イジゲンメトロ -5
そこは、車がやっと一台通れるくらいの、細い道だった。面した家々に昔のたたずまいはまったくなく、外観がどれもいっしょの建売住宅や、低層の集合住宅ばかりが密集して建っている。
その中を私は、ゆっくりと歩いた。どこに向かえばいいのかは、分っていた。いや、頭で分っているのとは、ちょっと違う。あの日の記憶と照らし合わせようとしたところで、仕方がないことは明らかだったから。
その代わり私は全神経を集中し、何らかのサインを感じ取ろうとしていた。こういうときは感覚に頼るのが、いちばんの近道だ。そうすれば、必要な情報は直感となって現れてくれる。
「ホントにこっちで、いいんだっけ?」
聞くでもなくささやいた浜田くんの言葉に、集中を乱された。
「いいから、黙って付いてきて」
口にしてから、しまったと思った。こんなふうに集中しているときに話し掛けられると、つい口調が厳しくなってしまうことがあった。仕事でも、はじめてのお客さまに、たまに驚かれたりする。
見ると浜田くんは、口をとがらせていた。
「ごめん、悪気があったわけじゃないの」
私は一応、謝っておいた。でもいまは、そんなことに構ってはいられない。さっきから、一歩進むごとにエネルギーが強まってきているのを感じていたからだ。
それ以降、浜田くんが声を掛けてくることはなかった。途中、何回か角を曲がり、私はエネルギーに導かれるままに進んだ。確かにはたから見れば、行き当たりばったりに歩いているように見えるかもしれない。
それでも私は、つゆほども疑いを抱いていなかった。かつてこの感覚を信じて、裏切られたことはない。
どれくらい歩いただろう、太い幹線道路に出た途端、けたたましい金属音が響き始めた。右手を見ると、すぐそこの踏切に遮断機が下りつつある。
「あ、オレここ、覚えてる。踏切の向こうのあのでっかい建物、宅配便の集配センターだ。確かにあそこの前、通ったよ、あの日」
集配センター、私は頭の中でくり返した。エネルギーは間違いなく、あちらに向って強まっている。私は迷わず、右手に進路を取った。
「やっぱりこっちだ」と、浜田くんは満足そうに言った。
私は何も答えず、踏切の前まで進むと、スマートフォンの地図アプリに目を落とした。
いま私たちがいる私鉄の踏切と、地下鉄の終着駅との位置関係はこう。さらにそこから一駅ぶんの線路が延びていると仮定すると、例の駅はこの集配センターを越えた、向こう側だろうと見当を付ける。
そうしているうちに、踏切が開いた。私は再び目を上げ、歩き出す。車がみな走り過ぎると、耳の中に自分の心臓の音が響いた。もう、近くまで来ているようだ。
けれど集配センターの敷地は広く、歩いても歩いても端が見えてこなかった。それでも着実に、エネルギーは強まっている。
ようやく角にたどり着くと、私は強烈な耳鳴りに襲われ、足を止めた。両耳に手を当て、目を閉じる。熱のように皮膚を刺激するエネルギーは、まるで呼吸するかのように強まったり弱まったりをくり返していた。
間違いない、あの角を右に曲がったところだ。
「どうかした?」
浜田くんが心配して、声を掛けてきた。私は長く息を吐き、目を開けながら振り返った。
「ううん。もう、すぐそこよ」
すると、浜田くんもうなずく。「ああ、あそこの角を右、でしょ?」
「よく覚えてるわね?」私は驚いた。
「はじめて来たから、新鮮だったんだ。それにこの集配センターの壁、あの日のまんまだよ」
あの日のまんま、という言葉が、象徴的に耳に残った。あの日の私は、キイちゃんを見失わないようにと神経をとがらせていたので、周りの風景などまったく目に入っていなかった。
「行きましょ」
私は再び、歩を進めた。角を曲がるとき、ほんの少しだけ、目に見えない抵抗を感じた。もしかすると、ここを曲がったところから、別の時空が始まるのかもしれない。振り返ると浜田くんは、すずしい顔で付いて来ていた。どうやら何も、感じていないようだ。
思った通り、角を曲がるとスッと抵抗は消えた。その瞬間、目の前に元気そうなキイちゃんがいた。目が合うと満足そうな笑みを浮かべ、こくりと頷く。事前の打ち合わせ通り、それを合図に私は声を上げた。
「あ、キイちゃん」
聞き慣れた自分の声より、ずっと幼い声が耳に届く。
「え? 相原さん、大丈夫?」
やはり声変わり前の少年の声に振り返ると、そこには間違いなく〝デブっちょ浜田〟がいた。そのまま視線を下げ、自分のことも確かめる。
二人とも確かに、小学生に戻っていたーー。