イジゲンメトロ -8
「いないねぇ、田代……」
階段の影になっているところをのぞき込みながら、浜田くんが言った。そう、目の前で消えちゃったのよ、困ったことに。下の階へと続く階段を見下ろしながら、私も言う。
「この下がホームだと思うけど、真っ暗。これじゃ先に、進めないね」
前に来たときには、ホームに灯りは点いていた。それは、間違いない。でもいまは、下方からの光はまったくなかった。完全な、真っ暗闇だ。
と、そのとき少し先の暗がりで何かが動いた気配がした。そして次の瞬間、声がする。
「浜田、なのか?」
この声、聞いたことある。そう思った。けれど、誰の声だったか思い出せない。
「誰?」
思わずつぶやき、私は知らずしらず影のほうに近付いていた。途中でわずかな抵抗を感じたが、気に止めず階段を降りる。そのとき突然、背後で『バチッ!』と、耳をつんざくような音がした。
驚いて振り向くと、浜田くんが背中からもんどり打って倒れるところだった。
と、こんどは階段の下方から「浜田っ!」と叫び声が聞こえ、すぐ脇を誰かが走り抜けて行った。
私は何がなんだかわけが分らず、混乱していた。しばらくして、ハッと気付く。そうか浜田くん、時空の壁に触って、はじき飛ばされちゃったのかもしれない。
こちらに背を向けた男が、浜田くんの前にひざまずこうとしている。私は、慌てて駆け寄った。そして横顔をのぞき込み、息を呑んだ。「多嶋先生……」
「何があった、ミズキ?」
五年生当時、私たちのクラス担任だった多嶋は、こちらに顔だけを向け聞いてきた。その真剣さに押され、答えに詰まる。まさか、次元の壁にはじかれたとは言えない。仕方なく『分らない』というように、首を横に振っておいた。
「そうだよな、お前、見てなかったもんな。お前を追って階段を降りようとしたとき、いきなり後ろに吹っ飛ばされたんだよ、こいつ」
やっぱり浜田くん、次元の壁に触れたんだ。でも、さっきは大丈夫だったのに、なぜ?
それにしても、どうしてこんなところに、多嶋先生がいるの? 私は完全に、混乱の中に舞い戻っていた。でも、浜田くんとキイちゃん、そして私。三人とも、多嶋先生のクラスだったことを考えると、これが偶然とはとても思えなかった。
「たぶん、気を失ってるだけだと思うけど。このまま、様子を見るしかないな」
多嶋先生は浜田くんに触れようと、ゆっくりと手を伸ばした。が、その手は頭をすり抜けてしまう。
ーーウソでしょ、多嶋先生、死んでる?
そうだ、キイちゃんもそうだった。この駅は、死者のための駅なんだ。ここに来る電車は、死者を運ぶためのもの? だとすると先生も、電車に乗るためにここに来たのだろうか。
でも……、と考える。だとしたら、私がここに呼ばれたのはなぜ?
しばらく考えていたが、一番手っ取り早いのは、本人に直接聞くことだと覚悟を決める。
「もしかして先生、死んじゃったの?」
私は前置きなしに、ゆっくりと切り出した。先生は驚いた表情で、振り向く。目が合ってしばらくのあいだ、二人とも微動だにしなかった。
やがて先生は、あきらめたようにうなだれる。
「ああ」
そう言って先生は、浜田くんに触れられなかった右手をじっと見つめた。
「どうして?」
すかさず聞くと、先生はふっと、息を吐き出した。
「なつかしいな、なぜなぜ星人ミズキ」
思い出した。私にそのあだ名つけたの、多嶋先生だ。確か理科の実験で何回か続けて質問したとき、先生がそう呼んで、私を指したんだ。
「飛び降りた。学校の屋上から」
なつかしい光景から強引に引き戻され、私はぎょっとした。え、自殺?
どうして?
私はその言葉を、すんでのところで飲み込んだ。