執着とは?
100日間チャレンジ(いまでは110日間)の、31日目。
いやぁ、なんかホントに、カオスな状況になってきてますねぇ。
何がホントで、何がウソなのか、私にもまったく分りません。
なので、この時期大切なのは、いかに一喜一憂しないでいられるか?ですよねぇ。
私はもう、ありとあらゆることが、フィクションだと思うようにしてます。
そう思って見てると、気になるものだけに目が止まるようになるんですよ。
で、気になったものは、自然と記憶に残りますから。
リンクするピースが来れば、勝手につながって、形になっていきます。
なので、情報入力は流し見、流し読みで十分。
「全部読まなきゃ」「しっかり理解しなきゃ」などと、前の私みたいに、執着したって真偽は不明なままですから。
なるべくおおらかに、エネルギーを温存した情報収集を心がけましょう。
ってなことで、今日の本題に入りますが。
私いま、3年半のカウンセリングを経て、だいぶ成果が出てきていて。
これまではできなかったことがいろいろ、できるようになってきてます。
たとえば、そうだなぁ、人に対して「自分の価値観を押し付けない」とか。
これはねぇ、子ども時代に家族たちから当たりまえのように日々されてきたので、残念ながら私にも「して当たりまえのこと」としてインストールされちゃってるんですよねぇ。
ところが、カウンセリングで気付かされる前までは、やらずに過ごした経験は皆無だったので。
できるようになるとは、とても思えなかったんですよ。
だって、ホントに恥ずかしながら「しない自分」なんて、まったく想像できませんでしたから。
でもねぇ、ある日気付いたら、いつの間にかできるようになってた。
「あれ、私できてない?」って感じで、気が付いて。
特別それに対して、気を付けてきたこともなかったのに。
「どうしてだろう?」って、とっても不思議でした。
で、深掘りしてみた結果…。
あらゆることに対し「執着」がなくなってきたからだって、気付きました。
たとえば例に出した価値観の押し付けで言えば、「こういう自分であらねばならぬ」っていう執着がなくなってきたから。
だって、これってまさに自分に対する価値観の押し付けでしょ?
言ってみれば亡くなった親の代わりに、私自身に対して「こうありなさいっ!」って親の価値観を、押し付け続けてきたわけです。
でもカウンセリングによって執着が緩んできて「人間らしい私もアリ」って思えるようになったら…。
自然と、自分に押し付けなくなって。
自分に対して、押し付けなくなったら…。
これまた自然と、人に対しても押し付けなくなってた。
「あ、違うんだね、分った」って、ごくフツーに受け取れるようになってたんです。
つまり私たち、自分に対してオンにしている執着を知らずしらず、人に対しても適用しちゃってるんですよねぇ。
執着っていうのはつまり、7歳までに近くにいた大人たちの、主に言葉によって形作られた脳神経の回路です。
特に私の親のように幼い子どもに対して「こうしなさい」あるいは「こうしちゃダメ」って、言葉によって管理しようとする親に育てられた人たちは。
親から言われたこと、されたことを、大人になるとそのまま無意識に自分に対してやってしまってるわけです。
これはもう、どうやらそういったモノらしいので。
こころ当たりのある人はぜひ、どんな自分も認めてあげて、執着を緩めていってください。
ホント自分を認めるって、生きてくコツの「基本のキ」なんですよねぇ。
せっかく、この自分で生まれてきたんだから、ありのままで生きてれば。
人生って自然と、うまく循環し始めるものなんだと思います。
もちろん私も、つい今しがたできるようになってきたばっかりなので。
まだまだ、これからの自分にワクワクしてるところではありますが…。
では、今日はここまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。