乗る。
「駅があろうとなかろうと、って、じゃあどうやって行けばいいんだよ? 入口が突然、現れるとでも言うの?」
そんなこと私も、行ってみないと分らない。
「私のこと、信じてもらえないかな? 学校のあった場所から歩けば、入口は必ず見付かるはずだから」
私たちが通っていた学校はすでに、廃校になってしまっていた。けれど、夏休みのあの日に歩いた裏門から続く道をたどれば、自然と導かれるはずだ。
「けどあの辺り、だいぶ変わっちゃってるぜ。それにオレ、いま猛烈に忙しいんだよ。実は親父の会社、外資に買収されそうでさ」
ごめん、それもキイちゃんから聞いてる。
「あのね、浜田くん。信じられないだろうけど、その件、今週中には決着するみたい。だから、無事に終わったらでいいから、土曜日の朝八時に学校のあった場所に来て。あたしたち二人そろって、行かなきゃいけないみたいなの」
「今週中に決着する? どういうこと、それ?」
浜田くんは明らかに、ムッとした様子で聞いてきた。
「ごめん、説明はできない。いまは、冗談半分で聞いといてくれればいいわ。でも、もし私の言うとおりになったら、お願い。来てくれるって、約束して」
こんな荒唐無稽な話、信じるほうがどうかしている。だけど、それでもお願い、信じて浜田くん。
「分ったよ、相原さんが言ってるようになったら、行くよ。土曜の朝八時ね」
ひとしきり考えた後、浜田くんはそう、明言した。
「ありがとう!」
仕事がんばって、と言って電話を切った。がんばろうが、がんばるまいが、結果は同じだろうけれど。