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欠けていた認識
私の中に欠落していた、重要なピースを見付けた。
それは、
誰もがみな、唯一無二の個性を持った、尊重されるべき存在である
ということ。
至極、当たりまえに感じるかもしれないけれど、基礎部分にこれがないと“自分”という概念が安定しない。
なぜなら「私は他の誰とも違う、唯一無二の個性を持っている」という認識がなければ、自分を大事にできないし。
逆に「誰もが尊重されて然るべき存在である」という認識がなければ、自己主張ばかり強くなってしまう。
つまりこの認識は、誰しものアイデンティティの土台を担っているはずのものだと言える。
恐らくは幼いころに、親や兄弟、友だちなどとの関わりから自然と身に付けてゆくものなのだろう。
ところが、残念ながら私の中にはこれが育たなかった。
だから、これまでの私は常に、自我が不安定な状態だったのだと思う。
“わたし”という存在を、自分の中で、うまく位置づけることができずにきたわけだ。
そのため、一方で自分が認められず、常に責める理由をサーチしては、ことあるごとに自己否定をくり返し…。
そのまた一方で「こんな私が人から認められるはずがない」という思い込みから、「いずれ拒絶されるはず」という前提のもとで人と関わっていた。
さらに、私の中にはずっと「私の考えることはみな、誰もが考えている、取るに足りないものだ」という認識もあった。
こんな状態で、うまく生きられるはずがない。
結果、友だちもつくれず、組織の中でもうまく立ち回れずに。
常に孤立し、不幸とまではいかないものの、社会的に見れば決して成功者とは言えない人生を送ってきた。
それもこれも、たったひとつの“認識の欠如”から来ていたとは…。
さすがに、絶句せざるを得ない。
それでも、このトシになってようやく気付くことができたのだから、これからは忘れることがないよう、頭に刻み付けておきたい。
そして、これまでのように自分を痛めつけるのではなく、他者をコントロールしようとするのでもなく。
自分も人も、同じように尊重して、生きてゆきたいと思う。