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考えかたのクセ
かつて頭の中にあふれ返っていた“思考”に、だいぶ影響されなくなってきた。
それだけで、日常がすごぉくラク。
思考って地中に溜まったガスみたいなものだから、ふとした拍子に湧いてくることはもちろん、あるんだけど。
思考まみれになってしまうのは、自然発生した思考をつかまえては、自分自身でふくらましてしまうからで。
やり過ごしてしまえるようにさえなれば、思考って勝手に消えてってくれるから、わずらわされることはほとんどなくなる。
でもなぜか私たち、大人になったときにはほぼ例外なく、思考が起きるとすかさずつかまえに行くクセが付いてしまってるのよね。
で、おもしろいなぁと思うのは。
つかまえたのがどんな思考であれ、ふくらましかたは常に、型にはまっていること。
そのせいで結局、毎日毎日、似通ったことをグルグルと思考し続けてしまうわけ。
入り口は違っても、入り込むループはいくつかしかないから、毎度毎度いっしょになってしまうってことよね。
気が付くといつも同じことを考えてしまっているのは、そのせい。
このループこそが、“考えかたのクセ”ってヤツですよ。
常に常に、思考が起きるたびに強化し続けているので、何かものごとが起きたときも、無理くりにでもいつものループに持っていっちゃうわけ。
つまりどんなことが起ころうと、それによって生まれる思考は、ほんのいくつかのループの中でしか展開しないってこと。
ホントついこの間までの自分を思い返してみると、本来であればうれしいはずの出来事でさえも、いつものネガティブループに持ってってたからね。
これって、考えてみるとすごい危険なことだよね。
いつも同じ脳の部位しか使わないってことだから、使わない脳も固定されちゃって。
そうするときっと、そこに供給されるはずの血流が滞っちゃったりするんだろうから。
使ってない筋肉と同じように、ハリがなくなって、ダラーンと垂れ下がっちゃうんだろうな。
いや、ただの想像だけど…。
なので、入ってきた思考をやり過ごすクセを付けることは。
自分の中に思考の多様性を形づくる、遠因にもなるってこと。
いいことばっかりしかないよね、ホントに。