これからの世界
100日間チャレンジ(いまでは110日間)の、26日目。
いよいよ復活祭の朝がやって来ました。
まぁ私は無宗教で、クリスチャンでも何でもないので関係ないけど。
いま、黙示録の記述に沿って話が進んでいってるのでね。
知るだけは、知っておいたほうが理解しやすいのかなぁ、と。
でも、昨日書いたことなんてかなりブッ飛んでて、理解できない人にとってはマジで頭おかしいとしか思えないだろうなぁ。
とはいえ私、マイノリティで生きてく覚悟を持つために、この100日間チャレンジをしてるので。
まぁ、ちょうどいいのかなぁと思ってます。
「そうです、私、アタオカなんです」って、胸張って言えるようになるぞ。
さて、今日は何を書こうかなぁ?
とりあえず「書きます!」って宣言したことは、みんな書いたような気がするので。
今日はこの先、どんなふうに世の中が変わっていくのか書いてみようかな。
まぁこれまではモノの時代だったわけですよね、お金を始めとしたモノをたくさん持つ人が成功者で、持ってない私なんかは敗残者だった。
完全なタテ社会で、会社や学校など所属する先のローカルルールに従って生きることを是とし、「右へならえ」「長いものに巻かれる」が正しいとされてきた。
ひとことで言えば、私たちの「個性」を奪おうとする社会の中で生きざるを得なかったわけです。
だって、そうでしょ?私たち一人ひとり、まったく違った個性を持っているはずなのに。
モノにしか価値を見出だせないように、子どもの頃からしつけられてきた。
そしてねぇ、特にイタイなぁと思うのは、常に「不足」を印象づけるよう仕向けられてたことですよねぇ。
まぁ、私も以前、つくる側に身を置いてたのでエラそうなことは言えないんですけど…。
どこを見ても広告ばっかで「ほしいけど買えない」ものを見せ付けられると、「持てない私はダメ」って意識をどうしたって持っちゃうでしょ?
さらに「手に入れたモノは放すな」って考えかたもまた、イタイ。
これ、こないだも言いましたけど、脳の特性に沿った誘導なんですよ。
現代人の脳は、子どものときにできた神経回路の中だけで処理しようとする、オートマチック運転になっているので。
エネルギー消費を抑えるため、「変わること」を恐れるような仕組みにつくられちゃってる。
そのために、私たち本来のあり方である「循環」を奪われてしまってるわけですよ。
都市生活者たちの住む家が、その象徴ですよねぇ。
コンクリートで四方を囲まれ、窓を締め切ってしまえば空気は循環しない。
新鮮な空気が入ってこない。
自然の中では常に、空気は入れ替わり続けているのに…。
ということで、これからひっくり返りが起こったら、その正反対の社会が実現するはずです。
誰もがお金を始めとする「不足」の呪縛から自由になると。
当然、モノへの執着も、徐々に薄れてくる。
そうなれば私たち一人ひとりがそれぞれの「個性」を元に、その人独自の幸せを求めるようになりますから、ようやく多様性に基づいた社会ができる。
引っくり返りとともに、さまざまなテクノロジーも解禁になるそうなので、AIにできることはおまかせして。
誰もが自分だけの価値観に基づいた「やりたいこと」ができるようになると、これまでのような疲労感ではなく、やりがいやワクワク感に取り巻かれた社会になってゆくので。
まず、みんな健康になってくんじゃないかなぁと、私は思います。
いまみたいに、身の周りがケミカルで微細な粒子であふれ返るような環境でも、なくなっていくだろうしね。
で、身体が健康になってけば当然、こころだって健全になってくはずなんですよ。
こころに余裕が生まれるはずなので、みんなおおらかになっていって、たいがいのことは許せるようになってくる。
数が決まったモノを取り合うみたいなこともなくなるので、互いを尊重できるようになってくる。
まぁ、いまみたいに、ガツガツしたところがなくなってくるっていうかな。
そうするときっと、所有っていう概念も、意識の中で薄まってゆくと思うんですよ。
たとえば縄文時代、土地っていうのは地球のものだった。
だから、人々にとって日常を送る場所は、地球からの借り物であって。
自分のモノだなんて、思ってなかったんです。
だから、その場所にこだわることもなかったし、人と分かち合うこともフツーにできた。
分りますかねぇ?「所有しない」から、循環するんです。
人は入れ替わっても、誰もが地球に感謝して土地を使い、そこで採れた作物をありがたくいただくことができる。
もちろん、そこまで一気に引っくり返ることはないにしても。
徐々に、人々の価値観はそっち方向へ行くことになるのだろうと、私は思っています。
「お金」もそう、モノ時代の象徴だったお金からも、時間は掛かるかもしれないけど徐々に卒業する方向に向かってく。
つまり、より私たちのありかたに沿った時代になってゆくということです。
なので、いつまでも所有することに執着さえしなければ、誰にとってもよい時代になるんじゃないかなぁと思うんですが、いかがでしょうか?
では、もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。