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イジゲンメトロ -12

 電車が闇の向こうに完全に消えてしまってから、私は浜田くん元へと戻り始めた。長くて暗い階段も、浮き立つ私の気持ちを静めることはできない。足早に上り切る手前で、またあの重い音とともに階下の明かりが消える。

 私はこころの中で、恐らくもう二度と来ることはないだろうホームの様子を、最後にもういちど思い描いた。

 浜田くんは穏やかな寝息を立てながら、まだ寝入っていた。その顔をのぞき込んだとき、別の何かと溶け合うような、何とも言えない違和感を感じた。そして次の瞬間、自分の身体が勝手に動き出すのを見て、驚く。

「浜田くん、起きてよ」

 あの夏の日の私だと、すぐに分った。ひとつの身体に、二人入ってる?

 混乱を覚えたのは、ほんの一瞬だけだった。なぜなら子供の私が、ちょっとした冒険にワクワクしているのが伝わってきたからだ。何だかくすぐったいみたいに嬉しくて、私は笑顔を押し殺した。

「ねえってば、浜田くん。キイちゃん、電車に乗って行っちゃったよ。ねぇ、どうしちゃったの? なんで、寝ちゃったのよ?」

 そうか、私はキイちゃんを追い掛けるのに夢中で、浜田くんの身に何が起きたのか見ていないんだった。

 凄まじい音に耳を覆い、振り返ってみたらすでに、浜田くんは倒れていた。それを見て慌てて引き返し、浜田くんが生きているのを確かめてから、私は改めてキイちゃんを追ってホームに降りた。

 だからキイちゃんを見付けたときにはもう、ドアは閉まり掛けていて、直接話すことはできなかった。

「あ、分った。キイちゃんあのとき、『ありがとう』って言ったんだ」

 子供の私が、突然、思い出したように言った。ああ、そうだ。ドア越しにキイちゃん、確かに何か言っていた。一言、一言、ゆっくりと。

「あ、り、が、と、う」と……。どうして私、忘れていたんだろう?

 子供の私は、その場面を頭の中に再現するように、一点を見つめている。
 すると、気付いたのか、浜田くんが身を起こした。

「あれ、相原さん?」

 目をこすりながら、寝ぼけた様子でつぶやく。けれど私は、その耳がぽっと赤くなるのを見逃さなかった。キイちゃんの言っていたとおりだ、びっくり。

 けれど子供の私はそんなことに気付く素振りも見せず、「聞いて、聞いて」と、たったいま見てきたことを興奮気味に話し始めている。そうだ、このときの私はまだ、キイちゃんの身に何が起きたか知らなかったんだ。

 この後、家に帰ってはじめて、ママから聞かされる。神妙な面持ちで「昨夜、キイちゃんが亡くなったそうよ」と。

 私はすぐに、「ウソだぁ」と言い返した。「だってたったいま、地下鉄に……」そこまで口にしたところで、すべてを理解した。そして多分、無意識のうちに、ホームでの記憶を封印することに決めたんだ。

 子供の私はすべて話し終えてしまうと、満足したようだった。浜田くんも、どうして自分がここにいるのか、思い出したようだ。

「さ、キイちゃんは行っちゃったし。私たちも、帰ろ」

 子供の私は浜田くんに手を貸し、立ち上がらせた。それを目にして、急に不安がわいてくる。え? 私たち、どうなるの? 大人の、私たちは?

 それでも身体を動かしているのは子供の私なので、どうすることもできなかった。このまま、様子を見るしかなさそうだ。

 私と浜田くんは、ゆっくりと来た道を戻り始めた。その途中の道でも、しゃべっているのは、もっぱら私だった。学校ではじめてキイちゃんを見付けたときにまでさかのぼって、冒険の顛末を振り返っている。

 地上へと続く階段へ出た。足元が暗いなか、二人は自然と手をつなぎ、注意深く上ってゆく。やがて、外の明かりが足元にもこぼれ始めると、二人の足取りもしっかりしたものになっていった。

 外はまだ、明るかった。ここに来てから、いったいどれくらいの時間が経過したのだろう。

 しばらく歩き、角を曲がる。

 その瞬間、浜田くんと私は大人になっていた。振り向くと、不思議そうな顔をして、子供の私がこちらを見上げている。けれどすぐに浜田くんの背中を叩き、駆け出した。

「行こう、ママが待ってるかも」

 私は帰り道が分るか、ちょっと心配になった。けれど、子供の私を追って走り始めた、子供の浜田くんを見てそのまま行かせることにした。きっと彼がいれば、大丈夫だろう。

「あれ? オレたち、どうしたんだっけ?」

 聞かれ、私は大人の浜田くんを振り返る。そうだ、こっちの浜田くんには、何が何だかわけが分らないはずだ。

「うん、もう、みんな終わった。お疲れさま」

 私は吹き出しそうになるのをこらえ、言った。そして、来た道を戻り始める。

「え? そうなの? だって、ほら。着いてまだ、数分しか経ってないよ」

 私は、それを聞き、思わず足を止めた。そうか、本当に時間って幻想なんだ。いや、別の次元に移って、別の時間を過ごしてたのかな。そんなことを思いつつ、また歩き始める。

「よく分らないけど、まぁ、いいや。ねぇ、よかったらメシでも、一緒にどう?」

 そう言われると、私はすぐに振り返り、浜田くんの耳に注目した。そしてそれが、ぽっと赤くなるのを、しっかりと目撃した。

 ふーん。まぁ、いいか。

「そうねぇ、イタリアンならいいかな」

「まだ、朝の九時だけどね」と、浜田くんが笑う。

 キイちゃんのおかげで、何か新しい展開が、始まりそうな予感がした。

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