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孤独を楽しむ

いま大掃除に精を出しているので、日を追うごとに、身の周りがキレイになっていってるのですが。
それに比例して、背中や首に負担が溜まってきているのが分ります。
新しい年を迎えるにあたっての、気持ちの切り替えの意味を込めた大掃除という習慣は日本ならではのものらしいので、大事にしていきたい気持ちはあるものの。
年が明けて早々、首が痛くて起き上がれないなんて事態には、やはり陥りたくはないので。
湿布とお友達になりつつ、身体とよくよく相談して「できるところまでで満足」という感覚を、ここ数日で手に入れていきたいなぁと思っています。
ADHDはどうしても、執着してしまいやすいですからねぇ。
それを受け入れつつ、よろしくやれるようになるのが、年内に残されている最後の目標です。

さて、今日は少し「孤独」について考えてみようと思います。
私、特に今月に入ってから、外に出るのは買いものに行くときくらいで。
ずっと家にこもって、身の周りを整えることに夢中になっているのですが。
たぶんそれ、はたから見るとかな〜り孤独な状況なんだと思うんですよね。
で、そのことを以前の私であればきっと「情けないこと」とか、「カッコ悪いこと」として、とらえていたと思うんです。
いまになって振り返ると、以前の自分のメンタルの動きがよく分りますが、当時の私の中には「カッコ悪い自分は絶対に人には見せられない」という意識がかなぁり強くありましたから…。
“見せられない自分”があるとムチャクチャ、人の目が気になっちゃうんですよねぇ。
もう全意識、全神経を外側に向けて「誰にも気付かれないようにしなくては!」と、エマージェンシーシグナルを鳴り響かせちゃってました。
「だったら、誰とも接触しなきゃいいのに」と、いまとなっては思いますけど。
当時の私にしてみれば、カッコ悪さの原因が“孤独であること”ですから。
何とかしてカッコ悪い自分を隠したまま、誰かといっしょにいたいと思うわけです。
そうやって、わざわざ自分から進んで、自分を痛めつけていました。

でもいま、改めて思うのは…。
実は私、孤独には付きものとされている「さみしさ」というのは、感じたことがないんですよね。
というのも私、自分のやりたいことに夢中になって取り組んでいることが、何より大好きだからです。
そんなとき他の誰かといたら、ストレスになるだけですもんねぇ。
やっぱり一人で、自分の好きなようにやりたい。
つまり私、一人でいるのが好きなタイプの人なんです。
でも、そんな基本的なことすら、自分では把握できてなかった。
親に刷り込まれた「友達がいないのはダメな人」という価値観を頭から信じて、そうじゃない自分に対しダメ出しし続けてた。
「一人でいたい」のに、一方で「一人はカッコ悪い」と、自分を断罪して。
ここでも、アンビバレントをつくり出してた。
自分で好き好んで、傷だらけになってたわけです。

でも、いまは誰にはばかることなく、「一人が好き」と言えるようになったから。
とにかく私、今月に入ってから毎日が楽しくてしょうがなくて。
終りが見えてきたいま、これまで感じたことのない、満足感の中にいられているんですよねぇ。
しかもこれ、もう決して、なくすことないんですよ。
これからずっと、いっしょに生きていけるんです。
もう、それを考えただけで嬉しくなっちゃうくらい…。
かけがえのないものを、手に入れられたと思っています。

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
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では、楽しい一日を!

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