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リセットプログラム
なんか私、ちょっとボーッとしちゃってるっていうか。
気が緩んじゃって、なんにもしたくないっていうか…。
そうか、これまで私、安心できたためしがないので。
いまはじめて、経験してるのかもしれません。
人生、初の「安心」。
いやぁ、いいもんだなぁって思います。
そんなわけでなんか、書きたいことも特に見当らないんですけど。
昨日ちょっと感じたのは、大災害へ向けての序章がもう、あちこちで始まってるんだなぁってことです。
だって最近、道路が冠水してる映像とか、フツーによく見るようになってきましたもんねぇ。
それだけじゃなく、マンホールが水柱に吹き飛ばされる動画とか、竜巻で看板の残骸が電線に引っ掛かってる動画とか。
以前であれば、にわかには信じ難いような映像まで、日常の中にちょいちょい混ざるようになってきた。
私、この感じが来年に向けて、どんどんエスカレートしてくんじゃないかなって気がしてきました。
つまりねぇ、これもまたシステムチェンジの一環であり、私たちの常識や概念の書き換え過程なんですよ。
そうですねぇ、言ってみれば、地球ゲームのリセットボタンが押されたって感じかな?
それによってリセットプログラムがスタートして、来年まで掛けて徐々に、旧い文明が一掃されていくってイメージでしょうか。
これホント、スピリチュアリティが開いてないと大変ですよねぇ。
死ぬことを「恐い」としかとらえられてない人は、これから先、どんどん大変になってくと思う。
でもまぁ、日本人はその追い詰められた恐怖心の中でこそ、目覚められるってことなんでしょうねぇ。
とにかく、個々人の持つスピリチュアリティ(周波数って言い変えても可)によって、体験する現実がぜんぜん違うってことですよ。
周波数が低い人たちは、誰も彼もが「そんなことあるはずないだろ?」ってひと言で、自分の価値観に沿わないものは見ようともしなけりゃ感じようともしない。
だから永遠に「終わりのない日常」を生きてて、ある日突然、眼の前に未曾有の危機が出現するなんてことになっちゃう。
周波数の高い人に言わせれば「兆候は、ずっと前から見え隠れしてたじゃん」って感じなのに。
周波数の低い人たちは、見たくないものは決して見ようとしないので、どうしたって「ある日突然」とか「出合い頭に」なんて表現にならざるを得ないわけです。
あ、そうか。
もしかして周波数によって、受け取れる情報量に差があるってことなのかもしれない。
つまり同じものを目にしたとしても、受け取れる情報量に開きがあるから、まったく違ったものを見ているように感じてしまう。
私たちが体験している現実が、それぞれの脳がつくり出した心象風景に過ぎないってことを考え合わせれば、なんだか納得がいくような気がしますよねぇ。
いやぁそれにしても、よくできてるなぁ、このゲーム…。
てなことで。
なんだか今日は、伝わりそうもないことをつらつら書いてしまいましたが。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。