棲み分けしたい…
いやぁ、石破さんが総裁に選ばれた瞬間の市場の動き、すごかったですねぇ。
そもそも私、どうせ長くは続かない(であろう)今回の総裁選挙に、まったく興味なかったし。
みなさんそうだと思いますけど、まさか石破さんに決まるなんて考えもしなかったので。
突如、訪れたフリーフォール祭りに、完全に出遅れてしまい…。
出掛けた帰りの電車の中で、ムッチャ盛り上がってるXを見て「私も混ざりたかったなぁ」と残念に思いました。
やっぱりQプランは予想のナナメ上、軽く越えてきますよねぇ。
ここから先、いったいどうなってくんだろう?
というか、このマンガみたいな展開のおかしさに、どうしてみんな気付かないんだろ?
さて、先日はカン違いして間違ったことを書いてしまって、申し訳ありませんでした。
ただねぇ、間違えたことはこころの底から申し訳なかったと思うんですけど。
ホントここまできて、まだほっとんどの人たちが永遠の日常を生きてるって、改めてなんかやるせないなぁって思っちゃうんですよ。
世の中のおかしさに気付いてる人たちにしても、どんどん先へ先へと行ってる国のニュースを見て「日本も早く」とか「頼れるリーダーがいなくて情けない」とか。
結局、自分の内側じゃなくて、外側に「やってくれる誰か」を見付けようとしちゃってる人がすごく多い印象がある。
つまり自分の内面を見つめるっていう作業をしてない人が、残念ながらこの日本では、ほっとんどなんですよねぇ。
いや私もね、コロナ以降の目覚めのエネルギーの力を借りて、どうにか最近になってできるようになってきたクチなんですけど。
ホント自分の身の周りを見ていても、子どものときに親から引き継いだお仕着せの価値観を、後生大事に持ち続けてる人が大多数。
まぁね、私も数年前まではそうだったので、エラそうなことは言えないんですけど。
それだって、コロナが始まってから、もう五年も経つわけですよ。
なのに、目覚めの後押しのエネルギーが地球へと降り注いでいたこの五年間まったく変化せず、執着という名の箱の中に自分を閉じ込め続けてきた人ばーーーっかり。
どういうことかというと、ちょっと「おかしくない?」と感じたとしても、その違和感を持ち続けていられないわけですよ。
周りの人見ててホント思うんだけど、あまりにものごとに対して反応的すぎて、自分がしてることにすら無自覚。
そんな人がたとえ違和感を感じられたとしても結局、箱のサイズに見合った判断しかできないから、そこに収まり切らないものは無意識に置き去りにしてっちゃうんです。
そうなると、ついさっきのことであっても、きれいサッパリ記憶からデリートされちゃう。
もしも他者が、箱のサイズを越えた概念を持ち込もうとした日にゃあ「そんなこと、あるわけないだろ!」って、攻撃しようとさえする。
いや私、別にそういう人を否定したいわけじゃないんですけど。
そういう人たちがゴチャっと集まった都心近辺に身を置くのは正直、苦痛になってきました。
まぁもちろん田舎に行っても、目覚めた人ばっかりってわけじゃないでしょうけど。
少なくとも、周波数の開きが大きすぎる人たちと、密接しなくちゃいけない環境ではないと思うんです。
ある程度、距離を取って生活していられて、しかも日常的に自然に触れることができれば。
それだけで気分も、だいぶ違ってくるんじゃないかなぁ。
それとついこないだ自覚したばかりなんですけど、やっぱり私、周囲の人に目覚めをうながす役割があるらしく。
しかもなぜか周りの人から一目置かれ、すでに助言される相手もいないような立場の人に、あえて物申すみたいなことさせられることが多いので。
この役割を果たすためには、周波数が違う人たちに囲まれて生きることでエネルギーを消費してる場合じゃないって、気付いちゃったんですよねぇ。
なのでこのままかぶり付きで引っくり返りを経験したら、とっとと拠点を移したいって気持ちが、ますます高まってきています。
そんなわけで、今日はここまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。
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