脱・自動処理システム
いまの私の課題は、これまで黙々と付き従ってきた古い自動処理システムを、ひとつずつ地道に解除してゆくこと。
ということで、改めて自分の内側を見直してみると。
特に“不安”という感情に、凍りついてしまいがちなことに気付いた。
“不安”が生まれると、いち早くそれにフォーカスしてしまい、三次元へと引き戻される。
この視点の移動は瞬間的なもので、たちまち近視眼的な状態に切り替わる。
そうなると、これまでの私は動きを封じられ、動けない自分を責め…という悪しきループにハマってしまっていた。
でも一年あまり改善に取り組んできて、自分を観察する目を持てるようになったいまの私は、ここで「おや、私、三次元に引き戻されてるぞ」と気付けるようになった。
気付いて、自分の中を精査してみるとたいがい、身体が独特な緊張状態に陥っている。
背中と首がやけに重く、上方から見えない手によって、押さえつけられている感じ。
呼吸が浅くなり、小刻みに肩が揺れることによる、視界のブレ。
これが“不安”が生じたときの、私の体感だ。
この体感が起こると、迷わず「何もしない」という選択を取るよう、私の中に自動処理システムがいまもはたらいてしまっている。
それが分ったところで、カウンセラーに教わった秘策、「逆のことをする」を実行する。
「何もしないこと」の逆は、そんなときこそ「行動する」ってこと。
私の目標は自由にクリエイティビティを発揮できるようになることなので、ここで言う“行動”とは、すなわち“クリエイティブなことをする”に他ならない。
ただし、いきなり大それたことを考えるのではなく、最もハードルの低いことを選択するのがコツだ。
「動けない」と感じつつ動く最初の時点では少なからずエネルギーがいるが、簡単なことであればあるほど、すぐに夢中になれるから。
そうやって昨日もどうにか、満足して一日を終えることができた。
こういう日を少しでも多く持つことが、自動処理システムを弱体化し、ひいては機能させなくすることにつながるのだと思う。
またひとつ、自分の特性に対する対処のしかたを学ぶことができた。
ちなみにいま、書いてて思ったのだけれど。
もう十年以上も前から、半年に一回ほどの割合でやってくる背中と首の痛みも、もしかしたら“不安”が原因かもしれない。
だとしたら、上手に不安と折り合えるようになれば、痛みにわずらわされることもなくなるってことだ。
やはり、こころと身体はつながってるんだなぁ…。
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