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生まれ持った、私の“ツール”

この場所に、こんなことを書くのは恥ずかしいんだけれど。

これまで私、ずぅ〜っと疑ってきた。

「果たして私は本当に、物語を書いたり、ものをつくったりする才能があるんだろうか?」と…。

残念ながら、これもたぶん、子供のころの影響で。

家の中で、“否定される役割”を負っていた私は。

親から受け入れられるという、当たりまえの体験がまったくできず。

さらに、その日あった楽しかったことを話そうとすると、必ず親からチクリ!と痛いことを言われたので。

好きなことほど「見付かっちゃいけない」と、こころの奥の奥に仕舞い込んできた。

だから__。

何より大切だったからこそ、自分の“クリエイティビティ”を信じることが、どうしてもできなかった。

常に四六時中、疑っていた。

超自我もそれをよく知っていて、絶えず、痛いところを突いてきた。

「お前に、才能なんてあるもんか」と。

なるほど、人からの評価を狂おしく求めてきたのも、そのせいだったのか。

超自我のつぶやきを、第三者に否定してほしかったんだ。

いつもの、やりたいのにできない、“動けない感覚”も。

人からの評価ありきで、動いてたから。

なんかホント、メンタルブロックって、子供のころのまんまの思考なんだなぁ。

でも私、自分に才能があるかどうかはわからないけど…。

自分が“クリエイティビティ”ってツールを持って生まれてきたのだけは、はっきりとわかった。

だから、何かつくりたくなって当たりまえだし。

何か、書きたくなって当たりまえ。

だってそれが私にとっての、“生きる”なんだから。

あらかじめ決めてきた“設定”には、どうやっても抗えないので。

しょうがない、あきらめよう。

私はこれから、自分の“才能”を信じるんじゃなくって。

自分の“衝動”を信じる。

つくりたい、書きたい“思い”を信じる。

そして…。

やりたいことを、やりたいときに、やりたいように、やる。

誰に、なんと言われようと。

超自我に、チクチクされようと。

死ぬまでずっと、目の前の“やりたい”に夢中でいてやることにした。

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